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そうは言っても、アシアは『導師様』だ。『人』ではない。普段使いで、人には決して起こすことができない奇跡を、セドリックやジョイ、エイダの前で起こして見せている。
その彼の同伴での今回の森の遠征だからこそ、いつも以上の森の恵みが得られているのだと、ジョイは感じている。
その、神に近しい『導師 アシア』に対して、当人からの依頼とは言え、人同士の付き合いのように『導師 アシア』と日々接し、気負うことなく付き合っているセドリックはなんて豪胆なんだ、と、ジョイの中で改めて、父であるセドリックは尊敬すべき人物と再認識されていた。
『導師 アシア』は、ジョイやエイダに対して、厳しい態度を見せたことはない。ロイの肉の件で一瞬、冷ややかな空気を醸し出したことはあったが、それ1回きりだ。ジョイが彼を敬うことはあっても、彼に対して恐れを抱く何か理由などはない。
買われた身分とはいえ、幼子のディフが、『導師 アシア』をとても慕っている。ジョイがディフと話す限り、ディフは『導師 アシア』に買われた身分であり、彼がディフの生殺与奪を握っているから、といったような理由でアシアに阿っているのではなく、本当に『アシア』を恐れることなく純粋に慕っているのが窺えている。
セドリックの家に滞在している『導師 アシア』は常に穏やかで、柔らかな笑みを湛えている。ジョイが『導師 アシア』を恐れる何か、があるわけではない。
なのに。
ジョイはアシアにおそれを抱いている。
『導師 アシア』は気軽に気楽に、話しかけることができる相手ではない、と、心のどこかで、彼への畏れがある。
ジョイはそもそも、人懐こい。
容姿はエイダに似ていて、端正な顔立ちだ。自慢ではないが黙っていれば、異性にとてもモテる。ただし、黙っていれば、の話だ。
性格は、セドリックにとても似ている、とジョイを知る人たちからはよく言われる。折々に村人から「やはり、セドリックの息子だな」と、良い意味で言われることもたびたびある。セドリックと性格が似ている、と言われるものの、そのことに関してジョイ自身に自覚はない。顔立ちがエイダに似ていることの自覚はあるが、笑った表情や話す内容、仕草が、セドリックにとても似ている、と言われても、そのときの自分を客観視する術がないため、本当にそうなのかがジョイはわからない。しかし、そう言われることはジョイにとって、イヤなことではなかった。むしろ誇らしかった。
セドリックによく似た人懐こい笑顔は良い意味でのジョイの武器となり、初対面の人物であっても、以前からの知り合いであったかのような付き合いといつの間にかなっている。
またジョイ自身が、人との距離が割と近い方だ。人見知りはあまりしないほうだった。
けれどもそのジョイが、『導師 アシア』へは、いつもの気軽さで接することができない。
『導師 アシア』は決して、ジョイやエイダに対して、威圧的な態度を取ってはいないのに、ジョイの心のどこかに導師に対しての畏れが鎮座していて、彼と対面する際は、いつもの人懐こさはどこへやら一線を引いてしまっている。
ジョイが持つ『導師 アシア』への畏れは、この地を治めている領主や王族に対してのモノとは、違う。もっと根本の、ジョイ自身を構成している魂そのものが、彼への畏れを抱いてしまっているように、感じていた。
それは、生まれてから今まで絶えず耳にする、導師に関する伝話を聞かされているからかもしれない。導師は畏れ、敬う存在だと、心に深く刻まれているのかもしれない。
それはジョイの父親であるセドリックもそうであるはずだ。セドリックもこの地に生まれ育ってきている。ジョイと同じで生まれたときから絶えず、導師に関する伝話を聞かされ続け、そして今では語る立場となっている。
なら、セドリックも『導師 アシア』に対して、畏れを抱き、人同士の付き合いのような接し方は難しいはずだった。ジョイと同じく『導師様』に対しての畏れや敬いは、その心に深く刻まれているはずなのに。
なのに、セドリックはその導師からの頼みごととは言え、人同士のような付き合いを現在進行形でしている。
最初、『導師 アシア』がセドリックの家に、セドリックに誘われて訪れたあのときから、セドリックの『導師 アシア』に対する口調は、村人たちと話すような気軽な話し言葉だった。
そう、一見そのように感じたが、微かにセドリックが緊張していることにジョイはすぐに気付いた。それはセドリックとアシアの、会話のリズムの僅かなズレから、ジョイがそう感じとったことだった。
普段、セドリックが知人としている会話ならもう少しテンポ良く、時によってはセドリックは冗談を混ぜながら返答をしている。それが、アシアとの会話では、セドリックはほんの僅かだが、アシアへの返答が遅かった。それは多分、アシアへ返す言葉の内容を一瞬、吟味しているからだろうとジョイは推察していた。
その、いつもの会話とは違うリズムのズレは、他の者では気付けないだろう、といった、ほんの僅かなものだ。セドリックとエイダの息子として生まれ、彼らの間で育ったジョイだから気付くことができた、ほんの僅かな乱れだった。だから、ジョイの母でセドリックの妻であるエイダも、何も言ってはいないが気が付いていたのではないかとジョイは思っている。
村人から信頼され、村長の役目を比較的若いときから担い、誰に対しても臆することなく積極的に関わっているこの父でも、やはり導師を前にすると、畏れを抱くのだと、そう感想を抱いたのだが。
それがいつの間にか、いつからか、『導師 アシア』と『父 セドリック』の距離が、人同士の友人関係のような距離に縮んでいた。
会話のテンポのズレがなくなり、『父 セドリック』は『導師 アシア』に対しても冗談を混ぜながら、また交えながら会話するような親しげな関係になっていた。
『導師』は神に近しいお方だ。ジョイはそう教えられ、育っている。ジョイの中には『導師 アシア』への敬いの他に、恐れ、畏れがある。
当人からの希望とはいえ、神に近しい者へのその不遜なセドリックのその対応は、いずれ罰が下るのではないか、とジョイは恐れ、憂慮し、心配していた。『父 セドリック』の身に、何か良からぬことが起きないか、と。
が、エイダは『導師 アシア』とセドリックとの関係の近さについて、意に介す様子は見られなかった。むしろ反対に、『導師 アシア』と『父 セドリック』の近さに気を揉むジョイに、気にすることはない、と釘を刺してきたくらいだ。それくらいでないと、このセドリックの妻は務まらないのかもしれない。
そして幸運なことに、ジョイが危惧するようなコトは、ジョイが知る限りは起こっていない。『父 セドリック』は『導師 アシア』と変わらず友人関係のような近さで、現在まで日々接している。
今も、そうだ。少し離れた倒木にふたり腰を掛け、物理的にも近い距離で、顔をつき合わせて何やら話し込んでいる様子が、ジョイのところから見て取れる
それはジョイには決して真似できるモノではない。『導師様』を受け入れるほどの、懐の深さも大きさも、そして覚悟もジョイは持っていない。まだジョイがそのような器ではないことは、ジョイ自身がよくわかっている。
そのような父親であるセドリックを、ジョイは尊敬している。
村人の誰からも頼りにされているセドリックは、自慢の父親だ。いつかはセドリックに追いつき、彼を追い越せるくらいの人物になりたい、とジョイは目指している。
今は届かなくても、いつかは『父 セドリック』のようになりたいと、願っている。
そう。この父にいつか追いつきたい、と心底思っているし、追いつけるとも楽観視している。なんといっても、自分を産み落とし育ててくれた母と父だ。父の豪胆さ、母の怜悧さを受け継いでいる、と生来の楽観的な性格からジョイは勝手にそう想定している。ただし、そのための努力は必要だとも、理解している。
今はそのセドリックからジョイは18歳の誕生日を迎えたとたん、自立しろ、と追い出された格好とはいえ、ひとり暮らしをはじめた。実家とは隣同士とはいえ、生活を別にしたばかりだが、それでも実家にいたときとのセドリックのジョイへの対応とは、今は少し違っているように感じている。実家にいたときは、セドリックが物事を決めてジョイがそれに従うことが多かったのだが、実家を追い出されてひとり暮らしを始めてからは、何かとジョイがセドリックから相談されることが多くなったように思う。セドリックがジョイの意見に耳を傾け、ジョイと物事を決める内容を検討することが多くなった。
そのように、以前とは違い、尊敬する父から頼られている感じは、純粋に嬉しい。ただその分、ジョイはセドリックから突き放された感を持つことも多くなった。なんとなく、父子関係の距離ができてしまった淋しさがジョイの中で少し、ある。
けれども、母親であるエイダは違った。エイダはいまだ、何かにつけジョイの世話を実家で一緒に暮らしていたときのように焼いてくれている。母子関係は実家で一緒に暮らしていたときと、変化はない。それは、父親と母親の役割の違いからくるものなんだろうか。
ただ、エイダの今までと変わらないジョイへ世話を焼いてくれるそのことは、ジョイの自立を妨げることになっているとジョイ自身も解ってはいるが、それはそれで、ジョイは助かっているので、感謝しかない。
しかしいつかは、そう遠くない将来には、この『母 エイダ』へも、ジョイへ惜しみなくめいっぱいの愛情を注いでくれ、育ててもらった恩を何かの形で返さなければ、ともジョイは真面目に考えている。




