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その建物はこの村にしては珍しく、平屋だった。その平屋建ての家のすぐ傍に、2階建ての家がある。そちらはこの図書室の管理を任されている、イリスの家のようだ。
「イリス先生の両親は、彼女とは別の場所に住んでいる。イリス先生が図書室の管理人を引き受けてくれたんで、代々管理人が住んでいた家を提供している。」
図書室もこの家も村の所有物だ、とセドリックはアシアへそう説明しながら、2階建ての家の玄関先に背負っていた麻袋を置いた。
「あれ?ウルフは?」
ディフが、先ほどまでセドリックのそばに着いてきていたウルフが居なくなっていることに気付き、セドリックに思わず訊く。
ディフの気付かないまま、彼はいつの間にか居なくなっていた。
「ウルフは図書室に入れないからな。」
村の中の見回りに行ったんじゃないか、と言いながら、セドリックは平屋建ての家の、玄関の扉のノブを回し、引いた。
とたん、からん、と軽やかな鐘の音が鳴る。
扉を開けた先は、ひとつの広い部屋になっており、その部屋の壁際に腰の高さまでの棚が据え付けてある。それらの棚には、ぱらぱらと、本が納まっているのが見て取れた。
部屋の中央には、小さなテーブルが5卓設置され、それぞれのテーブルには椅子が4脚添えつけてある。
そのうちのひとつのテーブルを、明るい赤茶色の顎あたりまでの長さの髪の女性と、ディフと同じくらいか、少し年下くらいの少年と少女が囲み座ってテーブルの中央に本を置き、それを参考に、その子どもたちが何かを書く作業をしていた。
からん、と鐘の音が鳴ったことで、女性が玄関へと振り返った。振り返った先のセドリックを視認すると、
「あら、村長さん。」
と、はじけるような笑顔を浮かべた。
状況から、彼女がイリスなのだろう。セドリックから聞かされていた彼女の経歴からアシアが想像していた人物像より、彼女は幼く見えた。それは、くるり、とした大きな薄茶色の瞳のせいなのか、それとも、たいていの大人の女性は髪を肩から背中辺りまで伸ばし、エイダのように緩く編み込んでいるのだが、彼女の髪は顎の辺りまでの長さしかなく、子どものようなその長さのせいで、実年齢より幼く見えてしまうのか。
「勉強中に、邪魔したかな。」
セドリックのその言葉に、
「大丈夫です。図書室はいつでも、お客様は大歓迎ですから。」
イリスはセドリックの登場で作業の手を止めてしまった子どもたちに、その続きをするように促すと、椅子から立ち上がりセドリックたちを迎えるべく、足を向けてきた。
「今日は、何をお探しですか?」
そう言いながら彼女は近付いてきたが、セドリックの背後にいるアシアたちを見つけると立ち止まってしまった。立ち止まり、しばらくセドリックの背中越しの彼らを見つめていたが、
「ようこそ、お越しくださいました。導師様。」
ゆっくりとした所作で礼をとり、挨拶をした。その動作は、宮中で階級が下の者から上の者に挨拶をする所作、コーツィだ。
「導師様だって、よくわかったな。」
アシアの、薄汚れた外套に、そのフードを目深に被った出で立ちは、不審者に見えても仕方がないものだ。セドリックは昨日、アシアと長老との面会の場での立会いを、副村長のダンとイリス先生を候補にしたが、そのことについて、ダンには即日伝えて承諾を貰ったが、時間も遅かったこともあり、イリスにはまだ伝えていない。イリスは図書室の管理を任されているため、図書室にこもっている時間の方が外出時間よりも長い。その分、他の村人たちと比べ噂話が彼女の耳に届くのが、村の中では遅い方だ。その彼女がアシアを見てこのように礼をとるということは、導師滞在の噂は、村の中でかなり広がっているようだ。
「緘口令が意味をなしていないな。」
そう言いながら苦笑するセドリックの後ろで、アシアが目深に被っているフードを剥ぐ。
「畏まらないでください。」
フードを剥いだ下から出てきた、白金色の髪と琥珀色の瞳を持つ青年は、イリスに向かいふわりと微笑む。その様子は、先ほどロイに対して見せた、少し神々しさを伴った気を放ったものと一緒だ。どうやらアシアは、初めて出逢う村人に対してはこのパターンで行くつもりらしい。
ふわりとした微笑を向けられたイリスはその彼の表情に見惚れたかのように、動作が止まりただアシアを見つめた。
テーブルで作業をしていた子どもたちもその手を止めて、アシアをぽかんとした表情で見つめている。その様子から扉から少し離れているその子どもたちにも、アシアの放つ神々しさを伴った気が中てられたようだ。
「『導師 アシア』様だ。」
セドリックの紹介の言葉でイリスは我に返ったようで、
「この図書室の管理を任されています、イリス、と申します。」
改めて再度礼をとった。
「初めまして、イリス。」
アシアはイリスに畏まる必要がない旨を伝えると、
「セドリックからこの村に図書室があると聞き、無理を言って案内してもらいました。」
部屋の中央のテーブルからアシアをぽかんと見つめる子どもたちにも、ふわりとした微笑を浮かべて見せる。
このようなアシアは一見穏やかに見える。物腰も柔らかく、『人』よりも上位である『導師』としてのイヤな意味での威光はない。この程度の神々しさなら、近寄り難い、とまでいかず、どちらかと言えばお近付きになりたい、といった思いを持ってしまいそうだ。優しげな物言いで、耳に心地良い声音で、微笑で、見る『人』によってはアシアを御しやすい者、として勘違いしそうな雰囲気だ。
アシアの今までの言動から、実際にそのように勘違いした『人』もいたのだろう。そして、それによってアシアは『人』と距離を置いてきたのではないだろうか、とセドリックは思う。
イリスはこのようなアシアに対して、どう反応するのだろうか。もし、アシアへの態度が媚び諂うようなものであれば、その時はセドリックが間に入り、とりなさなければならない。これ以上アシアが『人』から傷つけられてほしくないし、『人』に失望してほしくもない。
「授業中にお邪魔したようですね。時間を改めましょうか?」
アシアからの申し出にイリスは頭を振り、大丈夫です、と言うと、アシアと手を繋ぎその隣に立つディフにも、
「ようこそお越しくださいました、小さな導師様。」
と、礼をとった。
「いや、イリス先生。ディフは訳あって導師様と一緒に旅をしている『人』の子どもだ。」
セドリックはイリスのディフへのその対応に、ディフの頭にぽんと手を載せて彼の紹介をする。
「導師様もそうなんだが、ディフにもこの図書室とイリス先生を紹介したくて、連れてきた。」
セドリックから紹介され、ディフはアシアと繋いでいる手を離してイリスに挨拶をする。そのディフへイリスは、
「それは光栄なことです。」
はじけるような笑顔とともにディフに手を差し出し、
「ようこそ、ディフ。ここはディフの興味のある本を手にとって、自由に読んでも良い場所よ。どれにする?」
そう言いながら握手を交わした。
イリスのその言葉にディフは、少し困ったようにアシアを見上げる。
ディフは昨日、セドリックの家で『本』というものを初めて見て、初めてその手に取ったのだ。字も読めないし、どれにするか、と言われても、どうして良いのかが解らない。
せっかくなので見せてもらいましょう、とアシアを見上げてきたディフにアシアはそう提案するが、
「でも、ボク、字が読めないし、『本』が解らなくて。」
と、ディフは消え入るような小さな声で答える。
それに対し、イリスはぽんとひとつ手を叩き、
「あら、大丈夫よ。絵ばかりの本もあるから、その絵を見て楽しめばいいわ。私が見繕ってきましょうか?」
と訊きながらもディフの返事を待たずして、本棚へ向かうとすぐに三冊の本を携え戻ってきた。そして空いているテーブルの上にそれらの本を置くと、はじけるような、子どもっぽさのある満面の笑みで、ディフを手招きする。その間、イリスのアシアへの対応は皆無だ。ディフに関わる許可を、保護者である『導師 アシア』に得もしない。
手招きされ、ディフは再びアシアを見上げる。どのように行動してよいのかが解らない、といった困惑の表情だ。
そこでイリスはアシアから許可を得なければならなかったことに気が付いたようだった。
「導師様。ディフに本を見せてもよろしいですか?」
イリスはにこり、と笑い、アシアへ許可を求めるが、どうみても順序が逆だ。アシアの許可を得てから、本を探しに行きディフを呼ぶ、といった手順が正当だ。先ほど、アシアへそつなく礼をとったイリスだ。身分が上の者への礼節は、王都での生活で身についているはずなのに、アシアを差し置いての行動だ。けれどもそれはアシアを軽んじての行動ではなく、イリスは本や知識を得る、それらを教える、といった物事が絡むと、どうも周りが見えなくなる人物のようにアシアは受け取った。オウカ国でも学者肌の人物に、よく見る光景だ。




