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そのことをセドリックは知っていたのだろうか、とアシアはセドリックを見るが、アシアから視線を受けたセドリックは小さく首を横に振った。少し目を見開き驚いた表情を浮かべているセドリックから、彼もこの事実を本当に知らなかったらしい。
セドリックはアルビーが農民ではないことは、彼の農作業の姿やそれらに関する知識の乏しさから気づいてはいた。ただ、どこかの領地の大きな商いをしている商人の息子くらいだろう、と思っていたのだが。まさか、領主の子息とは思ってもいなかった。
「彼はその領主の三男として生まれ育ったんです。だから後継者ではなくて。後継者でないからこそ、他の大きな領地との関係を結ぶための結婚を、幼い頃から言われていたようです。」
イリスは少し肩をすくめて、
「つまり、彼は勘当されたんです。」
苦笑する。
アルビーはもともと、自分が政治的に利用されることをよくは思ってはいなかった。ただ、領主の下に生まれ落ちたからには、それは仕方がないことなのだと、諦めてもいた。
しかし王都の学校に、兄弟の中でアルビーだけが受かってしまった。領主の息子として、自領地をその他の領地より永く安寧を保つために、時期当主となる兄を助けるための知識を得るために、王都の学校へ送り出された。王都の学校で学ぶことで、先端の知識と、そこに集約するこの国の権力を持つ王族や他の領地との縁を結ぶことを期待されたのだが、独り生家から離れて暮らし、そこで自分の好きな勉学に没頭したことで、彼は知識を得る楽しさを味わってしまった。学を修め、実家へ戻るように現当主から命があったにもかかわらず、それには従わずそのまま王都の教育関係の職場へ就職してしまった。そして、偶然にもアルビーとよく似た思考回路と研究肌のイリスと出逢ってしまった。そもそものところで、彼は当主の命に背いた行動で、彼ら一族からの印象、風当たりは良くなかったのだ。良い印象をもたれなかったところに、庶民との結婚の許可を得るための書簡を、イリスに相談もなく彼は当主のもとに送ったのだ。
とはいえ、彼が拙速に話を進めたがった理由に、イリスは心当たりがあった。それはイリスのためだということも。そして、イリスのためだけではなく、彼の計略でもあったということも。
「もちろん、彼の両親、親戚一同は私との結婚は大反対です。出自が農民では側室にもなれません。なら、姓を返上する、といって、即断即決。彼は彼の一族とすっぱり、縁を切ったのです。」
ある意味、短気ですね、とイリスはおどけて言うが、どことなく複雑そうだ。
姓を返上した、ということは貴族の籍から抜けた、ということだ。先ほどイリスが言ったように、姓を持たない庶民のアルビーになった、ということだ。それによって彼は職を追われた、ということだろうか。
「職場は今までのアルビーの功績から、彼が姓を返上したからといって彼を解雇するまでには至りませんでした。ただ、私ともども職階の降格があっただけです。」
「だから、この村に戻ってきたのか?」
間髪いれずセドリックが訊く。彼は昨夜、イリスがこの村に戻ってきたことを、気にしている旨を、アシアに話していた。彼女は自分がやりたいことを何らかの理由で、中途で諦め帰ってきたのではないかと、懸念していた。
「決定打にはなりましたけどね。でも、それだけがこの村に戻ってきた理由ではありません。」
心配していただいていたんですね、とイリスがセドリックへ軽く頭を下げる。
「言葉が足らなくて、ごめんなさい。戻ってきたのは私の郷愁からです。」
イリスのその言葉に、いまさらながらか?、とセドリックの遠慮のない疑問が飛ぶ。
いまさらながらだ。彼女は王都に行ってからの彼女の近況を知らせる彼女からの手紙は、今までの間で10通にも満たない。帰郷も卒業してすぐの頃の1回だけで、それ以降はこの村に帰ってきてはいない。それは多分に、この村から王都までがとても遠い、という物理的なこともあったのだとは思う。気軽に頻回に帰ってくることができる距離ではない。ただそれだけではなく、彼女にはホームシックという言葉とは無縁で、彼女は楽しく夢中で彼女のやりたかったことを元気でしているのだ、とセドリックや村の者たちは思っていた。
セドリックからのその容赦のない疑問の言葉には、イリスは苦笑で返した。
イリスが意気揚々と王都の学校へ入学したときには、暫くの間、ホームシックとなった。しかしそれはほんの数日だけだ。家が恋しくなり、何か月も夜中、寮のベッドの中で泣いていたルームメイトや、たまらず実家に帰ってしまった同期生もいたのだが、イリスは新しい知識や技術を学ぶことの方に夢中になり、1週間も経てば生家のことなど頭の片隅にも残っていなかった。
今まで暮らしていたこの村とは違い、王都は日々めまぐるしく動き、イリスの見ている景色がそのたびに変化した。時間の流れが、村とはまったく違った。情報が次から次へと押し寄せてき、その情報を処理することで目が回っていた。
村の日々は、ほぼ変わることがない毎日だ。起きてから見る景色も、昼間、農作業を手伝っているときに見る景色も、夜、寝るときに窓から見える景色も、そこは季節の移ろいを映すものだけで、刺激のない、たいした変化のない日々だった。それでもその中で生活していた頃は、その日々が退屈だとは思わなかった。変化が少なかったとはいっても、幼かったイリスは、毎日が知らないことを知ることができる日々であったし、図書室の本を読むことも、その内容を森や野原に出ることで実際に確かめることも、とても楽しかった。
しかし、王都での生活はそれを上回るものだった。
処理をしても、整理をしても、しきれず次から次へと新たな情報が飛び込んでくる。しかも、飛び込んでくる情報が正確なものとも限らなかった。それは村ではありえないことだった。
村の中で村人たちで共有する情報は、生活に直結するもの、ときによっては情報内容が間違えば死に直結するものだった。自分たちが生きていくための情報だった。その中に、娯楽などはなかった。
しかし王都、城下街で得られる情報は、ブラフであったり正確でなかったり玉石混合だった。いかに見分けるかは、自分の目を養わなければならなかった。正確な情報を得ることも、ニセモノを掴まされてしまうことも、それは自分の責任でしかなく誰を責めることもできなかった。自身の未熟のせいだと、言われるだけだった。
ただ、王都での生活上でニセモノの情報を掴まされたからといって、それが直接、死に繋がるものではなかった。騙し騙されは、娯楽、の一種のようなものだった。騙すことも、騙されることも、皆がどこか楽しんでいる風に見えた。
それが、イリスにはなじまなかった。
どれだけ年月を重ねても、いつまでも、なじまなかった。
田舎者、だと陰で笑われていたことを知っている。
融通が利かない頑固者で変わり者、だと指差されていたことも、知っている。
イリスはそれを表立って言わせないために、勉学に励んだ。学力で、研究で、誰もが一目置く存在になるよう、努力した。ただ、イリス自身はその努力をすることが苦しい、とは思えず、むしろ楽しくもあり好きではあったので、自分でも自分のことを変わり者だ、とは認めてはいたのだが、他人に指摘されることは腹立たしかった。
学生の頃は、がむしゃらに勉学に研究に没頭し、そのかいあって成績も上位を維持したまま卒業を迎え、めでたく難関を突破して就職した先の、王都所属の教育関係の機関でアルビーと出逢った。
正直なところ、最初はお互いがお互いを変わり者だといった印象を持っていた。イリスもだが、上司であるアルビーも彼自身が気になった事象には、周囲の声が聞こえないくらい没頭し、取り組んでいた。
イリスとアルビーの関係が上司と部下でなければ、イリスは彼との接点はなかっただろう。性分のよく似た人物が他部署にいるらしい、といった噂話をお互いがそれぞれ耳にするくらいだったかもしれない。
しかし、イリスはアルビーの部下となり、彼の下で彼の仕事や研究を手伝うこととなった。最初は良く似たもの同士の宿命でお互いは反発しあった。考えが合わないことは、イリスはアルビーが上司であろうとも、イリスが納得できるまで、議論をぶつけた。アルビーはアルビーで庶民出身のイリスに対して、当然のごとく、生意気だと良い印象を抱かなかった。
ただ、反発は共感も生む。よく似た者同士にしか通じ合わないこともあった。気がつけばいつしかお互いのことを人生のパートナーだと求め、そのような関係になっていた、としか説明のしようがない。いつからか、の線引きは難しく、ふたりの関係の変化はいつしか、いつの間にかだった。
しかし、アルビーは貴族だ。イリスとアルビーが如何に変わり者だったとしても社会的に生まれながらあてがわれてしまった身分の違いは、どうもしようがない。
ふたりの関係がそれ以上のものになりようがない、と止まってしまったそのときに、イリスの身体に変化があった。
「郷愁は、ソフィーを身ごもったから、です。」
ふわりと笑んだイリスのその表情は、今までアシアたちに見せていた子どもっぽさはなく、それは母親の顔、だった。




