表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
98/125

98

 また、それでだけではない。

「俺を含め、村長もダンも、だいたいイリスに甘いんだからな。」

 本音がポロリと、セドリックの口から出る。

 いままでも、そうだ。

 いつだって、そうだった。

 彼女は幼少の頃から無邪気な笑顔で、村の大人たちに無茶なねだりをしてきた。

 図書室の書物を外へ持ち出す許可もそうだ。書物は一介の農民が気軽に買えるものではない、とても高価な物だ。ましてやこの村の図書室の書籍の中には、この村へ村の先人たちを導いた導師から賜ったといわれている書物もある。

 そもそも、このような農民が暮らす村にあまりにも不似合いな図書室があるのは、導師から賜った書籍をどのように保管し、後世に残していくか。また、導師からの、導師がこの地を去っても知識を得続けることを教示として伝えた結果の、農村地に似つかわしくのない、図書室の建築と村人による運営だった。図書室を運営するためには、導師から賜った書物数冊ではもちろん成り立たないため、村営費から数年に1冊程度、書籍を買い求め、何代にもわたりここまで書物を増やしてきた。それはひとえに、導師からの教えを忠実に守り、引き継いできた賜物だ。いわばそれらは何ものにも代えることができない、代々の村人たちが大事に守り、蓄えてきた村の財産だ。

 そのため、図書室の書物はどれであっても図書室からの持ち出しは禁止であったし、それはこの村の中では至極当然の不文律だった。図書室外へ持ち出す、といった発想は誰も思いつかなかった。

 それを彼女は、得た知識を確認するために持ち出すことの許可を、当時の村長であったフォルスに、無邪気な子どもの願いとして要望したのだ。

 無論、その要望は聞き入れられるものではなく、定期的に行われている村営会議の議題に取り上げられもしなかった。

 普通の子どもなら、それで諦める。そもそも図書室から持ち出す、なんてことは思いつきもしない。この村に生まれ育った者は、村人たちが書物をとても大事に取り扱っている姿を、生まれたときから見てきているし、そのように教えられて育つ。書物は図書室で、図書室の管理人の目の届くところで手にするのが、息をするのと同じくらいの、この村での常識だ。

 つまりイリスの図書室の書物を外へ持ち出したいといった願いは、村の当然の常識を覆す衝撃的なものだった。

 しかし、彼女は書物に、特に図鑑に記載されている内容は、事実と照らし合わせて学ぶものだ、と。そうすることが、書物本来の力が発揮され活きるのだ、と声高に主張した。子どもながらに弁の立つ彼女のその訴えは、一度は退けられた村営会議の議題のテーブルに乗り、当時の村の役員たちの議論の末、図書室の管理人と共になら、といった制限つきの許可が下りた。

 そしてそれは、彼女の弁の立つ訴えが認められた、といった理由だけではなかった。なによりも、彼女があまりにも優秀な子どもだった、ということが大きかった。イリスの才を育てるために必要ならば、といったことが最大の理由だった。ただ、図書室の書物を制限つきとはいえ外への持ち出しの許可へと、その結論に至った経緯には、当時の村長だったフォルスや補佐をしていたセドリックの、村人への多大なる説得が後押ししたことも事実だ。フォルスやセドリックが、イリスの才を伸ばすことが、この村の発展に重要だと、そう考え、当時の村役員だけではなく、村人たちに説得したからだった。

 かくして、書物の外への持ち出しは、図書室の管理人と共に、といった制限つきではあったものの、最終的にはイリスの望むとおりとなった。

 しかし、それ以外にも彼女が発してきたいくつもの、一見無茶だと思われる願いには、たいてい、納得できる理由があった。

 それらのことから、彼女は常識を常識として捉えることがない才にも長けていて、それは凝り固まった村の風習に新鮮な風穴を開ける才でもあった。彼女の無茶な願いの中には、村の生活に役立つものも少なからず、あった。

 だから、村の者はイリスが子どもであっても、彼女の言葉にいったん耳を傾けた。その内容が、どれだけ村人からしてみれば常識外だったとしても、村の者は一度は彼女の言い分を飲み込み、その意を咀嚼していた。そのことは、今も同様であるし、むしろ王都から戻ってきた今の方が、昔よりも彼女の意見を伺うことが多い。

 とはいえ、辿り着く先が結局は村のためになるとはいえ、彼女の願いの全てが全てそうではないことも確かではあるし、またその思いつきの発端は、彼女の持つ興味のその欲求を満たしたい、といったわがままにも思えることだった。

 それでも、無邪気な笑顔で願い事を口にするイリスには、実績も背後にあるせいか、誰もが彼女を無下にできず、いったんは彼女の言い分を受け入れてきたし、彼女の要望を村営会議の議題としてあげて検討している。

 今回の『導師 アシア』の成す務めの手伝いをしたい、といったこの申し入れも、根幹はイリスの、彼女自身の欲求を満たしたいといった、願いだ。

 そもそもたんなる『人』である者は、『導師 アシア』が成したいといった導師の務めの手伝いをしたい、といった、そのようなことは思いつきもしない。『導師様』の伝話を聞かされ、育ってきた村人ならば、特にそうだとセドリックは思う。

 アシアと友人関係だ、と自負しているセドリックでさえ、『友人 アシア』が臨む『導師 アシア』のこの村で成したいと口にする導師としての務めの手伝いをセドリックが申し入れる、といった考えが頭の中、掠りもしなかったのだ。アシアとは友人関係を築いているといったセドリックでさえ、『導師 アシア』の導師としての務めとの言葉には、やはり畏れ、が顔を出す。そこに『人』が介入するなんてことなど、『導師』は神に近しいお方ゆえ、思いつきもしない。

 それを、イリスはその障壁が無いかのように、彼女が彼女のしたいことを思うまま、『導師 アシア』へ申し入れたその行動は、『導師様』を畏れるセドリックをはじめ村人からすれば、わがままにも見えたし、良い意味で常識を覆す大胆な思いつきにも思えた。

 また彼女の言い分は、そのとおりだとも、セドリックは深く納得していた。

 それは多分、セドリックだけではない。

 セドリックの前に座る、セドリックと共にため息をついたフォルスもそうであるだろうし、斜向かいに座って口を挟むことなく、ただコトの成り行きを静観しているダンも、そうだと思う。

 伝聞ではなく、確実に正確に後世に残るような形での方法を、というならば、イリスが提案するように『導師 アシア』が教授するその内容を書きとめ、でき得るなら書物といった形の物に仕上げたい。『導師 アシア』の教えを書きとめ書物としてまとめるのなら、当然『導師 アシア』が成す務めのその傍で、という考えに至るのは自明の理だ。

 ただ、そこまでの考えに至り、またその考えを、『人』が神に近しい『導師』へ言上すること自体が、イリスでしかできないことだった。

『導師』としての務めを果たしたい、とアシアが口にした時点で、セドリックにとってアシアは『友人 アシア』ではなく、『導師 アシア』だった。アシアは、セドリックが物心ついたときから崇め奉る神に近しいお方である、『導師』様になった。

 それは、身に染み付いてしまっている、この村に代々にわたって語られてきた一種の宗教観だ。物心ついたときから植えつけられてしまっている考えや価値観を覆すことなど、一朝一夕には難しい。しかも、その価値観が間違っているのではないか、といった疑念などを持つことが全くなく、『導師様』を崇拝しているのだから。

 しかしイリスは、彼女もこの村で生まれ育ち、物心ついたときからセドリックたち他の村人と同様に植えつけられてきているはずのその価値観を、なのに彼女は彼女の持つ好奇心や知識欲の前では、それをいとも簡単に覆すことができる。

 それはやはり彼女の特筆すべき、才だ。

「いえ、セドリック。僕はイリスの言うとおりだと、本当にそう思っています。僕の言葉を、知識を村人の方たちにわかりやすい形で、誰もが理解できる言葉で残した方が良いと、イリスの提案に納得した結果による、承諾です。」

 よろしくお願いしますね、イリス、と、アシアは子どものような好奇心と期待に満ちた瞳で、表情で、アシアへ視線を向けてくるイリスに、アシアはそう言いながら、柔らかな笑みを向ける。

 そのアシアの表情は、謁見の場の時のような導師然としたモノではなく、いつもの表面上だけの笑みでもなく、それはアシアもどことなくこの話の流れに楽しさを持っているようにセドリックは見えた。

「まぁ、アシアがそう言うのなら、いいんだが。」

 イヤならイヤだと口にして良いんだからな、と、アシアのその少し楽しげな笑みを浮かべるその表情を見ても、まだ少し心配げにセドリックはアシアへそう告げる。

 少し心配げなそのセドリックにアシアは礼を述べると、無邪気な笑顔を浮かべてどことなくうきうきしている雰囲気を漂わせ始めたイリスの名を呼び、

「ではイリス、その時になれば、僕から声をかけますね。」

 とアシアは声をかけた。イリスはそのアシアのその言葉に、

「光栄です、導師様。導師様の助手の務めが果たせる日を、心よりお待ちしております。」

 無邪気な子どものような笑顔から、研究者の表情へと変化させた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ