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箱庭の管理人  作者: つきたておもち
第5章

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 そのようなセドリックにアシアは、やはり彼は、とんでもなくお人好しだ、と思う。アシアとの約束事なんて、最初は下知だっただろうに。ほんの数分前、アシアに対してあんなにも恐怖で怯えていたくせに。なのに、彼はいつものように人懐こい笑顔をアシアへ向けてくる。

『信頼している』

 セドリックのその言葉が、アシアの中で響き、そして重くのしかかる。

 彼はアシアの何に、信頼している、と言っているのか。『導師 アシア』へも、たんなる『アシア』へも、信頼を寄せている、という意味で言っているのだろうか。

 アシアは視線を足元に落とす。

 解っている。彼は、その意で言っているのだろう。フラットな関係を望んだのがアシアからであったのだが、それはセドリックもアシアと同様に望んでいる、と。『導師』と『人』といった、魂の形がまるっきり違う者同士が相手を信頼し、そのように関係を望むからには、お互いが近付くための努力をする、とのことなのだろう。

「さっき言っていたことなんだが。」

セドリックが、

「俺は、アシアの感情と導師の力が連動しないように、アシアにコントロールしてもらえると助かるんだが。」

うつむいてしまったアシアへ、

「難しいか?」

そう問いかけてくる。

 問いかけられたため、アシアが視線を上げた先には、ほとほと困った、といったような表情のセドリックが居た。その表情から、本当に彼は、命の危機が迫る恐怖を味わったのだろうと推測できる。

 切実さを伴ったセドリックからの問いかけではあるが、難しい、というのがアシアの正直な答えだ。なにせ、今までそのようなことを考えて、思って、行動をしてきたことがない。どちらかと言えば、感情を抑える方向へ努力してきた。

 ただ、導師としての気配をなるべく消すように行動する術は、アシアが求め行ってきた分、ある程度はできてはいるので、アシアの感情と導師の力が連動しないようにすることは、アシアが意識して行動すればできないことでもないように思う。そもそも実際、ノアという、先行して行っている師が居る。

 ただそれは一朝一夕には難しいだろう、という部分が問題なだけだ。今、セドリックからそのことを求められ、はいそうですね、と即座に行動に移すことはアシアには到底無理だ。

 だから、

「努力は、します。」

この返答しかしようがない。

 しかし、アシアは彼らとのこの関係は崩したくない。

 それは、アシアの心からの願いだ。この関係が続けられるのならば、努力することを惜しむつもりはない。むしろ努力することは当然のことだ。

 彼らからの信頼を得続けるための努力は、して当然だろう。

 アシアのその答えに、セドリックが破顔する。そして、居住まいをただしアシアに向くと、

「俺も、アシアが導師の気をコントロールできずに俺に中ててきた時、できるだけ逃げ出さないように努力はする。しかし、みっともなく叫んだり逃げ出したりするかもしれん。が、その時は許してもらえるとありがたい。アシアが嫌いになったわけじゃないからな。逃げ出そうとするのはどうも本能のようだ。」

申し訳なさそうにそう答えるセドリックに、アシアは、解っています、といつものようにふわりと微笑う。

 解っている。自分の生命の危機を感じてしまうのだろう。『導師』の魂は『人』の魂より上位だ。だから、『導師』は『人』の魂の循環が解る。感じ取ることができる。その、導師よりも下位である『人』の魂が、自分よりも上位の者から威圧されれば、この箱庭に住むすべてのものは、生命の危機を感じるのは当然のことだ。

 セドリックはアシアから『導師』の気を中てられ、生命の危機を感じたときに防衛してしまう己が行動で、アシアが傷つきはしないか、と危惧してくれているのだ。

 本当に、お人好しだと思う。

 だから、アシアは彼を気に入った。そういうことだ。

 アシアはふわりと笑んだまま、空を仰ぐ。仰いで見た空は雲ひとつない、青空だ。さきほどの自身に嫌悪するイヤな感情は、アシアの心の片隅に燻ってはいるけれど、その気持ちを払拭するような、気持ちのいい空間だ。

 そしてそのまま、3人と1匹の間に沈黙が落ちた。

 誰もが話そうとしない静かな時の中、風が渡る。

 風が渡り、草花がゆっくりと揺れる。

 草花がゆっくりと揺れ、微かな音を奏でる。

 そのまま暫くの間、誰もなにも語らず、平原を渡る心地良い風に吹かれ、それが奏でる音に、その場に居る者たちは身を委ねていた。

 その中、ぽつり、と

「アシアは、」

セドリックが、

「俺たち『人』の勝手に込めてしまっている期待を裏切っているとか、添えないとか、『導師』としての責を背負っているみたいだが、俺も含めて『人』なんて勝手なもんだからな。」

独り言のように、誰に聞かせるつもりもなく、誰からの返答を求めるものではないように、小さくそう言葉を落とす。セドリックの独り言のようなその言葉は、それでもこの静かな中、アシアの耳に届いた。その、セドリックの言葉に何か言葉を返そうかと、アシアは口を開きかけたが、セドリックはぽつり、とそのように言葉を落としたあと、伸びをして立ち上がり、

「そろそろ図書室に向かおうか。」

と、ふたりを誘いながら足元に置いていた麻袋を背負った。

「もう、動いても大丈夫ですか?」

 セドリックから促され、立ち上がったアシアはセドリックへ、彼の持つ荷物を代わりに持つことを申し出るが、セドリックは、図書室はすぐそこだから、とそれを断り、

「アシアはディフが迷子にならないように、手を繋いでやってくれ。」

と、出発時と同じことを言って、アシアとともに立ち上がったディフの髪を撫でた。

 アシアは暫くセドリックの体調を心配したが、大人ふたりのやり取りにどのように行動すればよいのか解らず、その大人ふたりの間で戸惑っているディフへ、アシアはセドリックの言うことに従いディフへその手を差し出す。

 アシアは当然、ディフは出発時と同じように少し照れながらも差し出されたアシアの手を、繋いでくると思っていたのだが。

 手を差し出されたディフは、アシアは本当は自分と手を繋ぐよりも、セドリックの荷を持つ手伝いをしたいのではないかと慮り、差し出された手とアシアの顔を交互に見遣ったあと、自身の手を背に回し頭を振った。

 アシアがまったく想像もしていなかったその、ディフの行動にアシアは瞠目すると、

「僕と手を繋ぐのは、嫌になりましたか?」

と、瞬時に哀しげな表情を知らず浮かべてしまっていた。

 先ほどの、アシアのセドリックに対する一連のやり取りの内容から、ディフから嫌われただろうか、と、瞬間にアシアの心に痛みが走った。

 アシアは、アシアが導師の気を中ててしまったセドリックにばかり気を回していた。この一連の流れをつぶさに間近で見ていたディフを、気にかけることがなかった。

 セドリックは、ディフはアシアに対して心の拠り所にしている、と言っていたが、それはこの事が起こる前までのことであって、現時点では、この小さい子どもからのアシアへの信頼は目減りしているのではないか、と恐れがわく。さきほどのアシアを見上げてきた藍色の瞳は、『アシア』を心配していた瞳であり、『導師様』や『だんなさま』を慮る色ではなかったが、それが今は、『導師様』や『だんなさま』の位置づけになってしまったのではないだろうか。そう考えるだけで、アシアの心の中は、ちくり、と鋭い痛みが走った。

 と同時に、この小さな子どもから得る、自分への信頼が目減りすることに対して、なぜ、自分の心が痛むのだろうか、とアシアは自身のことながら不思議にも思う。

 偶然に貧困街で拾った命なだけなのに。拾うはずも、拾うつもりもなかった、小さき子ども、だったのに。

 その彼からの少しの拒絶も、アシアの心には痛みが響く。

『ディフは導師様から、とても大事されているのですね。』

 不意に、昨日のエイダの言葉がアシアの中、蘇ってきた。

 あの時アシアは、導師としての責務上、大事にしている、と答えた。その考えは、今も変わっていない、はずだ。

 『導師』が『箱庭の人』を拾ったのだ。『人』の命の循環に関わってしまったのだ。しかも名も与えた。ゆえに、その責務は生じる。『ディフ』としての人生を終えるまで、面倒を見る責務がある。だから、彼を大事にしている。そういうことだ。昨日、エイダに語ったとおりだ。

 なのに、彼からの信を少しでも失ったかもしれない、と考えると、なぜか心が痛い。

 アシアの責務は『ディフ』としての人生を無事終えることを見届けることであって、彼の信を得続けること、ではない。

 それなのに、なぜ、心が痛むのか。

「ごめんなさい、アシア。」

 不意に、ディフが自身の背に隠した手を出し、アシアの手をぎゅっと掴んできた。

「ボク、アシアと手を繋ぐのは、イヤじゃない。そうじゃなくて。」

 ディフは、アシアと手を繋ぐのは嬉しい。手を繋ぐと心がぽかぽかと暖かくなる。くすぐったくなる。寝るときに、背中を優しく叩かれ、あやされ眠りに落ちていく、あの感覚に似ている。『幸せ』といった気持ち、だ。

 だけれども。

 ディフがセドリックをちらり、と仰ぎ見た。それに対し、セドリックが、あぁ、と反応した。

「ディフにも気を使わせたな。本当に俺は大丈夫だから。気分も悪くない。むしろ、アシアと腹を割って話せた分、上々だ。」

 ニッ、と笑いディフの髪を、くしゃり、と撫でる。

「手を繋いでもらっておけ。ディフはもっと、自分がしたいこと、やって欲しいことを口に出していいんだぞ。」

誰も怒りはしないさ、とセドリックはさらに、くしゃり、とディフの黒髪を撫でた。


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