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ディフのその言葉に、
「オレと父さん?」
少し驚いたように聞き返したジョイに、ディフはうなずき、
「ボク、ジョイのように、なりたいんです。」
そう、言葉を続けた。
ディフが続けて付け加えたその名前に、ジョイはひぇっと、素っ頓狂な声を思わずあげる。
そして身を乗り出すと、
「オレっ!?」
勢いよく自身を指差し、
「父さんや導師様、じゃなくて?」
聞き間違いや言い間違いではないかと、ディフに確認した。
ジョイは当然、それはディフの言い間違いかと思った。彼が目指すのは、憧れるのはジョイの父であるセドリックや、ディフが慕っている『導師 アシア』のはずだ。ジョイは自分が年下の者から憧れを抱かれるような実力を持つ人物ではないことは、自覚している。
見てくれは自慢ではないが、ありがたいことにエイダに似て、とても良い。それは、ジョイは自信がある。
ただ、それだけだ。
見てくれが良いだけでは、誰かの憧れになったり、人の輪の中心に担ぎ上げられたりすることは、ない。ジョイは自分が実力はもちろんのこと、カリスマ的要素がないことは、重々承知している。ジョイは人の輪の中心に位置するよりも、どちらかといえば、おどけ役の盛り上げ役だ。人見知りすることがないため、知り合ったばかりの随分年上の人物とも、かなり年下の子どもたちともすぐに親しくはなれるが、そこまでだった。可愛がられはするが、『父 セドリック』のように、信頼を得るところまで辿り着けない。
なので、ディフからからかわれているのかとも思ったが、
「ボク、セドリックさんに信頼されている、ジョイのようになりたいんです。」
ジョイのその問いに頭を振り、深い藍色の瞳を真っ直ぐに向けてくるディフからは、その言葉が決してジョイをからかうためのものではないことは、ジョイにしっかりと伝わってきた。
そもそも、ディフが人をからかうような、そのような人物ではないことをジョイは理解している。彼はまだ、大人を、他人を信じるところまでに至っていない。大人や他人と気安く冗談が言えるような会話ができるところまで、彼は他人を信用してはいない。
そのように言ってしまえば、ディフが擦れた子どものように聞こえるが、そういう意味ではなくて、彼が他人を信じていないのは、彼が彼自身を守るためだとジョイはわかっている。ディフは自分が相手に返す、相手に向ける言葉や態度の選択を間違えれば、その相手から怒鳴られ、殴られるのだと怯えている。
誰だって、怒鳴られたり殴られたりするのはイヤだ。対等な立場同士の言い争いや殴り合いの喧嘩ですら、ジョイは苦手だ。そのようなやり方の交流は、したくはない。理性で以って話し合いをして、お互いが納得できるところまで交渉し解決する事のほうが良い、とジョイは思っている。怒鳴り合いや殴り合いは、建設的ではない。
ジョイがついおどけてしまうのは、ソレを避けるため、なのかもしれない。場が和めば、話し合いに持っていける可能性が高まるからだ。
それに父であるセドリックも、村の大人たちがジョイたち若者に向かって時々言う「拳で語れ」的な暴力の推奨はしていない。
ジョイはセドリックから殴られた記憶は、ない。物心ついてから今までの間、怒鳴られたことは何度かあったが、それは怒鳴られることをしでかしたのだと、ジョイ自身が納得できる理由があった。
セドリックは、身体つきは村人の中でも大きいほうで、真顔のときはどちらかといえば強面だ。笑うと人懐こい笑顔になるそのギャップに、初対面の人はたいてい戸惑っている。
強面で地声も大きいところから、宿屋の食堂などでセドリックのことを知らない旅人から絡まれるようなことが、ジョイを連れ立っているときに何度かあった。そのときの様子からこの父はジョイたち家族を連れず、独りでいるときにも絡まれることはあるのだろうな、とジョイは思っている。
セドリックは農民、といった力仕事が主な職業柄、腕っ節は強い。その上に身体つきも大きい。村人たちが戯れで行う腕相撲では、負け知らずだ。そろそろ年齢的にも体力的にも、と弱気な言葉を口にすることが出てきたが、それでも今のところ、負け知らずだ。
だから、殴り合いの喧嘩でも、負けないのだろうな、とジョイは推測しているが、セドリックが絡んできた相手と暴力による解決方法を取ったところを、ジョイは一度も見たことがなかった。
この体躯、強面でありながら、セドリックは対話、論議、討論好きだ。だからセドリック家ではことある毎に『家族会議』が開かれている。その『家族会儀』という行事は、ジョイの物心がついたときから行われており、家族間で論議することが当然で、習慣として身に付いていた。家族に関係する問題や課題がでてくれば、その日の夕食後に、解決策を探るための話し合いをしてきていた。ジョイやジョイの姉といった子どもの浅慮な意見にも、セドリックとエイダは頭から否定せず、なぜそのように考えたのか、理由まできちんと言葉にさせた。この『家族会議』は、セドリックとエイダが意図していたかどうかはわからないが、子どもたちの論理的思考を養う場となっていたと思う。
だからジョイは、どの家庭でもこのような『家族会議』が開かれているのだと、ある程度の年齢になり、幼馴染からそのようなことをしていないと聞かされるまで、そう思っていた。たいていの家は、父親もしくはその祖父が家長として家の中を取り仕切り、家長の意見が最優先となり、それに従うのが常のようで、家の中の些細なことなら家族間で話し合い、家族の意見を取り入れて物事を進めるセドリックの家が、いわゆる一般的な家庭ではないのだと知った。
母であるエイダも弁が立つ。それはエイダの出自から、そのように育てられたのだ、と当人であるエイダからジョイは聞かされていた。エイダの実家は、隣の領地で5本の指に入るほどの大きな商家だ。商売柄、家族間の会話でも論議することが多かったようだ。
それにセドリックもエイダも読書好きであり、生きていくうえでの情報や知識、智慧を得ることが大切だと、ジョイやジョイの姉に幼い頃から本を与えてくれていた。書籍を得ることができたのは、エイダの出自のおかげもあり、この環境はジョイたちにとって幸運なことではあった。
また、この村にも図書室があり、数十冊の蔵書を抱えていた。この村で生まれ育っているジョイにとってはその風景は普通で、その施設は、どの村にでもあるものだと、ジョイは思って育ってきていた。
本がとても高価な物だと知ったのは、この村にやってきた行商人から、その行商人が持っていた本の値段をジョイが訊ねたときだ。行商人が持っていた本は決して専門書のような類のものではなかったのだが、行商人が提示した値段は目の玉が飛び出るくらい、高かった。
ジョイが幼い頃は、本はとても大切な村の財産だ、と、本を大切に扱うよう厳しく言いつけられてきたが、家の中にも常に数冊はあり、この村にも図書室があって出入り自由だったことから、本は決して安いものではないとは思っていたが、ジョイが思っていた以上に、本は高価なものだった。本来なら、一介の農民が手に取るようなものではなく、ましてや農民の家に本が置かれているなど、あり得ないことなのだと知った。
一介の農民では持ち得ない知識があり、弁が立つ。
強面の顔から繰り出される、人懐っこい笑顔。親しみやすい雰囲気。
セドリックは売られた喧嘩を、自分の得意なフィールドに引きずり込み、暴力ではなく対話で、論議で、喧嘩を売ってきた相手といつの間にか旧知の仲のような関係へと結んでいっていた。
ただそれは本と触れ合い、知識や智慧を得る機会が幸運にもあったから、だけでは得られないものだ。そうであれば、この村には図書室があり、村人皆が何かしら書物を手にできる機会がある。図書室には、常に、とは言わないが、それら書物を読み解き、わかりやすく教えてくれる『先生』役の村人が存在していた。村の皆が同じような条件の下で暮らしているのだから、村人全員の弁が立っていても良いはずだった。それなのにジョイが知る限り、セドリックのような他人をその懐に入れてしまうような立ち振る舞いができる人物は、この村では見当たらない。
そう、セドリックのアレは一種の才能だ。特殊能力だ。
それが、その光景を初めて目の当たりにしたジョイが持った、『父 セドリック』への感想だった。
暴力での解決は、再び暴力を生む。それは、真の解決ではない。圧で相手の不満を押さえ込んでいるだけだ。その不満が膨張し、押さえ込めなくなって弾ければ、再び暴力での解決となる。そしてそれは、繰り返される。
セドリックはその方法を、基本的に取らない。自分も相手も納得できる落としどころを話し合いで探り出し、解決している。最後はお互いが握手をして、笑顔で別れている。時には喧嘩を吹っかけてきた相手を、自宅へ招いている。




