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そのように思いながら、考えながら、ぼんやりとジョイとセドリックとのやり取りを見ているディフから受ける視線にセドリックが気付く。
「ハラ、減っただろ?待たせて済まなかったな。」
セドリックがそう言いながら、ディフとアシアに向けてそう声をかけてきた。
セドリックとジョイの話し合いはひと段落したようで、食べようか、というセドリックの言葉から、ディフは自分が持ち運んできていたエイダが作ってくれたサンドイッチが入った弁当箱を、丁寧な動作で麻袋から取り出す。慎重にディフが取り出した弁当箱をそれぞれが受け取ったが、アシアは手渡された花の彫が施されている木の小箱に気付くと、少し驚いた表情を見せた。
「コレを使ったのですね。」
この箱はディフへの誕生日の贈り物として、王都からこの村までの道中でアシアが買い求め、ディフに渡したものだった。アシアは箱をプレゼントしたのではなく、その箱に入っていた珍しい飴玉をプレゼントしたのだが、飴玉をふたりで全部食べた後も、ディフは木の小箱を捨てることなく、とても大切に扱いカバンの奥底に仕舞っていた。
飴玉自体が安くはない食べ物だ。砂糖やバターなどをふんだんに使った菓子類は、主に王族や領主などといった貴族が口にする嗜好品だ。庶民はあまり口にできないのが普通だった。
その中でもディフに贈った飴玉は、珍しい花の蜜を練り込んだ物だったようで、普通の飴玉よりも値が張るものだった。その所為か、飴玉の入れ物も凝った作りで、飴玉の材料となった花をあしらった彫りが施されていた木箱だった。その箱の作りから確かに、飴玉を食べてしまったからといって、捨てるのは惜しいといった気持ちを持つこともわかる。だから、ディフは飴を食べてしまってもこの空箱を捨てることなく大事に仕舞っていたのだとアシアは思っており、その箱の中には彼がこれから見つける宝物を容れていくのだと思っていたのだが。まさか、このような形で使われるとは思ってもいなかった。
ディフにとって、大事に取っておきたい箱だろうに。
「僕のお弁当箱として、使って良かったのですか?」
アシアの食事の量は、ほんの少しで良い。それは、アシアは本来、食べる必要がないからだ。ディフやセドリックたちと供に食事をするのは、単なる付き合いでしかない。特に、ディフはアシアが食べ物を口にしないと、彼も食べ物を口にしようとしないから、アシアが先に食べて見せている。
今回の弁当も、エイダがアシアの分として少しの量を確保したのだろうが、その量を容れるに見合う弁当箱がなかったのだろう。アシアの分くらい布に包んだものでも良かったのだが、この木箱が出てきたということは、ディフがこの木箱を弁当箱として使うようエイダに申し出たに違いない。
「ディフ。この箱を大事にしていたでしょう?」
アシアのその問いに、ディフは一瞬、きょとんとした表情を見せた。アシアの言っている意が、理解できない、といった表情だ。
「だって、アシアのお弁当を容れるから。だから使ったんですけれど。」
駄目なことだったのか、と。
ディフのしたことは、アシアの気に障るようなことだったのかと、ディフは次いで少し表情が強張った。そう言えばエイダが、この箱を使うことにアシアの許可を得なくて良いのか、と、この箱を使うように手渡したときに、そのように心配していたことをディフは思い出す。もしかしたらアシアの許可を得ずにこの箱を使ったことは、アシアの今のディフへの問いかけの言葉から、褒められることではなかったのかもしれない。そうディフは受け取ってしまった。
ディフの表情がみるみる強張っていくその変化から、彼はアシアから叱責されたのだと受け取ってしまっていることにアシアは気付くと、
「この木箱は、ディフの宝物を容れる箱、としてディフが使うのかと思っていたので。僕のために使ってもらえるとは思っていなかったので、少し驚いたんです。」
そこで言葉を区切り、ディフをしっかりと見て、それと、と、
「嬉しかったんです。」
ありがとうございます、といつもディフに向ける柔らかな笑顔を向けた。
もしかしたらディフにとってはアシアの物を容れる、ということは、大事な物を容れる、と同義語なのかもしれない。
アシアはディフの『だんなさま』だ。アシアがそう望んでいなくとも、どれだけ否定しても、ディフの中ではアシアはいつまで経っても、いまだに彼の中では『だんなさま』の位置にあるように、彼の日頃のアシアへの応対からそうアシアは感じている。おそらくディフは、アシアがディフの生殺与奪を握っている、と思っているのだろう。ディフを売っていた男から、ディフをこれから買う人物はディフが生涯仕えるべき人物、とディフは刷り込まれたのかもしれない。だからアシアはディフにとって『大事なだんなさま』なのだ。そしてその大事な『だんなさま』の食べ物を容れる箱、として、この木箱をエイダに差し出したのだろう。
確かに、アシアはディフを買った人物だ。アシアがそう思っていなくとも、男の請求に応じてアシアが金銭を支払ったことで売買は成立した。男にあの時に言い聞かせた『養育費』なんて言葉は、セドリックも言ったように詭弁にしか過ぎない。
ディフは物心がつく前から、誰かに仕えて生きていた。養親たちからは家族として認められず、働き手、としての認知で一緒に生活をしてきた。ディフから聞き取った生活歴から、彼は誰かに仕えて生きることしか知らないように、アシアは思えた。そのように慣らされてきている。
この木箱は、アシアがディフへ誕生日のプレゼントとして贈ったものであり、それはディフに贈った時点でディフの所有物になり、ディフ自身のために、ディフの好きなように使っても誰からも咎められることはない。むしろ、ディフが好きに使うものだ。故に、この綺麗な木箱にはこれからディフが見つけていく子どもらしい宝物を詰めていくのだ、と。そして、それはどのようなものなのだろうと、アシアは暖かな気持ちで心待ちしていた。
それが、その中に初めて彼が入れたモノは、アシアの食べ物だった。
それは、ディフがアシアのことを大事に思ってくれている現れだとは思う。しかし、アシアのことを大切だと思うその気持ちは、アシアはディフの『だんなさま』だからに違いなく。
ディフはまだ独りでは生きていく事のできない子どもである以上、アシアとディフの関係が保護者と被保護者としてのことであるのは、仕方がない。しかし、アシアはディフを主従関係で縛っているつもりは毛頭ない。アシアはディフのたんなる保護者、としての立ち位置のつもりだ。そのように彼に接してきたし、接している。
出逢った当初は、彼はアシアに対してもとても緊張し、身体も心も凄く硬かった。しかし、アシアがそのような立ち位置で接することで、彼の身体は、心は、少しずつほぐれてきているように見えた。縮んでいた心が、少しずつ解け、溶けていっているように感じた。最近はセドリックたちのおかげもあってか、子どもらしい表情も見せるようになってきている、と少し嬉しく思っていたのだが。
彼の幼い心に根付いてしまっている価値観は、一朝一夕には変えることができないらしい。
彼はもうすでに、自由、なのに。
誰に仕えることも、ないのに。
なのに、いつまで経っても彼は誰かの所有物のように、縛られたままのように見える。
それはもしかしたら、彼を買ったアシアが、いつまでも彼の傍に居ることが、彼の心の縛りを解く妨げになっているのかも、しれない。
そう、考えに至ったアシアの心は、何故か少しの痛みが走る。
この痛みは、彼の心をほぐしていこうと決めたにもかかわらず、アシアの力では成すことができないと気付いたから、だろうか。己の力不足を嘆く、痛みなのだろうか。
それとも。
「ありがたく、いただきますね。」
木箱を受け取り、再びアシアはディフへ礼の言葉と微笑を向けた。
アシアから受けるその態度に、ディフは強張っていた表情から、安堵の表情へと変化する。
そのディフの表情の変化からアシアは、この子どもは、『だんなさま』に嫌われたら、生きて行けない、と思っているのだろうか、とまた違った痛みを持つ。
その時、
「おーい、ディフ。」
と、アシアたちから少し離れた場所の、倒木に腰掛けているジョイがディフを呼んだ。
そして、
「こっちこっち。」
と、ディフを自分の隣に来るよう、彼を手招きして誘う。
ジョイからのその誘いに、ディフはアシアを見た。
それはまるでアシアへ、ディフの『だんなさま』へ許可を得るかのように、アシアは見えた。
今までもそうだ。何か行動を起こすときには、彼はアシアを仰ぎ見る。アシアからの許可を得ないと、彼は彼が思っている行動に移すことがなかった。
出逢った当初はそれは仕方がないことだと思っていた。しかし、ディフと行動を供にしてからひと月以上は経つ。それなのに、彼はいつまで経っても出逢ったときのように、何かの度にアシアに許可を求める。アシアの許可が得られないと動けない。それはアシアが彼の『だんなさま』だからだろうか。
それとも、そうではなくて、保護者『アシア』の許可を得るための行動なのか。
果たして、どちらなのか。
「ジョイが呼んでいますよ。行ってらっしゃい。」
いつものように笑んでアシアはディフに、ジョイの誘いを受けるよう、促す。そのアシアの言葉に、ディフは一拍置いてからうなずくと、ディフ用の弁当箱を携えてジョイのもとへと向かった。




