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お前に刺されて死ぬなら悔いはない  作者: 淡雪みさ
高校一年生編

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63/197

泡沫の音



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 ある人物から連絡が来ていたせいで、宵宮千遥が異能力犯罪対策警察の本部に戻る頃には外は暗くなっていた。

 冷たい風に打ち付けられた頬が痛い。しんしんと足の下に敷き積もった白い塊が不快で、動悸と発汗が酷かった。


「遅かったじゃなぁい。千遥」


 心を落ち着けるために喫煙所に向かおうとしていると、本部の廊下で今日の仕事を押し付けていた夏菜子に見つかってしまう。

 夏菜子は千遥の同僚であり、高秋の元カノであり、千遥の飲み友達でもある。

 千遥は無理やり笑顔を作って夏菜子に返事した。


「あれぇ。夏菜っち、まだ退勤してなかったのー?」

「あなたが押し付けてきた仕事の量が多すぎて上がれなかったのよぉ! 何ヘラヘラ笑ってるわけ? クリスマスだってのに何が楽しくて職場に夜までいなきゃいけないのよ」

「いいじゃん。夏菜っちどーせ今は独り身でしょー?」


 からかうように言うと、夏菜子がぐっと口籠る。

 彼女は愛しのエリート、高秋の気紛れでフラれたばかりだ。恋愛に興味がない高秋にしては長く付き合っていた女性だったので、自分は特別だと思っていただろう。そんな矢先、他の女とデートしたいからだのと言って別れることになったのだから、珍しく本気で落ち込んでいる。

 けれど、誰か一人に入れ込んだことのない千遥には、夏菜子が何故そこまで高秋に固執するのか理解できなかった。


「そもそも夏菜っち、何で高秋のこと好きになったわけ? 夏菜っちなら他にいくらでも男いるのに」

「その辺の男と高秋を一緒にしないでくれるぅ? 弟も認めた男なんだから」

「弟?」

「最初、高秋のこと推してきたのは弟なのよ。高秋ならわたしのお眼鏡に叶うから、さっさと落として付き合えって。弟は人を見る目だけはあるの。実際会ってみたら本当にいい男だったしね」

「……ふーん?」


 夏菜子の弟である伊緒坂尚弥は、高秋と大した接点はないはずだ。

 それをわざわざ勧めるなど、一体どういう理由なのか。思い当たる節は一つしかないが、あえて口には出さなかった。


「今頃あの人、あの子とデートしてるのかしら」


 夏菜子が大きな溜め息を吐く。

 いつもは気丈に振る舞っているが、高秋と別れたことで溜め息の数がやたら増えた。

 千遥は悪戯に夏菜子を壁に追い詰めて笑う。


「僕が慰めてあげよっか?」

「あなたに抱かれるくらいなら、身投げした方がマシよお。下衆」


 茶化すように問えば、夏菜子は苛立たしげにそんな言葉を吐いて去っていく。

 同時に思い出すのは、彼女と同じように高秋に入れ込んでいる女子高生のことだった。


 ――『志波先輩は私のヒーローですから』


「……どいつもこいつも、そんなに高秋がいいかねえ」


 呆れ笑いをしながらぽつりと呟いたその時、夏菜子がふと思い出したように千遥を振り返った。


「そういえばあなた、管理情報に不正アクセスしてたりするぅ?」

「不正アクセス?」

「任務とは関係ない収容施設の犯罪者の情報の順番が入れ替わってたのよ。今日の早朝触ってたのって千遥だけでしょう。何か心当たりがあればと思って」


 ――履歴は全て消したのに、まさか痕跡を掴むとは。

 千遥は内心感心しながら、変わらぬ笑顔で返事する。


「何それ? 知らないんだけど。ニコチン切れてきて苛ついてるからその話するなら先に煙草吸いに行っていい?」

「いや、知らないならいいわ。煙草、そろそろやめなさいよ」


 夏菜子は興味をなくしたようにひらひらと手を振って廊下の先の階段を登っていく。


 [なーんだ。わたしの気のせいか]


 心を読んでみても、千遥を特別疑っている様子はなかった。

 彼女は記憶力がいい。一度見ただけの情報の順番を完璧に覚えているのだろう。


 敵に回すと厄介だ、と思いながら喫煙所に向かう。

 退勤時刻が過ぎているためか、中には誰もいなかった。

 千遥は煙草を吸い込み、ゆっくりと息を吐く。煙草の箱を仕舞う自分の手がわずかに震えている。雪を視界に入れると毎度こうなるので厄介だ。毎年じわじわとフラッシュバックが酷くなっている気がする。


 いつも最初に頭に浮かぶのは、地面に転がったホットティーの缶。

 次が、立て続けに鳴る発砲音。悠長に音がしてから動き出すSP数人の姿。

 雪の上に血が飛び散り、頭が飛び散り、白が赤く染まっていく。


 目眩がしてきて蹲った。

 あの光景を思い出す度、呼吸もうまくできなくなってくる。

 高秋と一緒に暮らすようになって悪夢はマシになってきているのに、雪の降る日はいつもこうだ。あの日のことを鮮明に思い出す。

 喫煙所の床に煙草が落ちた。

 まるで水の中にいるように息苦しい。あの日から、ずっとずっと海の底に溺れている感覚だ。

 不意に、こぽ、と泡沫のような音が聞こえた気がした。


 ――――次の瞬間、ヴーーーーーッと胸ポケットの中の端末が大きく震え、千遥の意識は現実に引き戻された。過剰なまでに体がビクリと反応し、床に端末が落ちる。


 画面に映し出された名前は――紫雨華 仄香。


「……もしもし?」


 動揺しながらも、髪をかきあげてかかってきた電話に出る。

 いつの間にか、体が汗で冷たくなっていた。


 電話の向こうの仄香は、脳天気な声で問いかけてくる。


『――宵宮先輩、一緒に晩ごはん食べませんか?』


 苛ついているので、は? と低い声で返しそうになるのを堪え、できるだけ優しい声を口から吐き出す。


「何言ってんの。ほのぴ、今デート中なんでしょ?」


 彼女はこの時間帯、高秋と一緒にいるはずなのだ。予定通りであれば夜までずっと。


『はい。でも、志波先輩に許可いただきました。今から本部の寮に行くので、ご飯食べるの待っといてくれたら嬉しいです』

「……いいよ。ほのぴ達が部屋で食べんなら僕は外食でもするし」


 どこの世界に男女のデートに途中から混ざる男がいるのだ。明らかに邪魔だろう。


『いや、宵宮先輩も一緒がいいから誘ってます』

「僕をそんな空気読めねぇ男にするつもり? 何企んでんの?」


 今は頭が回らない。仄香が何を考えているのか分からず、少し棘のある聞き方をしてしまった。

 しかし、仄香は全く気にしていない様子で続ける。


『なんか、宵宮先輩、泣いてるんじゃないかと思って』

「……それ、未来視?」

『いえ、勘というか……。馬鹿にされるかもしれないんですけど、私の勘、小さい頃から結構当たるので』


 千遥は黙り込んだ。

 泣いていない。涙の出し方など忘れてしまった。高校生の時、一度死に、高秋の前で泣いたのが最後だ。


「何それ。僕は独りでいいよ」

『ええ! だめですか? もう予約してたレストランのお食事、包んでもらってるところなんですよ。さっきから連絡してるのに、宵宮先輩出ないから』


 そう言われてよく見ると、文面での連絡が何通か届いていた。

 どれも同様の、千遥の分の食事を寮に持っていってもいいかという内容の連絡だ。


「……ほのぴって変なところで行動力あるよね」


 余計な勘を働かせて、デートの途中だというのに千遥を選んだらしい。


「高秋はなんて言ってんの?」

『宵宮先輩が雪の日に体調崩すのは事実だから、それを察知したんじゃないかって笑ってました』

「あいつ、余計なことを……」


 仄香の常人とは思えない勘の良さを知って面白がる高秋の表情が頭に浮かび、口角がひくついた。


「……ほのぴさぁ、こういうことやらない方がいいよ」


 落とした煙草を拾ってゴミ箱に入れながら忠告する。


「デートの日に他の男のこと気にされるって、僕が高秋の立場なら不快だし。高秋に嫌われちゃったらほのぴも困るでしょ」

『それは困りますけど……』

「こうやってデートの最中に通話してんのも、僕とデキてるんじゃないかって疑われるかもよ?」

『え? 宵宮先輩と私がですか?』


 一泊置いて、仄香が電話の向こうで弾けるように笑った。


『あっはははは! そんなわけないじゃないですか。さすがに志波先輩も、そんなぶっ飛んだこと考えませんよ』


 ――何大笑いしてんだよ、と文句を言いたくなった。仄香にとっては笑いのツボに入るほど、それは有り得ないことらしい。


「ほんっと、ムカつく女」


 その変に肝の据わった失礼な態度のおかげでだんだん馬鹿らしくなってきて、椅子に腰をかけながら投げやりに許可する。


「もーいいよ、さっさと来いよ。お前は大好きな男と一緒にいる間も僕のこと気にしちゃう浮気女ってことで」

『その言い方はちょっと……あ、今包み終わったらしいんで、そろそろそっち向かいますね。待っててください』


 慌ただしく電話を切られた。

 やはり仄香は、やや強引で無鉄砲なところがあると思った。


 端末を閉じ、また一本煙草を箱から出そうとしてやめる。今から来るということであればそう時間はかからないだろう。寮に戻って待っていた方がいい。

 千遥は重い腰を上げて喫煙所を出た。


(……なおやんが歪むのも分かる気がするなぁ)


 思わせぶりで、お人好し。

 仄香から電話がかかってきたおかげで、いつの間にか手の震えは収まっていた。



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