検索履歴
夜になってもうまく寝付けない。
明かりを消した暗い部屋の中、二段ベッドの下から咲のいびきが聞こえる。
仄香は端末を起動させ、暗闇の中で光る画面を見た。
返信できていないメッセージが溜まっている。それに目を通す気にもなれない。
未来視で見た映像を何度も頭の中で再生してしまう。
苦しい。怖い。この不安が永遠に続くなら消えてしまいたい。
――……いっそのこと、志波高秋と宵宮千遥を殺して、自分も死ねばいいのではないか?
仄香はほんの出来心で、〝自殺 方法〟と検索する。
心の相談窓口やらチャット相談など、厚労省や非営利団体が運営している自殺防止用のサイトばかりがヒットして、欲しい情報は一向に表示されなかった。
自殺志願者が真っ先に欲しい情報に辿り着かないように検索結果が調整されている。一体何の権利があってこんなにも自殺を止めてこようとするのだろうと疑問に思う。仄香には、本人が望んでいることをわざわざ邪魔しようとする人々の気持ちが分からなかった。
〝自殺の名所〟で検索するといくつか候補が出てきた。
(一番近いのは栃木の滝か……)
行っている途中で冷静になりそうな距離である。
調べているうちに、自殺志願者がうまく自殺に成功する確率は超難関大学に入る倍率と同じくらいであるという記事が出てきて、ほろりと涙が出た。
この世界は自らの意思で死ぬことすらも簡単じゃない。
逃げることは叶わないのだ。
◆
梅雨の間はずっと雨が降っていた。世界から晴れの日がなくなってしまったんだと思った。
六月が終わる頃、志波から何度か電話が来ていた。仄香は一度もその電話に出ることができなかった。
七月の初週、一学期の期末テストがあった。テスト勉強はしていたつもりだったがうまく頭に入っていなかったらしく、満点の半分ほどの点数しか取れなかった。間違った問題を直したノートを提出するのに苦労した。
七月中旬、各教科の担当教員が夏休みの宿題を提示し始めた。仄香は夏が近付いてきていることに遅れて気付いた。
いつの間にか誰も行方不明になった尚弥の彼女の話題を出さなくなっていた。彼女の生死は話題としての旬が過ぎ、生徒たちはこれから来る夏休みのことばかりを楽しげに話している。
同級生が一人いなくなっても所詮この程度。三ヶ月も経てば忘れられる。仄香はその事実に内心ほっとし――安堵した自分を嫌悪した。
「紫雨華~ちょっと来てくれ」
放課後担任の先生に呼ばれ、荷物を纏めて帰りかけていた仄香は一旦鞄を置いて教卓の方へ近付く。
「これ、一緒に職員室まで運んでくれないか?」
生徒たちが提出したであろう課題が教卓の上に積み重なっている。他のクラスの分もあるようでかなりの量だ。
仄香はそのうちの半分ほどを抱えて教室を出た。先生は残り半分を抱えて付いてくる。
「紫雨華、お前、最近何かあったか? いじめられてるとか、悩んでるとか……」
職員室へ向かう廊下を歩きながら、先生がちらちらと仄香を見てくる。
仄香は手伝ったことを後悔した。先生は元々課題を運んでほしかったのではなく、仄香と話がしたかったのだろう。
「いやほら、今回の定期テスト、お前らしくない結果だっただろ? 今回だけじゃなくて、二年生に上がってから全体的に成績下がってるし……」
「……すみません。勉強不足で」
「あ、いや、責めてるわけじゃなくてさ。何かあったら先生何とかしてやるから、相談してくれよ」
何とかしてやる、という言葉をこれほどまでに空々しく感じたのは初めてだった。
仄香は担任教師が突然このような形を取ってまで接触してくる理由を理解していた。
尚弥の彼女の一件。優秀な異能力者の高校生がいなくなったことに関して、世間では様々な憶測が飛び交っている。その大多数は異能力を利用した授業中に死亡したのを揉み消そうとしているだとか、学校で異能力を用いた酷いいじめがあっただとか、学校側に責任があったことを疑っている。
今この状況で更に生徒から自殺者を出せば、武塔峰異能力高校は世間からもっと非難を浴びる。有りもしない疑いをかけられる。だからこそ、教員たちは生徒のどのような変化も見逃すまいとピリピリしているようだ。
特に仄香は、一年生の時かなりいじめられていた。前担任からの引き継ぎにもその情報はあったのだろう。自殺者予備軍の要注意生徒として扱われていても不思議ではない。
「特に何もありません。大丈夫ですよ」
仄香は職員室のデスクに課題を置き、作り笑いをして出ていった。
何とかできるものならやってみてほしい。人の命だけは取り返しが付かない。取り返せるものなら取り返してほしい――と、心の内で毒を吐きながら。
職員室を出た後、教室へ戻るための階段を上がっていると、人気のない踊り場で久しぶりに見る人物と鉢合わせた。
無造作な金髪に着崩した制服、隠しきれていない耳のピアス穴。クラスが別々になったことや彼女のことがあり、ずっと避け続けていた尚弥だ。
どうしてこんな校則違反の代表者みたいな格好をしている人間の成績が常に一位なのだろうと不思議に思う。今回のテストも、従来より難易度が高かったにも拘らず、貼り付けられた校内成績の一番上にいた尚弥はほぼ満点だった。勉強に集中できず成績が下がった己と比べて嫌な気分になる。
何も言わずに通り過ぎようとした仄香の足を、尚弥が引っ掛けて転ばせた。仄香は咄嗟に床に手を付いて衝撃を避ける。
「へえ。愚図のくせに反応できるようになったな」
尚弥が勝ち誇ったように片側の口角を上げて仄香を見下ろしている。失礼な物言いは相変わらずだ。
仄香は俯いた。
尚弥を見ると尚弥の彼女のことを思い出す。駅のホームから突き落としてきた彼女の嬉しそうな表情を思い出す。だから尚弥と直接会うのが嫌だった。
「お前、何で連絡返さねぇんだよ」
「…………」
「ずっと俺のこと避けてただろ」
「…………」
「お前ごときが俺を無視していいと思ってんのか」
「…………」
「先のことを変えるために連携するって言い出したのはお前だろ。無理やり俺に協力させようとしといて、協力関係の放棄はお前の独断でできると思ってんの? 随分勝手だな。オヒメサマかよ」
「……いい」
「あ?」
「もういい。未来なんてどうなっても。どうせ変えられない」
仄香の言葉に、しん――と踊り場に沈黙が走った。
床に手を付いた状態だった仄香は立ち上がって尚弥を見据えた。
未来というのは仄香が思っている以上に変えるのが難しかった。ここでどれだけ頑張って尚弥を巻き込んで足掻いたところで徒労に終わる可能性が高い。
実際、志波が若い女性の死亡シーンを見る未来は変えられなかった。仄香が絶命しなかったことや、場所が東京MIRAIタワーの付近ではなく駅のホームだったことなどのわずかな違いはあるものの、結果的には同じようなことが起こっている。
志波は最初の殺人を犯してしまった。未来を完璧に、それも望む方向に変えることは相当難しい。
「常識的な手段じゃ、どうせ変えられない」
仄香は確かな口調でもう一度発した。
「だから……」
「――だから、元凶となる人間を殺して自分も死ぬってか?」
驚いて目を見開いた。
尚弥の発言があまりにも、仄香の思考をトレースしているようだったからだ。
信じられない気持ちで尚弥を凝視する。読心術でも使えるのだろうか。
突然言い当てられたせいで咄嗟に取り繕うこともできず、口から情けない声が漏れる。
「何で……」
「お前の端末の閲覧履歴ハッキングしてっからだよ」
「…………は?」
尚弥がポケットから自分の端末を取り出し、その画面を仄香に見せてきた。
画面の中に、仄香が端末を通して閲覧した様々なページが全て書き出されている。
「〝自殺 滝〟、〝人 簡単な殺し方〟、〝呪い やり方〟、〝死後の世界〟――お前、変な宗教にハマってんじゃねぇだろうな?」
恥ずかしくて土に埋まってしまいたかった。
殺人や自殺、人の死について考えすぎてスピリチュアルな内容まで調べてしまっていたことや、志波や宵宮を殺すにしても自分の力では無理だからと血迷って呪い代行業者を探していたことまで筒抜けだ。




