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悪趣味。
斯様な捨て台詞と共にリリィはその場を立ち去り、ディアナは黒髪をかき上げながら、「泣かなかったな」と彼女の気丈さを厄介に思った。
痛みで泣くのではない。激痛をチラつかせて涙を浮かばせるのではない。
自身と比べてこちらの方が圧倒的に立場が上であると分からせたつもりであるのだが、威圧的な態度に臆した様子はないのだ。それどころか、雑草魂……踏ん張りと跳ね返りさえも感じる。それに痛みで蹲ることはあっても、態度が膝を付くことはなかった。
ディアナ・グラナディラは、生来勘の鋭い女性である。いや、鋭利に感覚と勘を研ぎ澄まさせなくてはいけない環境にあったゆえ、鍛えられた勘の良さを持っている。
彼女は第一王子のイスタル・ダンプティの正式な婚約者であることを幼い頃から約束されながらも、その立場と身の上は絶対なものではない。王家は血統書付きの血筋を大事にしつつも、次期国王が暗殺されること自体、どの国においても珍しいことではないことは周知の事実だ。稀ではない事態に備えて、第二・第三王子なる兄弟がいるのだが、最悪の場合、どこの馬の骨とも知れぬ輩であったとしても婚約の方は成立するのであった。
その理由は男系子孫であるだけではなく、妾……一夫多妻たる正室と側室の存在があった。男系子孫はともかく正室云々は国を存続させる意味――正式な王たる国の後継者を生み、そして育む意味合いにおいて重要なものになっている。人によっては女性軽視を唱える人が一定数いることは確かだが、将来的に正妻が約束されているディアナにとってその立場は、物心の付かない幼い頃からの公的約束とは云えども、絶対視していない。
実際、ディアナを後目に公家の立場に近い貴族の娘がイスタルに近寄ることなど幾度となくあった。その度に彼女は牽制し、廃し、立場と足場を揺るぎない盤石なものにしていたが、彼女自身はそこまで攻撃的ではなかった。
例えば――自身より純潔で聡明で正しく、だが時に冷酷で私情を挟まない判断が出来る人がいれば……そういった人物が望めば、いつでも身を引く覚悟をしていたのである。
単なる高貴な貴族の一員に戻り、これまでの肩書がなくなってしまうことにより後ろ指をさされることになろうとも、ディアナ自身よりも『国として正常な状態になる』というのであれば少しも惜しくはない。正直な話、彼女よりも相応しいと思える人に出会ったことが数度あるのだが、その少女らはそういったことは望まない、野心のない可憐にして苛烈な花だった。