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「あのようなことがあっても、セドリックは僕が怖くないのですか?」
そう問うアシアは、信じられないといった表情と泣きそうな表情とがない交ぜになったような、そんな顔をしている。
怖いに決まっている。あのような経験はもうこりごりだ。三度目は勘弁して欲しい、がセドリックの本音だ。
セドリックはそう口にしようかどうしようか一瞬迷ったが、
「怖いに、決まっているだろ。」
正直に思いを口にした。
腹を決めたのだから、今更誤魔化すことはできない。しない。
セドリックのその答えに、なのに、なぜ、と、再び問うアシアへ、
「アシアが怖い、というよりは『導師様』の力が怖い、だな。」
セドリックは頭を掻きながら、
「俺は『導師』という身分のアシアではなく、『アシア』自身を信頼している。俺は『導師 アシア』の友人ではなく『アシア』の友人のつもりだ。だから、俺の返事は、仕方がないな、なんだ。」
ニッと笑う。
アシアはセドリックのその笑顔と言葉に、なぜ、と再び問いを口にし、目を伏せた。
しかし、それはセドリックへの問いではない。信じられないという意の『なぜ』だ。
怖い、と言いながら、離れていこうとしない。離れていかない。絶縁、といった言葉ではなく、アシアから求めたとはいえ、今も友人という言葉を口にする。お人好しもいいところだ。
「俺はさっきも言ったが、アシアと出逢って、このように付き合ってみて、導師様でも感情は動いて良いと思ったし、動いて当然だとも思っている。」
セドリックは静かに語りかけるような声音で話し出す。
「だからアシアに喜怒哀楽があって普通だと思う。ただ。」
と、そこでセドリックは言葉を切る。
アシアは目を伏せたまま、セドリックのその先の言葉を待ったが彼は言葉を切ったまま、その先の科白を語らない。アシアの耳には風を渡る草花が奏でる音が、時折聞こえるだけだ。静かな時間が過ぎる。
沈黙に耐えかねてアシアは伏せていた目を上げると、アシアを見る水色の瞳の視線とぶつかった。
「ただ?」
そのまま黙ってしまったセドリックへ、アシアはその先の言葉を促す。彼は何を言おうというのか。『導師』への説教か。『友人』への進言か。
セドリックが言うように、アシアにも喜怒哀楽といった感情はある。それを表面に出さないだけだ。怒るよりも哀しむよりも諦めてきただけだ。感情を動かすことを、表出することを諦めてきただけだった。
「ノア様は、アシアのように物静かな方なのか?」
話の先を促したはずなのに、今までの話の流れとは関係のない人物の名を口の乗せ、セドリックは訊ねてきた。
「ノア、ですか?」
ノアはアシアの育ての親であり、導師としての師でもある。今回のライカ国在住の『導師 ジェネス』への使いをアシアへ頼んだのも、ノアだ。それはノアの用事でもあったのだが、あまりにも『人』と関わろうとせずオウカ国の森の中の、アシアのお気に入りの場所から出ようとしない、そのような導師としての務めを積極的に果たそうとしないアシアへ、育ての親としての叱責のつもりもあったのだと思う。何年かに一度はそのように、何かと理由を作ってはアシアを森の外へ、オウカ国から他国へ出かけるようにアシアはノアから仕向けられている。アシアとしては、割と頻繁に外へ出ているといった感覚なのだが、外へ出かける都度、『人』のいる風景がかなり変わっているため、『人』の時間の流れからするとたぶん、頻繁とは言い難い間隔なのだとの自覚はある。
ノアは、アシアとは違って『人』付き合いがいい。『導師』の身分を隠して城下街へよく出かけている。その時々によって、馴染みの店や友人と呼ぶ『人』もいるようだ。とはいえ、導師は人とは違い、寿命がないに等しく、ましてや老化もしない。容姿は30歳前後で止まってしまう。ゆえに、馴染みの店や人ができても、ある程度の年月を経ると、彼女はその店に行かず、人にも会わないようにしているようだった。
そのことについてずいぶん昔にアシアは、淋しくないのか、と彼女に問うたことがあった。そのアシアの問いに彼女は笑んだだけで、言葉としてはなにも返ってこなかった。だから、『人』と親しく付き合うことは、『導師』としては淋しいことなのだとアシアは受け取った。それは、アシアが『人』と積極的に接することをしなくなった要因のひとつにもなってしまった。ただ、彼女がそのときのやり取りのことを覚えているのかどうかは、アシアには解らない。それ以降、そのような内容を、アシアとノアとの会話の中での話題としたことがないからだ。
「ノアは、僕とは真逆です。感情表現が豊かで、素直にそれを表に出します。楽しいときは無邪気に笑い、叱責すべきところは叱責します。」
「それはアシアに対してだけでなく、『人』に対しても、か?」
セドリックの続いてのその問いかけに、アシアは改めてノアの言動を振り返る。
ノアは、アシアに対して親としての責務があるからなのだろう、注意すべきところでは注意してきたし、叱ってもきた。しかしそれは、アシアにのみではなかったことに、セドリックに問われて改めてアシアは気付いた。ノアは、『人』に対してもアシアへ接するように接していたし、現に接している。『導師』としての身分を隠して城下街で『人』と接しているときも、彼女は感情を抑えたりしていない。笑うときは笑うし、怒るときは怒っている。エイダのようにひと呼吸置いて、己が感情を呑み込んでから叱る、なんてことはなく、どちらかと言えば感情に動かされたまま怒ったり、叱ったりしている。言い過ぎた、と時折反省している姿も見かける。
なのに、けれども、『人』が彼女に対して恐怖心を抱いたところを見たことがなかった。彼女が城下街へ出かけているときは、常に彼女は『人』に囲まれていた。だから、馴染みの店も『人』も、その時々に必ず居る。『人』が彼女から離れるのではなく、彼女が『人』から離れるのが常だ。
「そう、です。」
そこまで振り返ったアシアは、ゆるゆると肯定をする。
アシアはセドリックからの問いかけで、ノアが『人』に恐怖心を抱かせることなく、己が感情を現している事実に気が付いた。
ノアは『人』が好きだから、『人』に囲まれるのだと。それは『導師』だから当たり前なことなのだ、と。その当たり前の感情を持つことができない自分は『導師』としては、何かが足りないのではないかと、自身の『導師』としてのあり方や存在価値に疑念を持ち、迷い、ここまでアシアは生きてきた。
けれども、セドリックの問いかけで気が付いた。
『人』がノアを慕うのは、『人』と同じように感情を現すからだ。相手にぶつけるからだ。そのことによって、『人』がノアに同調できるからだ。
『人』へ恐怖心を抱かせることなく、己が感情を『人』へ表出できるのは、どうしてなのだろう。どのように導師としての感情をコントロールしているのか。今まで『人』から慕われ囲まれるノアを不思議には思っていたが、『導師 ノア』がその感情をどのように捌いているのかまでの考えには至っていなかった。ノアが『人』から慕われるのは『導師 ノア』の気が知らず洩れて、『人』がそれを嗅ぎつけるからだと思っていた。街中でアシアがいくらその導師としての気を抑えて潜めていても、『人』から声をかけられてしまう、そのようなものだと。
「なら、アシアもノア様と同様なことができる可能性はあるってことだな。」
と、アシアの肯定の返答に、セドリックはどことなく嬉しそうだ。
アシアは傷ついた自身の内側にばかり眼を向け、ノアとは正反対に『人』と関わることに消極的になっていった。なぜ、ノアが『人』と上手く付き合っているのか。怯えさせることも、慄かせることも、恐れ、畏れさせることもなく、『導師』の身分を隠し『ノア』として人と交流を持つことができているのか、考えることがなかった。ゆえに、彼女へ訊ねることもなかった。
「そう、ですね。可能性は、あると思います。」
それは一朝一夕にできるものではないだろう。ノアが長年培ってきた技術の一つなのかもしれない。けれども、アシアが人と関わることをできるだけ避けたいがために、『導師』としての存在感を潜め街中を出歩くことが自然とできるようになっていたように、それはアシアが求めれば息をするようにできるようになる可能性は、ゼロではないようにアシアは思えた。




