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フォルスの怯えが収まらないどころか、更に怯えが色濃くなってしまったその様子に気が付いたセドリックが、
「アシア。そんなふうな言い方だと、誤解が生まれる。」
アシアのその発言を窘めた。しかし、フォルスの怯えが宿った瞳の色は変わることなく、フォルスはその眼差しでアシアからセドリックへとゆるゆると視線を移す。組まれている彼の両手は微かにだが震えたままだ。
「っていうか、長老はもう誤解しているようだな。」
セドリックはフォルスから、怯えとセドリックに対する不憫の色が混ざったような視線を受け、軽くため息をついた。
アシアのフォルスへ説明したその表現では、セドリックがアシアからのその頼みを下知だと受け取ってしまったくだりと一緒だ。『導師 アシア』による下命から、『人 セドリック』はその申し出を受けざるを得なかったというように、捉えられてしまう。
現にフォルスはそう捉えてしまっている。フォルスの隣に座っているダンもアシアの発言をそう捉え、フォルスと同じように怯えた色でアシアを見たあと、次いで気の毒そうにセドリックを見ている。
そもそも『導師』と『人』とのフラットな立ち位置での友人関係など、あり得ないとの考えが普通だ。『導師 アシア』が『人 セドリック』へ頼んだ、との発言であれば、当然ながらそれは『導師』から『人』への下知であり、『人』はその下知に逆らえないと捉えるのが当然の思考だ。
「あぁ、そうですね。」
セドリックから窘められ、アシアはセドリックとの大木での出来事を、その後のセドリックの家の厨房でのやり取りを思い出した。セドリックも最初はアシアとの友人関係の始まりに関しては『導師 アシア』からの下知だと捉え、アシアからの友人になって欲しいとの頼みを聞き入れ、友人としての振る舞いをしていた。
心の中では『導師 アシア』への畏れを抱いているにもかかわらず、『導師 アシア』への過度なる畏れを抱いていない体で、一見、友人といった気安く見える態度でセドリックはアシアと接していた。アシアに気付かれないように注意を払って、友人を演じていた。
確かにセドリックはアシアからの申し出を、『導師 アシア』の下知と捉え友人を演じていた部分はあったようだ。しかし、アシアはセドリックと厨房の一件以降の彼との会話の中で、セドリックは当初からアシアとの友人関係を築くことに関してはイヤではなかったのだと、アシアはそう受け止めている。
なぜそう感じているのか。
アシアはなぜセドリックの感情を、そのように捉えているのか。
それはただたんに、アシアの希望的観測によるもの、なのかもしれない。
が。
アシアは、その水色の瞳に少し困ったような色を滲ませてフォルスたちを見遣っているセドリックへ、視線を移す。アシアからの視線に気付いたセドリックが、まいったな、とアシアにだけ聞こえるような小さな声を落とし、苦笑を浮かべてきた。
アシアへ向けたその中には、彼のいつもの人懐こさが宿る笑顔も混ざっていて。
その、人懐こさが混ざるセドリックの笑顔を向けられて、アシアは宿屋でセドリックに初めて声をかけられたそのときの状況が脳裏に蘇ってきた。
あのときもセドリックは、アシアから静かな笑みを向けられ、関わるな、と拒絶されたにもかかわらず、彼はアシアへその人懐こい笑顔を向けてきた。そしてアシアを、ディフを虐げている売人ではないかといった疑いの眼差しで、次いでディフの保護者としてどうなのかといった検分の瞳でアシアを観察していた。
反してディフへは、とても優しい瞳を向けていた。
「でも、僕からセドリックに、友人になって欲しい、とお願いしたことは事実です。」
アシアは、セドリックから窘められたものの、怯えた瞳でアシアを見る、憐れんだ瞳でセドリックを見遣るフォルスとダンに、今までの導師然とした微笑とは違い、少し翳りを伴った微笑を浮かべる。
「だって僕は、友人を作る方法を知らないのです。お願いするしか、僕は方法がわからないから。だから、セドリックに頼んで友人になってもらいました。」
友人なんて、頼んでなってもらうものじゃない、とノアから教えられている。アシアも、そうだと理解している。頼んだからといって、友人関係が築けるとはもちろん思ってはいない。
最初、大木の下でセドリックにそう願ったときには、断られる、とアシアは諦めの気持ちもあった。諾との返事が返ってくるとは、正直思ってはいなかった。
そしてそれは、いったんセドリックからの諾との返答は、やはり彼にとっては下命だと受け止められていた。『人 セドリック』からすれば、『導師 アシア』からの命だった。
それでも。
思い返せば、セドリックが以前口にしたように、宿屋の食堂の場では、彼はたんなる『アシア』に声をかけ、『アシア』を彼の家にと誘ってくれた。ディフへの気遣いが大半を占めいていただろうとは思うが、それでも彼は『アシア』へ声をかけてくれた。
だからそれは、アシアの希望的観測といったモノでだけはないのではないか、といった思いがアシアにはある。
そのアシアの希望的観測を肯定するかのように、
「それは、少し違うぞ。アシア。」
アシアの重ねての言をセドリックは否定し、少し呆れたようにアシアを見遣る。そして、軽く首を横に振ると、
「長老。」
と、フォルスを呼ぶ。そして、アシアがセドリックに頼んで友人になって貰ったといったその発言に、
「長老もダンも誤解しているようだが、俺は『アシア』が気に入って、『アシア』と友人になったんだ。」
水色の強い瞳でフォルスとダンを見据えて、
「導師様からの下知でも、下命でもない。俺の意思だ。俺がアシアを気に入ったんだ。」
セドリックの気持ちを力強く付け足した。
セドリックのその言葉に、アシアは一瞬目を見開いたが、すぐに嬉しそうな笑みを知らず零す。
そのアシアの捉えている、セドリックもたんなる『アシア』との友人関係を持つことはイヤではないのではないかという感覚には、アシアの、セドリックがそのように思っていてくれたらいいな、といった希望も確かに少しは入っている。その期待する希望は、今までアシアが歩んできた人生の中で、一度も持った事のない望みだ。むしろどちらかといえば、『人』との関わりについては今までは、煩わしさがアシアの中で大部分を占めていた。
『導師』としての役割を果たしたい、といった責任感は無論、アシアは持っている。持っている、といった軽い表現ではなく、それは強い思いや意志であり、それらは確かにアシアの心の奥底に鎮座している。『導師 アシア』を構成する根っこだ。
けれどもアシアが望む『導師』としての役割を果たすためには、アシアが煩わしいと感じている『人』と関わりを持たなければならない。ならないのだが、でき得れば浅い関わりでいたいといった、相反する思いが同居する。
なのに。
『人 セドリック』へは、アシアが頼んで友人になってもらった。
厨房での一件以前も以降も『導師 アシア』からの下知ではなく、セドリックもアシアのことを気に入ってくれているのだと、アシアとの友人関係を築くことをイヤだと思っていないのだと、そう望む気持ちが、アシアの中に座する。アシアはこれからも、この先も、彼がその生を終えるまで、セドリックとの縁をつないでいきたいといった望みがある。
それだけではなく。
セドリックがセドリックとしてのその生を終えても、彼の魂が再びこの箱庭で生を受けたならば、またそのセドリックの魂の核を持つ『人』と縁をつないでいきたいとも願っている。
だからこそ、彼もアシアのことを気に入っているのだとアシアは思いたい。否。それはアシアの希望的な憶測だけではなく多分、セドリックもアシアのことを気に入っているのだろうとは、思う。でなければセドリックがアシアからアシアの導師の威圧を受けてまで、アシアと友人関係を継続している現状を説明できない。『導師 アシア』としての姿ではなく、アシア自身でさえ知らなかった、泥臭い、素の『アシア』の姿を彼は見せつけられても、アシアから離れることなくいまだ友人として接してくれている。アシアのことを考えて、『導師 アシア』へ慄きもせず、『アシア』へ諫言をもしてくれる。
そのようなセドリックから受ける対応に、いまだ彼が『導師 アシア』からの下命で、アシアと友人関係を築いてくれているとはアシアは思えなかった。