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tail or light

作者: 森川めだか

tail or light

            


 冬、冷たい霧の中、フォックスはブラインドから外を覗いていた。

「元気でいらしてね」白黒の金髪の女が髪に触って、耳こすりをした。

「ええ、ええ」

フォックスは曖昧に肯いた。

女優はカチャッと音をさせてクラッチバッグを閉じると、優雅にホテルの出入り口へと歩いていった。

「ねえ、私の順番はまだ?」

集まっているのは皆、昔の俳優だ。皆、まだ生きているのかもう死んでいるのか分からない。

自分の金を受け取って去って行ったあの女だって。

フォックスは窓際の、ピアノの横に立っているイブに「ルッシロはまだか」と目配せをした。

イブも仕方なさそうに肯いた。

「では、始めます」鳴った電話を取った。

フォックスは指を一本立てた。

「まず1ドルから」

ここの会場でやっているのはオークションだ。オーディションではない。皆、間違っているようだが。

奥の、黒いベルベットで仕切られた式場ではメモリアルが行われている。古いテープが回って、たまにオウとか若い頃の彼を懐かしんでいるようだ。

「俺にはいくらつくかな?」

「オーディションなんて久しぶりだからワクワクしちゃうわ」

皆、ピアノの下の段に用意された椅子に脚を組んで座って、まるで映画でも見るように自分の順番が来るのを待っている。

ピアノの前の壇に立っているのがオークショニアのフォックスで、誰もピアノを弾いてはいない。

しみったれた音楽なんて今、式場で流れている彼のビデオの中だけでよかった。

「まだルッシロは来ないんだろうか」金を渡し終えたイブの隣に立って、またフォックスは窓の外を眺めた。

赤いカーペットと黒い壁、往年の名優たちが集まるにはうってつけの所だった。

この中の誰もが彼を惜しんでいる。彼の死を。これからやって来る人も。去って行く人も。

こんなに人がいるのに全然、窓ガラスが曇らないのは、息をしてないせいだろう。


「はて、ここはどこだろう」

ルッシロは身を起こした。冷たい水の中に倒れていた。

右を下に、今でも頬に水滴が残っている。

それは映画のシーンだったのだが、ルッシロはすっかり記憶を失っていた。

「どうしたんだいルッシロ」そうして撮影現場を抜け出した。それとは知らずに。

「お出かけかい」

「おーい、まだ役は終わってないよ」

ママの顔も思い出せない。

工事中みたいに込み合ってたな。ルッシロは寒さで手をすり合わせた。

緑色のダブルブレストを着ている。

通勤の人たちとは別の方向に歩くと、街角の柵や壁なんかにポスターが貼られている。

映画の題名より大きく、デカデカと僕の名前、「RUSSILO」と上に刷られている。そして、写真に写っているのもさっきまでの水に顔半分を付けて倒れていた僕のアップだ。

ルッシロは記憶のない街をうろつきながら、自分のポスターが貼られていない所を探した。何を聞かれても説明するのがめんどくさいからだ。

地下鉄のコンコースに着いた。入った所で歯のぬけたホームレスが僕を見て笑っていたが気にせずにいた。

緑色の壁と光。ここで何をしようというのだろう。

電車を待っている人たちをポケットに手を突っ込んで後ろから見ていると、誰も僕に気付きはしない。

それから、構内のフードエリアでフローズンポテトを食べていた時のこと。

前の席に座っていた女性二人組がルッシロを見ては笑っている。

「絶対そうだって」

ルッシロは黙って食べ続けた。

ここは知っている。寄生虫駅だ。何でそんな名前が付いたのか、きっと通称なんだろう。最初は醜いと思われていたエッフェル塔だって、今は暮らしの中に溶け込んでいるんだから、この駅もそうなるんだろう。

「ルッシロだよね」ちょっと目を離したすきにさっきの女性が近付いて来ていた。

ルッシロはそうかも知れないし君の知っているルッシロではないかも知れないと答えた。

「映画楽しみにしてます」おとなしい方の女が軽く頭を下げた。

一体どこに行くというんだろう。


「おめでとうございます、あなたは1ドルの値が付けられました」フォックスはご婦人に1ドル札を手渡して、立たせた。

オークションの列の切れ目を窺って、また窓のそばに立った。

「ルッシロはまだ来ないんだろうか」

「そうみたいね」

奥の式場からはオー、「マイエンジェル」とか言った声が聞こえてくる。

きっと幼い頃の彼がカメラに向かって近付いているのだろう。

フォックスは鼻でため息を吐いた。少し窓が曇った。


塀にも道端の猫にも雪が積もっているような寒い朝だ。向こうから鼻をかみながら背の高い男がやって来る。なぜそれが分かるかというと、時々、彼の鼻の辺りから派手に白い息が吐き出されているからだ。

「これからどこ行くの」すれ違う時に声をかけられた。やはり男はしきりに鼻をかんでいた。ボックスティッシュでも持っているのだろうか。

赤くなった鼻をグシグシやりながら、男は僕に付いてきた。きっとルッシロが何も答えなかったのが気に食わなかったんだろう。

「別にどこにも行かないよ」

「あっそう」

男はルッシロから離れ、また一人で歩き出した。さっきまで並んで歩いていたのは彼の歩調がたまたまルッシロと合っていたからだろうか。

ダブルブレストはショート丈で、コートだったらよかったのに。脚まで寒い。

このジャケットはタイドプールのような薄い緑色だ。ルッシロは生命のたまり場はタイドプールだと思っていたことを思い出した。

きっと波がやって来たり、収まったり、残された泡の中で初めの生命が生まれたんだろう。

ルッシロはダブルブレストの襟に鼻を近づけてみた。さっきまで古着屋にかかっていたような香水の香りがする。

さっきの男はこっちまで響くような鼻をかむ音をさせながら向こうの角を曲がって見えなくなった。


「スイートハート」

フォックスは式場の様子を、ベルベットを少し開けて覗いた。

式場の中は俳優たちの吸った煙草でモウモウとした煙だ。

葬式のために集まったというのに皆、明るい。

奥には柩があるが、皆の前には小さなブラウン管のテレビが用意されていて彼の思い出が映し出されている。柩の上に腕を置いて、それを見ている男もいた。

ここからはドアの出入りする音は聞こえてこない。コンプレックホテルは正面玄関は一つだ。

やって来る人は皆、顔見知りで思い出話は尽きない。

自分の名シーンだとか、あの監督はこうだったとか、あの頃は・・とか。

フォックスは彼が友達に海岸の砂をかけている後ろ姿を見てベルベットを閉じた。

「私はいくらになるかしら?」若い女がピアノの前に座っていた。

膝元には何が入るんだ、というような小さな黒のクラッチバッグが一つ。

フォックスは鳴ってもいない電話を取った。

「次のご婦人はかの有名な・・です」

女は聞くまいとして顔を少し横に向けて、イブの方の窓を見ているようだ。

イブニングドレスを着ているイブでも、このノーブルなモーニングドレスを着ただけの女にかかっては見劣りがする。

白黒の黒い目は宝石のように大きく、細い眉がそれを引き立たせている。

イブがピアノの上の卓上金庫から言われた値段を引き出して、女性はそれを裸のままクラッチバッグに入れて金具を押さえた。

「本当に残念ね。彼には将来があったのに」

一度見たら忘れがたい女はそう言って、式場とオークション会場の間にある通路へ続く扉のない、舞台の袖のようなドアを出て行った。

男性陣は多くの場合、オーディションは自分には関係のない、とでも思っているのだろうか、椅子の後ろの席に座って煙草をふかしていた。

誰もリムジンをもう用意してはくれないので酒の種はここにない。

もうオレンジと紫とピンクの夕焼けになっていた。

「では、始めます」


向こうに飛び抜けて高い建物がある。「COMPLEC」と書いてあるから多分、ホテルだろう。あそこに入って街でも眺めれば何か思い出すかも知れない。僕の家が見えるかも知れない。

黄色い装飾で、黄色いライトに下から階ごとに照らされている。夜になったら輝くんだろうなあ。

ホテルの前のことだった。マンションの一部屋の明かりがついていて、夜の明暗差で中が見える。その前に立つ人も。

ブラジャー一枚の女だ。ルッシロはブラジャーを初めて見た。

その人は痩せていて、外を見て微笑んでいる。

ブラジャー一枚で何をしてるんだろう。肘を窓の囲いに付いて星を見てる。

ルッシロはそこからそのままの形で動けなかった。

きっとあの人は寒くないんだ。誰かを愛し、愛されているから。

初恋、という言葉が頭に浮かんだ。こんなことで好きになるなんて僕はやらしいんだろうか。

彼女は見える範囲から奥へ消えて、きっと着替えの途中なんだろう。

そこまであの人を星に引き付けたものは何だろう。なぜかあの人にやらしいと思われるのは嫌だった。

ルッシロは顔の黒子みたいな星空を振り返った。スターは自転車のライトみたいに照らさない、ただそこにあるだけで人が見てくれる。

ホテルに入ったらそこには受付もいない。勝手に上がっちゃっていいんだろうか。

向こうにエレベーターホールがある。ある階にしか止まらない。

ルッシロはその階で降りて左の黒いベルベットを押して式場に入った。僕のテープだ。ごく普通の光景。映っているのは同じ顔だった。

遺影には「RUSSILO」って大人になった軍隊に行くような僕。

「何で俳優にならなかったんだ」僕は両拳を柩に打ち付けた。

「どうして死んだんだ!」イブとフォックスに後ろから捕まえられるまで、ルッシロはそう喚いていた。

僕は椅子に座らされた。残っているのは僕だけだった。

燕尾服もやつれているフォックスが電話を取っている。

「一体何なんですかこれ」

「自分の子供と同じ値段出すそうだ。代わるかい?」

「一体誰なんですか」

ルッシロは小切手をもらった。小切手をもらって、イブに求められて握手をした。小切手の使い方も知らないが。

「ケーキでも買って帰りなさい。今日はクリスマスだ」フォックスがルッシロの、その小さい背中を押した。


街行く人々は赤い帽子を被っていないがサンタさんだ。みんな僕の帰りを待っている。

早く行かなきゃ、早く行かなきゃ、と思うのだが足が前に進まなかった。

夢であってほしいと願うからだろうか。

クリスマスなのに。

魔女の乳首のように冷たい。

こんな幸せな家庭はないと誰もが思って暮らしている。

もうイブにもフォックスにも会えないが。


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