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しかしこれからは、彼を買った『導師 アシア』がディフを、暖かな場所へ連れて行ってくれるのだと、ジョイは信じている。
大人から酷く虐げられて生きてきたディフが、こんなにも『導師 アシア』を慕っている。
ディフを買った『導師 アシア』を、信頼し、心の拠り所にしているのが、ディフのアシアへ向ける表情や態度から、ジョイはそう見て取っている。
それは、ディフが彼を買った『導師 アシア』に向ける表情や態度が、以前、ジョイが見かけた行商人の中に混じっていた、あの子どもたちとは全く違っているからだ。あの子どもたちよりも、ディフには笑顔が見られる。とはいってもディフは、この村の子どもたちと比べると、まだまだ表情の変化は乏しいが、それでも、ディフが発する雰囲気は、あの子どもたちよりもジョイは明るく感じる。
『導師様』は、生きるのに困り果て、死と隣り合わせのギリギリの状況だった、この村の先人を、この豊かな土地に導き、先人たちが生きていくための術を、知識を、智慧を惜しむことなく教えたもうた、慈悲深きお方だ。伝話では、そう語られている。
ゆえに『導師 アシア』も慈悲深きお方に、違いなく。
だから、偶然にも出逢った『人の子』であるディフへ、その救いの手を差し伸べたのだろう、とジョイは思っている。
「導師様は、優しいお方だよな。」
つい、ぽつりと呟いたジョイのその言葉に、少しうつむき加減だったディフは、ぱっと顔をあげるとジョイを見て、嬉しそうにはにかみ、小さくうなずいた。
そのような表情のディフへ、
「ディフは、ホントウに導師様が大好きなんだな。」
ジョイもつられて嬉しそうにニパッと笑う。
大人がその側で、少し手を挙げるだけで怯えるこの子どもが、ジョイが落とした小さな呟きに、すぐさま嬉しそうに反応するこの様は、ディフが『導師 アシア』をとても信頼しているなによりの証だ。
けれども。
ジョイの次いで出たその言葉に、ディフは藍色の瞳を少し瞬き、
「大好き?」
不思議そうな声音で、ジョイに聞き取れるかどうかというくらいの小さな声で聞き返した。
ジョイが思ってもいなかった、ディフのその違う反応に、ジョイも、え?と思わず聞き返した。
ジョイは当然ディフからは、先ほどのジョイが呟いた、アシアは優しい方だとの科白に反応した、嬉しそうにうなずく姿が返ってくると思っていた。しかし、反して返ってきたのは疑問符だった。
「ディフ、導師様のこと、大好きだろ?」
今までの、ディフがアシアに対して見せている態度からは、ディフがアシアのことを嫌っているようには、ジョイには全く見えなかった。
ディフはアシアに懐いているように見えているし、その中にはディフを買った主への阿っている感は、ジョイには感じなかった。純粋に、アシアのことを慕っているようにしか見えなかった。
なので、つい同じ言葉をかける。
しかし、それにもディフは、ジョイが期待したような反応ではなく、藍色の瞳を少し瞬くだけだった。
実のところディフはアシアのことが大好きか、と問われても、ディフがアシアへ持つ気持ちがその言葉に集約されるのかが、よくわからなかった。
セドリックやエイダ、ジョイ、ウルフのことが好きか、と問われれば、それには素直にうなずける。ディフはセドリック家の人々のことは、好きだ。誰もディフに辛く当たらないし、ディフがヘマをしても、ディフを殴ったり、怒鳴ったりはしない。罰だと称して食事を与えてもらえないこともなく、むしろお腹がいっぱいになっても、もっとどうぞ、とディフに与えようとしてくれる。とても、とても親切だ。
できればセドリック家の人々からは嫌われたくない、と思う。
アシアも、同じように優しい。食べるものはディフに優先的に与えてくれる。もちろん、アシアから殴られたことはないし、怒鳴られたこともない。
セドリック家の人々もアシアも、ディフに優しく接してくれている。それは、とても嬉しい。けれどもディフがアシアへ抱く感情は、アシアと同じようにディフへ優しく接してくれている彼らに抱く感情とは、どことなく少し違っていて。
ディフはジョイに限らず、セドリックやエイダからも、アシアのことが好きなんだな、と言われる。そう訊かれれば、素直にうなずいてきたが、実のところディフにはよくわかっていなかった。
アシアのことが好き、と言うよりは、アシアから捨てられたくない、がディフの根本にある感情だった。
アシアから、いらない子だと思われたくない。お荷物だと、認定されたくない、が、ディフが持つ、アシアへの感情だった。
もちろん、セドリックやエイダ、ジョイたちからもお荷物だとは思われたくはない。できれば、嫌われたくはない。嫌われて辛く当たられれば、悲しい。でも、ただ、それだけだった。
セドリックたちからいらない子だと認定されたとしたら、と想像しても、ディフの中に湧いてくるのは悲しいだけであって、アシアから捨てられたら、ディフ自身が終わってしまうような、そのような切羽詰った感はなかった
アシアから捨てられたら、ディフはもうどうして良いのかがわからなくなる。想像するだけで、胸が締め付けられて苦しくなる。悲しくなる。泣きそうになる。だから、いらない子、だといってアシアから捨てられないために、アシアの役に立つ人物になりたい、と自分ができる範囲より少し上を目指し始めたところだ。
そう思ってしまうのは、願ってしまうのは、皆が言うように、ディフがアシアのことが好きだから、なのだろうか。
けれども自身がアシアへ抱くその感情を表す言葉は、好き、だという言葉ではないようにディフは思う。その言葉は間違ってはいないけれども、でも何となく違っていて、違和感がある。アシアへの感情はもっとディフ自身を構成する、ディフの根っこの部分に抱いている感情であり、それを言葉に表現することは、ディフは自分の抱く感情であるのだが難しく、できない。
アシアのことが好きだから、慕っているから、だからアシアからいらない子認定されることに、こんなにも怯えているのでは、ないと思う。
アシアのことは、ディフはもちろん、嫌いではない。好きか嫌いか、で問われれば、好きに決まっている。アシアのことがイヤだったら、こんなにもアシアから捨てられることに、怯えはしない。
それは、『だんなさま』であるアシアへ、図々しくもディフの父親像を求めてしまったから、だろうか。アシアとディフの関係を、父子関係への憧れとして抱いているからだろうか。
ディフはアシアのことが好きだから、アシアへ顔も知らない父親を重ねているのではない。アシアのことを何もわからなかった、アシアがディフの手を取ったあの路地裏での瞬間から、ディフはアシアの中に、父親を見ていた。
今回はジョイの親しみやすさで、つい、ディフも素直な感情を表してしまっただけだ。見遣った先のジョイは、どことなく困惑したような表情を浮かべている。本来なら、アシアのことが大好きなんだな、のジョイからの言葉かけに、素直にうなずくべきところだったのだろう。
「あのボク、アシアのこと、ジョイが言うように大好きです。」
この場の雰囲気を察して取り繕うように、そうジョイに答えるディフは、先ほどの嬉しそうな、はにかむような笑顔ではなくて、少し困ったような表情を浮かべている。ディフ自身は気付いていないようだが、発している言葉と表情がバラバラにジョイには見えた。
そのディフの様子にジョイは、もしかしたら『導師 アシア』はディフを虐げていないのではなくて、ジョイたちの見えないところで密かにこの子どもを、買った奴隷として虐げているのではないか、といった最悪な憶測が頭の中浮かんできた。
が、ジョイはすぐさま、その憶測を振り払い、否定した。アシアの、日頃のジョイたちへの態度から、そのようなことはありえない。考えられない。
アシアは『導師様』だ。神に近しいお方だ。神に近しい方だからこそ、虐げではなくて、やはり厳しさで以ってディフと接しているのではないだろうか、との考えがソレに変わって浮かぶ。
そのように、さまざまな憶測がジョイの頭に浮かぶたびに、ジョイの表情がくるくると変わる様を見て、ディフはジョイが何か大きな誤解をしているのではないかと思い、
「ボク、アシアとは、セドリックさんとジョイみたいな関係になりたいんです。」
慌てて、そう言葉を付け足した。




