イルカのキーホルダー
「仄香」
名前を呼ばれて顔を上げる。
思いの外間近に志波の顔があって身動いだ。
「今分かった」
「……え」
「もっと俺を欲しがれ」
志波の瞳が、確かに情欲の熱を孕んでいる。
「君が俺を欲しがって、好きで仕方なくなって、手に入らなくて破滅するところが見たい」
喜んでいい場面なのかは曖昧だ。
しかし、どういう理由であっても、志波は今仄香のことを見つめている。――その事実に心底ほっとした。
「これが君の言う、〝生き様に興味を持つ〟ということなんだろうな」
「……違うような、合っているような……」
「違わない。少なくともこんな感情を抱いたのは初めてだ。君を見ていると縊り殺してじっくり観察したいような気分にもなるが、あえて生かして俺に狂わせてみたい気分にもなる」
「縊り殺したいとか思ってたんですか。私のこと」
涼し気な顔をしてとんでもないことを考えている。
志波は試すような視線を送ってきた。
「嫌か?」
複雑な心境ではあるが、嫌というのも少し違う。
「……ちょっと嬉しいです。志波先輩が私に興味を持ってくれてるってことだから」
照れながら伝えると、志波は満足げに笑みを深める。
そこで仄香はハッとした。魚をそっちのけにして見つめ合ってしまっていることに気付いたのだ。
「ヤバいです、志波先輩! 早く魚撮らないと時間なくなっちゃいます」
「ああ。そうだな」
志波がさっきより楽しそうなのは気のせいだろうか。
声も少し柔らかくなったように思う。
「今日来館した人の最高記録は百五十種類らしいですよ。これを超えて一位を目指しましょう!……あ、でも本気で一位目指すなら二手に別れた方がいいかも……。同じフロアで私は右端から、志波先輩は左端から撮っていって合流するとか……」
そう言った時、それまで離れていた手がまた繋がれた。
「俺より魚なのか?」
「……え」
「俺の傍にいるより、そのくだらない記録順位で上を目指すことの方が重要だと?」
「め、滅相もございません! 志波先輩と一緒にいられたらそれだけで幸せですしっ」
不快にさせてしまっただろうかと慌てて否定すると、志波がふっと破顔した。
「君は本当に――かわいいな」
仄香の思考がフリーズする。
言われたことを反芻した後、ようやく意味を呑み込むことができた。
「も……もう一回お願いします」
仄香はすっと端末を取り出して録音機能を準備する。
しかし志波はそれを完全に無視して歩き始めた。
「お願いします……! 後生ですから……!」
縋るように志波を追いかける仄香だが、結局志波がその言葉を再度口にすることはなかった。
ぐるっと一通り色んな場所を回って写真を集め、館内のフードコートで飲み物を飲んで休憩した後はイルカショーを観た。
あっという間に時間が経ち、閉館時間が来る。外はすっかり暗くなっていた。仄香は浮かれた気持ちで最後にお土産コーナーに寄った。
「志波先輩、何か欲しいものないですか? 何でも買いますよ」
仄香は都度断ったのだが、今回のデート代は今のところ全て志波が払ってくれている。それに関して申し訳ない気持ちがあったので、お礼にせめて少しだけでもとお土産を買うことを提案した。
しかし、お土産コーナーと言ってもあるのは魚の文房具やら可愛らしい鞄、塗り絵など。鞄もどちらかと言えば子供向けなデザインで、職場に持っていけるような柄ではない。言った後から、他の店で提案した方がよかったかもしれないと思った。
志波は黙って周囲を見回す。そしてあるところで視線を止めた。その視線の先にあるのはイルカのキーホルダーだ。
「あれがほしい」
これには仄香がぎょっとした。イルカのキーホルダーを欲しがるなんて、意外とイルカが好きになったのだろうか。イルカを可愛いと思っている志波を可愛く思い内心悶えていると、余計な一言が付け足された。
「間抜け面が君に似ている」
別にイルカを可愛いと感じたわけではないらしい。
確かに少し間抜けな顔をしたイルカのイラストだ。喜んでいいのか悪いのか分からずにいるうちに、志波がそちらへ歩いていって同じキーホルダーを二個取った。
「二つも買うんですか? 実用と保存用?」
「もう一つは君の分だ。イルカショーでやけに騒いでいたし、イルカが好きなんだろ? ちょうどいい」
「……お、お揃いにしてくれるってことですか?」
「ああ」
どうしてこうも仄香が喜ぶポイントを的確に突いてくるのか。志波は絶対に分かっていてやっていると確信しながらも、お言葉に甘えて二つ受け取る。
君は何だか奢られる方が居心地が悪そうだと言って、志波はキーホルダーだけ仄香に買わせてくれた。
今回デートの準備に手伝ってくれた咲や宵宮、年末に会う茜にもお土産を買おうとお魚柄のクッキーも三箱付けて、袋に入れてもらい、水族館を出た。
外はちらほらと雪が降っている。
「一日ってあっという間ですね……」
後は晩ごはんを食べるだけだ。この夢のような時間がもうすぐ終わるなんて信じられない。
「寒くないか?」
暖かい館内から風の冷たい外に出たためわずかに震えていると、志波が自身のマフラーを取って仄香に付けてきた。
「志波先輩はいいんですか?」
「俺は寒いのは苦手じゃない」
「……暑いのは苦手?」
「苦手というほどではないが、最近の夏は嫌いだな」
(夏より冬が得意なんだ)
仄香はまだどきどきしていた。
志波高秋という人間のことを知る度にもっと好きになる。気持ちを抑えられなくなってしまいそうで、怖いくらいだった。
水族館から駅に向かう途中の樹木はイルミネーションで豪華に飾られており、シャンパンゴールドに輝いていた。その通りを、沢山の恋人たちが仲良さそうに並んで歩いている。
もしかしたら自分たちも端から見たら恋人かも、などと一瞬考えた仄香は、なんと恐れ多いことをと余計な考えを振り払うためブンブン首を横に振った。
昼間の降雪量が多かったのかかなり雪が積もっており、滑りそうになりながらも志波に付いていく。
通りの先にある大きな公園はこのイルミネーションのメインスポットのようで、大きなクリスマスツリーが飾られていた。
仄香は思わず立ち止まり、その光景に見惚れる。
周囲にいる人々も、写真を撮ったり出店で買った甘いものを食べたりと、楽しそうに笑顔を浮かべている。
「……志波先輩、やっぱり殺人なんてやめませんか?」
その様子を観ているうちに、思わずそんな言葉が漏れた。
「志波先輩たちは凄く強いです。志波先輩たちが悪に染まって東京の治安が悪化したら、こんな綺麗な光景もきっともう見れなくなります。……志波先輩だって捕まっちゃうかもしれない。私、志波先輩と来年も、こんな景色が見たいです」
「捕まったところで、日本の刑務所は俺を収容しきれない」
志波は仄香の懇願の内容を呆気なく否定した。
実際、異能力者の収容については日本でもまだまだ課題が残っている。現状異能力自体を抑制できる技術がない以上、犯罪を犯した異能力者のことはその異能力が効果を出せないような作りの部屋に閉じ込める必要がある。特定の異能力犯罪者のためにわざわざ新しく監獄を作る場合もあるらしい。しかしそのように細心の注意を払ったところで、裁判の途中で異能力を用いて脱走したり、異能力の種類を虚偽申告していた犯罪者が脱獄したりする事例が後を絶たないそうだ。
現実問題、志波を収容するとなるとかなりのお金も時間も準備も必要だろう。
それを考えると――志波高秋という人間を法で押さえ付けるのは無理だ。




