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「なら、よろしく頼むな。」
アシアの感情が昂ぶっても、導師としての気がコントロールできる。それは、セドリックにとっては切実な問題だ。三度目は本当に勘弁して欲しい、と思う。次、同じようなことがあれば今回のように、踏み留まることができる自信がセドリックにはなかった。もしそのとき、彼の『導師』としての気を中てられ、踏み留まることができなければ、情けなく喚きアシアの傍から逃げ出せば、彼を一時でも拒否をすれば、彼は酷く傷つくに決まっている。
でき得れば、セドリックはアシアを傷つけたくなかった。
友人だからこそ、傷つけたくない。
「このような『導師』で、がっかりしたでしょう。」
再び目を伏せ、呟くような小さな声でアシアが言葉を落とす。
それはいつもの、穏やかで柔らかな笑みをたたえているアシアとは程遠い姿だ。
自己嫌悪。
自己否定。
自己嫌厭。
自信喪失。
そのようなところだろうか。
『人』であるセドリックに対して無意識に導師の力を放った自分が、許せない、情けない、といった感情を抱えているに違いない。このような状態のアシアへは下手な慰めの言葉は響かないだろうし、それは余計に彼を傷つけることになるだろう。
ならば、セドリックがそのようなアシアへ、責める言葉を投げつければ彼は楽になれるのだろうか。
しかし、セドリックはアシアを責める気持ちはこれっぽっちも持っていない。ただ、次は勘弁して欲しい、それだけだ。気持ちがないのに責めることはできない。
「がっかり、というよりは、導師様も導師としての力を差っ引けば、俺たち『人』と大差ないのだな、と親近感がわいただけだ。」
正直な気持ちを紡ぐ。それしかないし、それしかセドリックにできることはない。
「導師様は敬う存在だというところは変わらないが、勝手に神格化してしまったのは俺たち『人』だ。その『人』の勝手な期待に添えないからと言って、アシアが傷つくことも導師としての自分を否定することはないと思うぞ。」
セドリックは目を伏せてしまっているアシアを柔らかな瞳で見る。
アシアの、この『人』と大差ないこの姿が、『導師』の姿なのかもしれない。この村へ『人』を導いてくれた『導師様』も、人から人への伝話の中で神格化されてしまっただけで、本当はアシアのような『人』らしいところが大半を占めているような人物だったかもしれない。
とはいえ、『導師』としての力はさすがに『人』とは違う。『そこだけ』のことではあるのだが、セドリックにしてみれば『そこだけ』の差があまりにも大きすぎ、その力をぶつけられると、生命の危機を感じるほどの恐怖を覚えてしまうのだ。それが、彼の言う『人』と『導師』の、魂の形の違い、なのだろう。
「何度も言うが、俺は『アシア』を信頼している。それは今も揺らいではいない。」
セドリックのその言葉に、アシアは伏せていた目を上げ、再びセドリックを見遣る。
「僕が、セドリックに対して、あのような、導師としてはしてはいけないようなことをしてしまっても、ですか?それでも僕を信頼している、とでも?」
いつもにない、力のない琥珀色の瞳でそう問うアシアをセドリックは視線を逸らさずに、
「俺は宿屋で出逢った『アシア』が、ディフの保護者として信頼し得る者だと確信して、俺の家に招待したんだ。あのときは、『導師 アシア』へ声をかけたんじゃない。旅人の『アシア』へ声をかけたんだ。ディフの保護者として、信頼して声をかけた人物がたまたま『導師様』だっただけだ。」
そう言って人懐こい笑顔を浮かべる。
「アシアに買われたディフの様子から、アシアがどのような人物か解る。売られた子どものほとんどは、哀しい末路を迎えているからな。」
この村へ立ち寄る商人から、セドリックの娘が住む隣国の村人から、その帰りに立ち寄る宿屋でたまたま出逢う旅人から、珍しくもなく聞く内容だ。子どもが売り買いされ、買われた子どもたちがその後、どのような経過を辿るのか。それは、決して幸せなものではなく、ほとんどの話は哀しい末路だった。買われた子どもに人権などないに等しく、買った大人の所有物にすぎないのが当たり前の事実だ。所有物をどのように扱おうが、誰からの咎は、ない。
かといって、国が人身売買にかけられるしかない境遇の子どもを救うこともない。一応、養護施設を立ち上げ、子どもの人権に配慮している体ではあるが、機能しなければ救いの手を差し伸べていないのと一緒だ。セドリックが知る限りのほとんどの国が、そうだ。セドリックが住むこの国も、あまり酷くはない、というくらいで、この国でも裏では人身売買が横行しており、子どもが哀しい末路を辿る現実を思えば、隣国とその境遇に大差はないし、隣国を責めることもできない。
ただ、オウカ国とライカ国の噂話だけが、そのようなことがない。それは導師が密やかに国政に関わっているせいなのかどうなのか、それら事実についてはセドリックが聞く噂話の範疇では判断できない。
ただ、偶然にもセドリックはオウカ国の導師と出逢い、彼が本意ではないが買ってしまったという子どもと接する機会を得て、その子どもをセドリック自身の目で見て、ディフはアシアに買われたことはとても幸運なことだったと思ってしまった。アシアはディフが『導師 アシア』と出逢ったことが幸運と言えないかもしれない、と言っていたが、セドリックから見てもアシアはディフを買った子ども、隷従として扱ってはいないし、『人』の子どもとして大事に接している。ディフもそのようなアシアを、『導師 アシア』だから懐いているのではなく、『アシア』を信頼し、心の拠り所にしている。
「その買われた子どもが、買った大人をこんなにも信頼している。」
アシアとセドリックの間に挟まれ座り、黙って静かに大人のやり取りを聞いているディフへセドリックは手を伸ばすと、
「その信頼は『導師 アシア』に対してではない。『アシア』を信頼している。」
その黒髪をくしゃりと撫でた。
セドリックから髪を撫でられたディフは、セドリックをいったん見上げたあと、心配げな藍色の瞳でアシアを見上げる。
確かにセドリックが言うようにアシアを見上げてくるその藍色の瞳は、純粋にアシアを心配している色だ。『導師様』だからとか『だんなさま』だからとかいったような、慮っている色ではないことは、アシアにも見て取れた。
「そう、ですね。」
セドリックのその言葉に、心配そうに見上げてくる幼い藍色の瞳にアシアは向き合い、いつもの柔らかな笑みを浮かべた。そのアシアからの笑みに、ディフはほっとしたような表情をみせる。
「ディフは『アシア』と手を繋ぎたかったんだ。手を繋いで、嬉しかったんだ。『アシア』にしてもらっていること、すべてがディフにとって嬉しいことなんだ。」
な?、とセドリックから同意を求められたディフは、恥ずかしそうな面映いような表情を浮かべ、セドリックのその言葉にうなずいた。
それは、ディフの正直な気持ちなのだ、と、彼の表情から解る。
「俺もディフも、エイダもジョイも『アシア』を信頼しているし、『アシア』に好意を持っている。」
もちろん、ウルフもだな、と末尾にその名を連ねられたウルフはセドリックの足元で寝そべりながら、会話の意味がわかっているのか、セドリックへの返答のようにその尾をいつもより大きく振った。
「フラットな関係で、って言ったのはアシアだぞ。俺ももちろん、それを望んでいる。」
だから、と、
「言い出したアシアが、俺と壁を作るなよ。『導師』と『人』とのフラットな関係なんて、どのように構築すれば良いかは、アシアも俺も解らないんだから、ぶつかり合いながら、試行錯誤しながら関係を築いていくしか、ないだろう。『人』と『人』との関係も、そうやって作っていくものなんだから、さ。」
アシアが嫌いになれば、きちんと言うさ、とセドリックはいつものように笑う。




