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アシアは心の底から、セドリックと友人関係を結ぶことを、それを継続した関係を切に願っている。
けれども。
それがなぜ、『人 セドリック』なのか。
『導師 アシア』と同じ魂の格である導師ではなく、『人 セドリック』なのか、アシアは自分の心の動きであるにもかかわらず、理由が今もわからない。
ただ、本当にアシアはセドリックが気に入った。人との付き合いなど、面倒なだけだったのに、彼との関係を、縁を結ぶことを望んだ。
どの場面で、いつ、彼を気に入ったのか。
セドリックと初めて出逢った宿屋の食堂で、彼から声をかけられたとき、アシアはセドリックのことを疎ましく思ったのは、正直な気持ちだ。
そうでなくとも、アシアがノィナを買う、といった、自身が理解できない行動を取り、その行動の説明が自身にまだできてない状況下で、さらに他の『人』との関わりを持つことは、煩わしかった。しかも、アシアが名を与えたディフは、アシアが名を与えたが彼の魂は『人』のままであり、『導師』の魂の片鱗さえなかった。多分にディフはこのまま『人』として人生を歩むのだろうと、見えてきたときだった。
そのディフの、これからの処遇のことを考えなければならなかった。他のことに神経をめぐらすことは、面倒に思えた。
だから、声をかけてきたセドリックを邪険に扱った。
いつもの微笑を浮かべて、関わりを絶ったのに。
なのに、セドリックは挫けることなく、アシアからの微笑のメッセージに気付かないふりをして、アシアとディフの間に押し入ってきた。今までのアシアの経験から、そのような『人』の図々しさに辟易をしてきていることもあって、きちんと関係を断ち切るためにそのときも反応せず無視を決め込もうとしたのに。
それなのに、セドリックには応じてしまった。
それは、セドリックがディフをいちばんに気にかけてくれたから、かもしれない。
彼の人懐こく暖かな、アシアの好きなオウカ国の場所の気と似ているこの笑顔が、アシアの心のどこかに刺さったから、かも知れない。
だから、なのか。アシアは何かを考えてではなく、無意識にするり、と、彼を夕食の場を共に、と誘ってしまっていた。アシアのその言動に、ディフが少し驚くほどに、いつもと違った対応をしてしまっていた。
「ありがとうございます。セドリック。」
セドリックが発した、セドリックの気持ちがこもった強い言葉に、アシアは礼を述べる。セドリックのその言葉は、純粋にアシアは嬉しいものだった。アシアが欲しかった言葉だ。
セドリックはアシアのその礼の言葉に、
「アシア。コレはアシアが礼を口にする場面じゃない。たんなる俺の本音を言ったまでだ。」
ニッとアシアへ破顔する。
「友人の俺も、アシアが今望んでいることに大賛成なんだ。むしろ俺がお願いしたいことだ。」
だから、長老に話してくれ、と、セドリックが、いったんその望みを口にすることを諦めようとしたアシアの背中を押す。
アシアが望んだとはいえ、それに応え『友人』としての立ち位置を崩そうとはしない、このセドリックとの縁を、断ちたくない。
セドリックもアシアのことをきちんと『友人』として、彼の中で受け止めてくれている。アシアだけの一方通行の思いだけでないことは、今までの、そして今の彼の発言から立証されている。
そして、この地はアシアがとても好む、土地だ。
この地に住む、村の人たちも、少なくともアシアが関わった村人たちは、アシアにとって気持ちの良い者たちばかりだった。イヤな感覚を憶えるような、村人には出逢わなかった。
重ねて何よりも、アシアの、『導師 アシア』の部分が、この地に根を下ろして彼らを導く導師としての働きをしたい、と欲している。
「『長老 フォルス』。」
セドリックの言葉と、人懐こい笑顔から背を押された感で、アシアは改めて『長老 フォルス』の名を呼ぶ。
「はい。どのようなことで、ございましょう。」
ゆるゆると、少し怯えの色が残った薄茶色の瞳でフォルスはアシアへと視線を移し、アシアの呼びかけに応う。
そのような瞳を向けられ、アシアは、多分にこのフォルスの反応が『人』の普通なのだろう、と再度気付く。今まで幾度となく、『人』から『導師 アシア』へ向けられた視線だ。
アシアがこの地に居を構えれば、この村人の中からも、アシアへ向ける視線がこのフォルス同様に、怯えが混ざった者も出現するだろう。この村が導師に導かれ栄えた土地だと言い、導師への感謝の念を代々伝えてきたとはいえ、『導師』は『人』からすれば、未知なる恐ろしい者だ。魂の格が違う、とはそういうことだ。『人』は本能でソレを嗅ぎ取る。
そして、このような瞳を向けられ続けられれば、アシアは『人』に疲れるだろう。今のオウカ国で過ごすように引きこもる可能性は、ある。そのような危惧が、アシアの心の中で再び芽を出し、その気持ちのまま、アシアはフォルスの名を呼んだままその続きの言葉を発することなくフォルスを見遣った。
そのようなアシアからの視線に、フォルスの表情が少し変化を見せた。
なぜなら。
その、アシアの浮かべるその表情は、先ほどまでの導師然としたモノとは違い、フォルスにはあまりにも弱々しく見えたからだ。
それは、フォルスの中にあった『導師』に対する何かが、拭われたかのようだった。突然に、フォルスの目には今の『導師 アシア』は、村の青年たちとたいして変わらないように映った。
「なんでございましょう。『導師 アシア』様。」
フォルスの瞳にあった怯えの色は消え、震える声も、身体もいつしか治まっていた。普段とおりの、落ち着いた声でフォルスは『導師 アシア』へ問うていた。
『導師』様は『神に近しい』お方だ、と伝話の中からフォルスはそう受け取っていた。『導師』は『人』の生活の中にある身分の違いなどといったものではなく、そもそもの成り立ちが違う者、だと考えていた。
それは、そのとおりだと思う。フォルスのその考えは、感覚は間違ってはいないと、今もそう感じている。『導師 アシア』は先ほどまで、人が決して発することができない何かを、神々しい、人の言葉では表すことができないようなモノを纏っていた。それはたんなる『人』にとっては近寄りがたく、『人』が安易にソレに触れてしまえば何かしらの罰が下るのだろう、と確信してしまう、何かだった。
だから畏れた。
感謝の念と同じくらいに、『導師 アシア』を恐れた。
けれども、今、『導師 アシア』がフォルスに向ける表情や雰囲気は、先ほどの、謁見の場での彼とは全くの別人のようにフォルスには感じた。友人の作り方がわからない、と嘆く彼は、村にいる青年とさほど変わらないように見えた。己に自信なく、愁うその姿は『導師』ではなくまるで『人』のようで、身近に感じる姿だった。
だから、なのだろう。先ほどまでフォルスの中にあった怯えや、『導師』への極端な畏れは、フォルスの中でとても小さくなり、自然といつもとおりの口調での、『導師 アシア』への問いかけとなっていた。
「私たちでできることであれば、なんなりとおっしゃってください。『導師 アシア』様。」
『導師 アシア』に向かって彼は普段、村人へ向ける好々爺然とした笑みを、自然と浮かべていた。
極端な畏れは失礼に当たるのだと、フォルスは気が付いた。『導師 アシア』は極度に奉られることを良しとしないのだ、と今になって理解できた。感激や感謝はもちろん表現して良いとは思う。ただ、敬うことと畏れることとは違うのだ。
フォルスの表情や対応の変化に、アシアの愁い気味だった表情が崩れる。
「僕のお願い事を、聞いてもらえますか。」
おずおずといった感のアシアのその前振りに、フォルスは、はい、と笑みを崩さず答える。
このように切り出す『導師 アシア』のその姿は、村の青年と変わらないように、フォルスには見える。まるで普通の青年のようだ。
アシアはフォルスからの応えに、一拍目を伏せたあと、顔をあげ、
「僕はオウカ国から、この地に居を構えたい、と望んでいます。正確にはこの村の森に、ですが。そのことの許しを、この村の長老であるフォルスの許しを得たいのです。」
フォルスの瞳を捉えて、アシアの願うことをそう口にした。