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セドリックはエイダから、セドリックは感情が表情に出やすい、とよく言われている。それはセドリックの良いところではあるが、時には短所にもなるから場合によっては気をつけて欲しいと、言われることがある。
自分でも自覚はある。腹芸はできない。そのようなことは性格上、合わない。
アシアはセドリックが、アシアが行う儀式のような一連の流れを見て、彼に対して畏れを抱いたことを覚ったのだ。友人としてのふたりの距離だったのが、急に『導師』と『人』の距離になってしまったことに、気付いたのだろう。きっと、セドリックがアシアに対して畏れを抱き、神として崇めた心情がセドリックの表情に出てしまっていたに違いない。
セドリックがアシアとの間に一線を引いたことが、アシアに露呈してしまっていた。
そして、アシアはセドリックのその心情を知った上で、水球を飲むことを勧めてきた、ということだ。
つまり、試されたのだ。
セドリックはそこまでの思考に至り、不愉快な感情を持つ。
なぜなら、このように試されることは、好きではない。むしろ、気に入らない。普段なら気付いた時点で、怒りを相手に向けている案件だ。
「あの。もしかして、怒っています?セドリック。」
おずおずとした琥珀色の瞳が、水色の瞳を覗き込んでいた。アシアの両手首を掴んでいたセドリックの両手に力がこもってしまっていることに、掴んでいたセドリックは気付く。
セドリックはアシアからのその問いに答えることなく、アシアの手首を掴んでいた自身の両手を無言のままゆっくりと離した。
爆発的な怒りではないが、怒っているかと問われれば、怒っている。気分を害している。
ただ、その感情をそのままアシアにぶつけて良いものかどうか、どうしたものかとセドリックが見返した先の琥珀色の瞳は、困惑の色で揺らいでいた。困惑の色でセドリックを見ているアシアは、まるで大人に叱られしょげている子どものようにセドリックには見えた。
このアシアの様子から、おそらく彼は自分がセドリックに対して試してしまったことに気付いているのだろう。セドリックがそのような行為を好まないだろうということを承知の上で、試すようなことをしてしまったという自覚はあるようだ。
アシアのそのような表情を見て、セドリックは小さく嘆息する。嘆息することで、不愉快な感情を自身から追い出した。
友人との距離で話していたところを、『導師』と『人』としての距離を取ってしまった自分にも非がある。確かに、アシアのあの一種の儀式のような厳粛な雰囲気に呑まれ、神気に中てられ、彼との間に一線を引いてしまった。しかし、それは仕方がなかったことではないだろうか。アシアとは『導師』と『人』との関係ではなくて、友人としての関係を構築すると約束した。セドリックはそれを受け入れた。受け入れたが、『導師』と『人』であることに変わりはないのだ。これは身分差の話ではない。魂の格といった、根本の話だ。彼が導師としての何かしらの奇跡をただ人であるセドリックに見せれば、知らず『導師様』として崇めてしまうのは、仕方がないことではないか。しかも、意図的ではなかったにしろ、彼はセドリックに神気を中ててしまっている。
彼がセドリックを試すような真似をしたのは何故か。
アシアも、セドリックがアシアと友人として関係を構築する、と約束したにもかかわらず、彼に対して友人から畏れ崇める対象へとセドリックの心情が変化し、離れていったことが気に障ったのかもしれない。
そう、セドリックはアシアとは友人として関係を構築する、と言った。
なら。
「怒っている。俺は試されるのは、好きじゃない。アシアが俺の態度に気分を害したなら、そう言ってくれ。」
セドリックの今持つ感情を、きちんと言葉にしてアシアにぶつけた。
セドリックは以前、アシアとの友人関係は押したり引いたりしながら作り上げていく、と言った。これが、押したり引いたりだ。どこまでが許せる範囲なのか、お互い確かめ合って良い関係を築いていく。子ども同士でもしていることだ。
むしろ、子どもの頃にすることだろう。ある程度の年齢になってからは、このような友人関係の構築など、した記憶がセドリックにはない。ある程度の年齢になると、人との関係は社交辞令が多くなる。損得勘定が混ざり、腹の探り合いの割合が、増す。ソレがセドリックは苦手だった。だから、エイダから苦言を呈される。
セドリックは村長という立場から、他人との交渉ごとに関して村人の中の誰よりもその機会が多い。腹芸ができないことに悩んでいた時期もあったが、そこは持って生まれた性格だ、とセドリックは今は割り切っている。腹芸をしなくても、割と上手くいくこともある。騙されないようにさえ気をつけていれば、セドリックのそのままの性格の方が、良い人物と出逢えて、良い関係が長く続くものだと、身をもって知っている。セドリックと親しくなる人物は、類友のようなものだった。
「ごめんなさい。」
セドリックからの指摘に、アシアは自身の身に憶えもあり、素直に謝罪の言葉を吐いた。
セドリックが指摘したように、アシアはセドリックを試した。なぜなら彼のアシアを見る眼つきが、畏れと崇めだったからだ。彼ら『人』とは違う立ち位置に存在する、雲上の者、神域にその身を置く者だと認識した視線だった。それは身分差の話ではない。身分差なら、同じ『人』同士だ。身分差は、『人』がこの箱庭の中で勝手に作り上げた、制度だ。何とかしようと思えば何とでもなるが、『導師』と『人』は、魂の格が違う。その差をどうにかしようと思っても、絶対にできない。
それでもアシアはセドリックと対等な関係、友人関係を築きたいと思っている。それほどまで、アシアはセドリックを気に入っている。関係を持ち続けたいと、願っている。
アシアの、導師然とした、アシアからすれば取り繕った導師の態度だけでなく、無様に足掻いてもがいた泥臭い様を見ても、セドリックはアシアのことをいまだ『導師』だと認め、時折アシアを畏れを含んだ視線で見る。それだけではなく、もがいて無様な『アシア』も受け入れてくれる。
なのに。
だからこそ。
セドリックは『導師 アシア』の友人に値する人物か、と、改めてアシアはセドリックを試してしまったのだ。
しかも先ほどセドリックから受けたアシアへの視線が、以前の、アシアが水球を掌で作り出し、それを口にしたところを目撃した『人』とのやり取りを、その『人』との関係を、顛末を、まるで今さっきの出来事のように鮮明にアシアの脳裏に蘇らせた。あの出来事は心的外傷、とまではいかなくても、アシアの心の中の傷跡としてずっと残っている。
また、セドリックのアシアを見る瞳の色が気に入らなかったのも事実だ。友人関係を構築すると言っておきながら、アシアがほんの少し奇跡を見せれば、たちまちアシアを『導師』として認識し、『人』と『導師』としての距離にしてしまう、セドリックのその行動が、心の動きが気に入らなかった。
そして、ホントウはそれだけではない。
アシアはセドリックの態度や視線が気に入らなかっただけで、彼を試すような真似をしたのではない。
アシアの心の奥底にあったのは、セドリックもアシアが今まで接して、期待し、そして失望させられた『人』たちと同じ卑しさを持っていないか、と確認したかった気持ちだった。
アシアの、朝陽を浴びたこの森の葉々に溜まった朝露を、その掌に集めるあの姿を見せられて、セドリックはどのような態度を示すのか、興味があった。
セドリックも『導師 アシア』へ、媚びるのだろうか、と。
アシアが今まで生きてきた中で知ったことは、『人』は導師の力に憧れを抱く、ということだ。あわよくば、その力を自分も手にしたい、と思ってしまうことだった。その中には長命への憧れもあるのだろう。
アシアが手にしているこの、導師の力はたいしたものではないのに。
力を得たからといって、何ができるわけでもないのに。
長命が、必ずしも良いものとも限らないのに。
導師は所詮、この箱庭を創造主が望む形に保つためにこの箱庭に遣わされた『箱庭の管理人』でしかないのだ。
『人』の魂のほうが、この箱庭の中で循環している分、ある意味では長命だとアシアは思っている。導師の魂はこの生を終えた後、どのようになるのか。循環するのか消滅するのか、わからないモノなのに。
確かに、アシアはセドリックを試した。アシアの新たな、『人』からすれば奇跡のような姿を見せつけられても、友人関係を構築しようと努力するのかしないのか。また、導師の力を改めて見せつけられて、その力欲しさに卑しさの感情をわきあがらせて、アシアと接しようとするのかしないのか、セドリックの心を試した。
アシアもセドリックと友人関係にありたいと、願っていながら。
願っているからこそ、かもしれない。




