決意
電話はかけられない。電話をかけて声を聞いたらきっと覚悟が揺らぐ。やっぱり好きだと思ってしまう。
仄香はまた泣きそうになりながら、必死に涙を引っ込めて画面に返信を打ち込んだ。
辛い。痛い。失いたくない。物凄く心が痛いけれど、これを言わなければ、やらなければ、自分は前に進めない。
【ごめんなさい。人を殺したあなたに会いたいとはどうしても思えなくなりました。私、志波先輩を卒業します。志波先輩も自首してくれたら嬉しいです】
直接会って志波に自首させるというところまでやれる気力はまだない。今の仄香に送れる精一杯の内容だった。
メッセージを打ち終わるまで自然と息を止めていて、送信ボタンを押した後でようやく呼吸ができた。
送るまでは怖かったけれど、送った後はこれまでの苦悩が和らいで心がすっと軽くなった。ようやく苦しみから抜け出せた気がした。
返事を見るのが怖いのですぐに受信拒否登録し、端末の電源を落とす。
「……気が抜けてお腹空いてきた」
「何か食いに行くか?」
「最近何食べても吐くから水しか飲んでなかったんだよ。食べたいと思ってるだけで、すぐ吐くかもしれないけどいい?」
「お前のゲロとか見慣れてるわ」
そういえば尚弥は仄香の腹を殴って吐かせたことが何度もある。小学生の頃のいじめの酷さを思い出し、それに比べたら今は落ち着いてきた方かもしれないと思った。
「じゃあ安心だね……安心していいのか分かんないけど」
「何が食いたい。奢ってやる。ジムも通えねぇ貧乏生活だって聞いたからな」
「誰から?」
「一迅。お前のこと心配してたぞ」
そういえば、最近咲がやけに話しかけてきていた。人と話す気力がなく生返事ばかりしてしまっていた。咲にも心配をかけてしまっている。ご飯を食べてちゃんと寝て体力を付けて、ゆっくり話し合わなければならない。
仄香は階段から立ち上がり、尚弥と一緒に歩き始めた。
「あと、幸せな未来が来ると思えねぇって言うけど、お前は一度変えてるからな」
「え?」
「去年の職場見学。東京MIRAIタワーで、俺が死ぬの止めてるだろ」
「…………」
「もう無理かどうかはやってみねぇと分かんねぇよ。少なくとも俺は、」
「…………」
「あれができるお前ならできると思う」
仄香は立ち止まった。すると尚弥も止まり、ゆっくり振り向いてくる。
ずっと尚弥は自分よりも先を進んでいると思っていた。その尚弥が今、歩調を合わせて歩いてくれている。
「……尚弥」
「あ?」
「手を繋いでほしい。昔みたいに。引っ張ってほしい」
尚弥は無言で仄香の手を取った。その動きは荒々しかったが、断られなかったことにほっとした。尚弥の手は大きくて温かく、安心感がある。
再び歩き始めながら、仄香はぽつりと尚弥を呼んだ。
「ねぇ尚弥」
「あ?」
「私はもう泣かない。強くなるよ」
高校二年生の七月。
最初の犠牲者が出るまで残り二ヶ月半の、紫雨華仄香の大きな決断だった。




