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箱庭の管理人  作者: つきたておもち
第8章

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 怒らせたか、とセドリックはアシアの感情の変化に気付いたが、この話はディフの命に関わる内容だと考えているため、セドリックも相当の覚悟を決めて腹に力を入れ、アシアからの視線を外さずにゆっくりと、そうだ、と答えた。

「ディフは大きくなったらアシアのようになりたい、と言っていた。しかし俺たちは所詮『人』だ。大人になっても『導師』様にはなれない。だから『導師』様になることは、俺でも無理だ、と答えた。その答えにディフは、しょげてはいたがな。」

 ひりついた空気が膨らみ、一瞬、小さくはあるが導師の威圧を、セドリックは感じた。このまま、先日ような、『導師 アシア』の気に取り込まれてしまうか、と背筋に冷や汗が一筋流れ、恐怖心に飲み込まれそうになる。

 が、それは一瞬だけで、ひりついた空気はすぐに霧散した。

「そう、ですよ、ね。」

 目を少し伏せ、そう言葉を発するアシアからは、導師の威圧感はない。アシアはその怒りを収めたようだ。それとも、怒りの感情は持続しているが、その感情を導師の気のコントロール下に置くことができているのか。

 どちらにしてもそれは、感情によって発せられる導師の気のコントロールをすることに、努力する、といったセドリックとの約束を守ろうとしているからだろう。

 事実、セドリックが考えるそのとおりで、アシア自身、セドリックの言葉に自分の中で怒りの感情がわいたことにはすぐに気付いた。その感情は怒り、と言うより苛立ち、の方が合っているかもしれない。けれども、なぜ苛立つのか、何に苛立ったのか、セドリックのどの言葉に反応したのか。アシア自身もわからなかった。

 苛立ちで以って見遣った先のセドリックは、何かを覚悟したようなやや強張った面もちでアシアを見ており、その彼の表情は先日の、アシアがアシア自身への苛立ちをセドリックへ転嫁させてしまった出来事を、思い出させた。

 セドリックのこの表情は、『導師 アシア』への恐怖だ。怯えだ。

 セドリックは『導師 アシア』への恐怖心に飲み込まれそうになりながらも、しかしそれでも彼はアシアへ、セドリック自身の考えを言葉にすることを止めなかった。それは、『導師 アシア』への恐怖心より、ディフのことを思っての行為だからた。

 彼が放つ言葉は、『友人 アシア』への戒めの言葉だ。

 そのセドリックを見たとたん、アシアはセドリックとの約束を、即座に思い出した。

 導師として『箱庭に住まう者』を、ましてや『友人』を、自身の一瞬の感情で怯えさせることを、もう二度としてはならない。感情と導師の力を連動させないための、努力をする、と約束をした。

 導師としての力を、己が感情に任せて発現させないために、アシアは今までの習慣で、今までのように自身の動いた感情を『諦め』といったモノへと変換させようかとも思ったが、それは、先ほどセドリックから叱られたばかりだ。セドリックは導師も感情が動いて当然だ、と受け入れてくれている。それへの思いも、裏切りたくなかった。

 またセドリックのそのアシアへの注意喚起は、当然の事の内容だった。このようにセドリックから注意を喚起され、今、初めてアシアは己の考えのなかった行動を振り返ることができた。

 セドリックが言うようにディフは今まで、何も教育を受けてこなかった『人』の子どもだ。彼が生きてきていたあの村の、あの狭い世界でなら特に教育を受けていなくても、彼らが生きていくための最低限の知識さえあれば、それで良かった。

 けれども縁あって、ディフは『導師 アシア』に拾われ、彼の考えも想像も及ばなかった広い世界に、アシアに連れられ踏み出した。

 アシアがディフを買ってからここまでの道中、彼が見るもの触れるもの耳にするもの、ほとんどが彼の知らなかったことであったはずだ。現に、ディフはアシアがすること、見せるものを不思議そうに訊ねてくることが多い。それはアシアの導師としての力のことばかりではなく、常識に近い内容のこともあった。

 そのような真っ白に近いディフに、アシアは彼に何も伝えることなく、飛ぶところを見せた。

 ディフはおおよそ8歳くらいだ。普通なら、人は空を飛ぶことができないことを理解している年齢だ。人が成長しても飛ぶことは叶わないことを、理解しているはずの年齢だ。アシアはそう取り扱っていた。ディフは教育を何も受けてきていないと知っていながら、8歳の普通の子どもとして接していた部分もあった。意識をしていなかった。

 それは、ディフに知識がなくとも生活に必要な最低限のことは教えなくともできていたからだ。

 彼はアシアを、アシアのことが彼の中で『だんなさま』の位置づけであったとしても、とても慕ってくれている。アシアの役に立ちたがっていることに、アシアはもちろん気付いている。

 ただ彼は、アシアの指示がなければ行動を起こさない。それは彼の生活暦から、大人の指示のもと行動することに、彼はそのように慣らされてきているからだ。

 先ほどのことが、そうだ。何かあるたびに、ディフはアシアを見上げ、アシアの許可を取る。アシアの許可を得てから、行動に移している。その内容がディフの希望するものであってもなくても。

 アシアはディフに説明なく、窓から森へと飛ぶ姿を見せることに躊躇いはなかった。その行動は火をどこからともなく熾すことや、何もないところから水を入れ物に満たすことと、アシアの中では同じことだった。そのことでディフに危険が及ぶなど考えもしなかった。

 アシアがディフへ、留守を任せる、といった言葉で、彼を縛っていたことが、幸運だったのだろう。言葉での縛りがなければ、ディフはもしかしたらセドリックが危惧したようにアシアの後を追って、窓から飛び出していたのかもしれない。

 確率は低くとも、ないとは言い切れない。

 セドリックの言うとおりだ。

 ここまでの道中、アシアはディフへ『人』と『導師』の違いを伝えていなかった。それどころか『導師』について、教えてもいない。

 セドリックからの指摘でそこまで考えが至り、内省したことによって、アシアは苛立ちの矛を収めた。

「ディフに僕のこと、『導師』のことを教えてくださり、ありがとうございます。」

 礼の言葉が自然と口をついて出た。

「セドリックの言うとおり、僕は何も考えずにディフの前で導師の力を普段使いとしていました。わかっているだろう、といった思い込みの下で、です。」

 それでも、アシアの心の奥底には苛立ちが燻っている。しかも、それはセドリックに対してだ。先日のように、自分自身に対してではない。

 この短時間の、自分自身のさまざまな感情の動きに、アシアは驚きがある。セドリックから、導師でも感情の動きはあって良い、と言われたが、自分がこんなにも感情が動くこと、また感情があることに少し驚いている。

「彼からの疑問には、そのときそのときに答えていたから、それで良いだろう、と僕は思っていました。」

 ディフは、アシアと当初約束したように、疑問に思ったことはきちんとアシアに訊ねてくれていた。アシアは彼の疑問に答えることで、基本的な知識も得られていると思い込んでいた。

 アシアから答えをひとつひとつ得るごとにディフは、自分もそのうちアシアと同じようなことができる、と思っていたのだろうか。努力すれば、成し得ると、考えたのだろうか。

 アシアへの、『だんなさま』への役に立ちたいといった一心で。

 それをセドリックから否定されたときの、彼の心情はいかほどだっただろう。

 そう思ったとき、アシアはその心に小さな痛みと悲しみを覚えた。

 なぜ、悲しく思うのか、痛みを覚えるのか。

 そしてアシアの中には、真実をディフへ伝え、彼の希望を図らずとも手折ったセドリックへの苛立ちは、燻り続けている。セドリックのその行為は、理性では仕方がないことだとわかっているのに、苛立ちは継続している。

 それはなぜか。

 アシアは自分の気持ちを静かに深く掘り下げてみて、

「あぁ、そうか。」

 と独り言のように言葉を落とした。

 セドリックがディフへと教えた内容が、決して間違いではないと理解した上で心に燻り続けている、この苛立ち。それはディフの、彼が初めて持ったのであろう希望をセドリックが手折ったことに、苛立ちを覚えているのだと、アシアは気付いた。


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