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お前に刺されて死ぬなら悔いはない  作者: 淡雪みさ
高校一年生編

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転落



 三月三十一日、夕刻。

 新学期が始まる前日の年度末。


 仄香たちは新幹線に乗って東京に戻った。その間、仄香と志波はずっと手を繋いでいた。


 新幹線から降りた時、名残惜しくて泣きそうだった。

 武塔峰異能力高校の最寄り駅に向かう駅のホームで、志波はずっと繋いでいた仄香の手を離した。彼のもう片方の手には仕事用の端末が握られていた。


「新しい任務が入った」

「……今ですか?」

「ああ。今日の夜から稼働可能だと伝えているから、少し早めでも対応できると思ったんだろう」


 志波と離れることに少しだけ不安が過ぎった。

 もう大丈夫だろう、未来は変えられただろうと思いつつ、三月いっぱいまでは何が起こるか分からないというような気持ちがある。

 しかし、あの飛び降り自殺の未来は夜ではなかった。ここで志波を解放したところで影響はないだろう――そう思って、無理やり笑顔を作る。


「……分かりました。行ってきてください。私のわがまま聞いてくれて、ありがとうございました」


 仄香は志波に離された手を一人、寂しさからぎゅっと握り締めた。

 志波は「ああ」と短く答えて踵を返し、人混みの中に消えていく。



『まもなく二番ホームに、武塔峰行きが到着します』


 アナウンスと、こちらへ向かってくる電車の音が聞こえる。


 志波と別れた後しばし俯いていた仄香は、不意に顔を上げて志波が去っていった方向を見た。


 もしかしたら、そちらを見た時に志波が自分を見ているんじゃないかと期待した。

 ホームに並ぶ人々の後ろ側、頭一つ身長が高い志波はすぐに見つけられた。


 嬉しいことに志波は仄香の方を見ていた。けれどその表情はどこかいつもと違っていた。

 深刻な顔。さっきまでやや柔らかかった表情からは一変している。


 何故そんな顔をしているのだろう、と不思議に思った次の瞬間、――――後ろからドンッと強い力で背中を押された。


 それは突然のことで抗いようもなかった。

 一般人のものではない、おそらく日頃から授業などで鍛えられているであろう強い力。


 咄嗟に踏ん張ることができなかった仄香の体がホームから線路側に向かって転落していく。

 視界の隅に走ってくる電車のライトが映った。


 電車の速度はかなり出ているだろうに、死の間際だからか、仄香の目には全てがスローモーションのように見えた。

 眼球を動かし、後ろを振り向く。



 仄香のことを突き飛ばした人物、ホーム側に立って笑っているのは――――尚弥の彼女だった。



 体が落下していく中、仄香の白いワンピースの裾が揺れる。

 その時、強烈に思い出す光景があった。


 ――去年視た、飛び降り自殺の未来。

 自殺した女性の頭部はぐちゃぐちゃになっており、顔までは確認することができなかった。しかし、体格や身に付けているものから、今日の仄香の特徴と完全に一致する。


(あの未来で死んだのって……私?)


 あれが飛び降り自殺ではなく、突き落とされたのだとしたら。

 今この瞬間と同じように、尚弥の彼女に突き落とされ、志波の目の前で死んだのが仄香だったとしたら。


 志波高秋が殺人に興味を持つ未来――――別の形であの未来が引き起こされようとしている。




 年明けに引いたおみくじの文言が頭に浮かぶ。


 ――〝旅行 行くな 事故に注意〟




 今回避けなければならなかったのは、東京MIRAIタワーの付近に近付くことではない。志波と仄香自身の接触だった。



 強烈な後悔が襲ってくる中、同時にホームの上から見下ろしてくる尚弥の彼女の嬉しそうな視線に、後悔に勝るほどの恐怖を感じた。


(人に悪意を向けられるって)


(人に殺されかけるって)


(こんなに怖いんだ)


 いつも通りの日々の中、市立図書館から出た途端に突然日常が壊され、複数の大人に滅多刺しにされたという誰かの話が頭に浮かぶ。




(宵宮先輩も、怖かっただろうな)


 奇しくも、死の間際で思い出したのは、もう会えない彼の顔だった。





 ・

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 ・



 再び目が覚めた時、どこかの屋敷の縁側にいた。

 遠くに星空が見える。もう夜らしい。春の風が吹き、寝転がる仄香の薄い紫色の髪を揺らす。


「起きたか」


 頭上から聞き慣れた声がした。

 目線だけでそちらを見れば、志波がすぐ傍に座っている。


「……何で私、生きてるんですか?」


 電車とぶつかる直前に意識を失った。痛みの記憶はない。

 けれどあの距離ではいくら志波が手を伸ばしても間に合わなかったはずだ。


「俺の母親が教授をやっている大学の付属病院で異能力治療を受けてもらった」


 異能を利用した人命に関わる治療は明成三年に一部の大学病院から導入が始まっている。

 仄香は現実感が薄いまま自身の体を擦ってみた。どこも痛いところはない。最新の治療とやらは凄いらしい。


「私、入院とかしなくていいんですかね……? 電車と事故起こしたのに」

「いい。しばらくここで休め。俺が面倒を見る」

「いやでも、明日から学校ですし……」


 仄香は真面目すぎる回答をした後、ふと、ガタガタと妙な音がしているのに気付いた。

 寝転がったまま庭の方に顔を向ければ、一台の車がずっと揺れている。うるさいほどの音を立てながら。


「……志波先輩、あれ何ですか?」


 嫌な予感がする。酷く嫌な予感だ。

 これまでの人生で感じたことのないほどの胸騒ぎがする。



「君をホームから突き落とした女生徒だ」



 志波が抑揚なく告げてきた内容に、仄香の体は一気に強張った。


 どこかで聞いた展開だ。

 確か宵宮が高校生の時も、志波はこの行いをしている。


 あれはペット用の火葬炉を搭載した車。志波の話が本当なら、今、尚弥の彼女の死体はあそこで燃やされている。

 動揺でどくんどくんと心臓が嫌な音を立て、呼吸も荒くなっていく。


「あの女生徒は東京からずっと後を付けてきていた。存在には気付いていたが、何が目的か分からなかったから放置していた。俺のミスだ」


 謝罪のような主旨の言葉を口にする志波の横顔は、こんな時にも拘らず涼しげで、恐ろしく美しかった。

 しかし――謝るべきは、反省するべきはそこではない。


「……志波先輩が殺したってことですか?」

「ああ」


 淡々と答える彼からは、何の感情も感じ取れない。虫を殺したのと同じ声のトーンで、殺したという事実を肯定する。


「……冗談ですよね?」

「ここで冗談を言う必要がない」

「いや、でも、だって……」


 うまく言葉が出てこない。視界がぐらぐらと揺れる。

 高校時代に宵宮が襲われた時の、正当防衛への荷担とはわけが違う。

 今回志波は意図して殺している。一人の未来ある女子高生を、跡形もなく処分しようとしている。

 仄香は、目の前でガタゴトと音を立てて揺れている車を、ただ呆然と眺めることしかできなかった。



 ――――恐れていた未来が起こってしまった。

 今日、志波高秋という人間が、明確に犯罪者となったのだ。


「……自首しましょう」


 仄香は立ち上がって志波に訴えた。


「じ、自首したらっ、罪が軽くなるかも、わ、私、法律のこと全然分かんないですけど、黙ってるよりは多分いいです……!」


 動揺で声が震える。

 仄香を見上げる志波は、当事者であるにも拘らず平然としていた。


「君はそれでいいのか?」

「え……?」

「俺が捕まれば、君は俺に会えなくなる」

「…………」

「俺は二度と警察として働けなくなる。君の大好きな〝異能力犯罪対策警察の〟俺はいなくなる」


 仄香の中に迷いが生じた。

 試すような口ぶりの志波は、仄香が何を選ぶのかきっともう分かっている。


 小学生の頃から精神的に縋ってきた存在。

 依存している存在。

 己を保つためになくてはならない存在。

 それがなくなると想像しただけで、体の一部を千切られているかのような喪失感が襲ってくる。


 一人殺したら、何年捕まることになるのだろう。

 志波が外へ出てくる頃、仄香は何歳になっているのだろう。


(……無理、だ)


 仄香は己の中の相反する感情に呑まれ、泣きたい気持ちだった。


 正義感とは、良心とは何なのだろうかと疑問に思う。

 どれだけ自分の根底にそれがあると思っていても、それは簡単に揺らいでしまう。

 たった一つの執着で。


(志波先輩は、助けてくれたんだ)


 蹲り、自分に何度も言い聞かせる。


(私のヒーローだ。何も変わってない。ただ殺しただけ。やり方を間違えただけ。志波先輩は悪くない。悪くない。悪くない)


 仄香の認識が歪み始める。否、頭がおかしくなりそうだったため、心が壊れてしまいそうだったため、無理やり解釈を歪ませた。

 法を介さない私刑が犯罪であることくらい頭では分かっている。


 けれど仄香は――――これまで積み重ねてきた志波への憧れと思い出を、すぐに捨て去ることができなかった。既に自分の一部となっている志波のことを、正義の名のもとに裁くつもりになれなかった。




 新しい春の訪れは、同時に、紫雨華仄香にとっての地獄の始まりだった。





 【高校一年生編 終】




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