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出かけるにあたって、外套を取ってきます、と言って2階へあがったアシアと、ちょっと待っててくれ、と言って厨房奥の食料庫へ入ってしまったセドリックをディフは玄関先で待つ。程なくしていつもの外套を着て、そのフードを目深に被ったアシアと、何かが入った麻袋を抱えたセドリックが合流したところへ、朝から見かけなかったウルフがどこからともなく現れ、彼も付いてくるつもりなのかセドリックの足元で軽く尾を振っている。
「アシア、その格好で出かけるのか?」
と、フードを目深に被り、顔が見えないアシアへセドリックは訊ねる。アシアのその格好は、セドリックが宿屋で出逢ったときのその姿だ。彼はいつもその出で立ちで旅をしているのだろう。
セドリックからそう訊かれたアシアは、そのつもりですが、と何か問題でもあるのか、と不思議そうな声音で答えた。
「いや、問題はないんだが。・・・まぁ、いいか。」
と、セドリックは歯切れが悪い。
「指摘箇所があれば、遠慮なく言ってください。」
首を少し傾げるアシアに、
「いや、気にしないでくれ。」
そう言うと、行くか、と先に立ちアシアとディフを先導する。そのセドリックの横をウルフが付いて歩き出したので、やはり彼は同行するつもりらしい。
「先に、ロイのところへ寄りたいんだが、構わないか?」
先立ち歩くセドリックがアシアへ振り返り訊ねた内容に、アシアは、お願いします、と答えた拍子に、ついセドリックと横並びで歩き出してしまった。そのため、そのふたりの半歩後ろを、ディフがついていくような形となったことに、アシアとセドリックは気付くと歩みをいったん止めた。大人の歩幅に子どもがついていくのは少々無理がある。
歩みをいったん止め、今度はセドリックとアシアの間にディフを置き、ディフの歩幅に合わせて大人たちが歩こうとした。けれども、大人ふたりの間に挟まれ、そわそわとして何か言いたげなディフに気付いたアシアが、どうしましたか、とディフに問う。問われたディフは、
「なんでも、ないです。」
と首を横に振りそう答えるが、それでもどことなく落ち着かない雰囲気だ。
そのディフの様子に何か気がついたのか、セドリックが、
「ディフが迷子にならないように、アシアが手を繋いでやってくれ。」
俺は荷物があるからな、とアシアに向けてニッと笑った。
セドリックの言葉に、そういえば、と先ほど外套を取りに2階へあがるために繋いでいたディフの手を離したとき、彼は一瞬、淋しげな表情をしたことをアシアは思い出す。彼を買ってからここまでの旅の道中も、馬での移動が主だったため、彼と手を繋ぐことはほとんどなかった。
セドリックの勧めに従い、左手をディフへ差し出し、
「手を繋ぎましょうか。」
とのアシアに、ディフは一瞬ためらいの表情を見せたが、はい、とうなずくとその手を取った。
ディフが繋いだアシアの手は、当然ディフの手よりも大きく、ディフの手は包まれる。しかも、ディフの手を包むアシアの手は温かく、なんだかディフの心はくすぐったくなる。
この状況は、養親宅で養親と義兄が、また村の中で時々手を繋いで歩いている親子をディフが見かけていた、そのものの風景だ。見かけるたびに、何となく物悲しくなっていた風景だった。羨ましい、とは違っていて、今思えばディフが抱いていたその気持ちは淋しさだったように思う。なぜなら自分には絶対、あの風景のようなことがあり得ないからだ。あの風景に、自分が立つことなど、あり得なかったからだ。
それが、諦め、切り捨てていた思慕の風景の中に今、ディフは立っている。嬉しいはずなのに、なぜか泣きたくなる。しかし、ディフが涙を見せれば、アシアとセドリックは困ってしまうだろう。
涙と気持ちを抑えるために、ディフはぎゅっと唇を噛み、少しうつむいた。
ディフの気持ちにセドリックは気がついたのか、荷物を持つ手を左手に持ち替えると、空いた右手でディフの頭をいつものように、くしゃり、と撫でる。そして、さぁ行こうか、とアシアとディフを促した。
ぎゅっとアシアの手を握ってくるディフの様子に、アシアはもっと早くにディフとふれあえば良かった、と少しの後悔の念が芽生えてくる。彼はずっと、淋しかったのだろう。しかも淋しかったことすら、彼のこの様子から彼は気付かなかったに違いなかった。
両親が居ないまま生きている子どもは、ディフだけではない。この箱庭には、また過去からは数え切れないくらい、このような子どもは居たし、居る。それはなくなることでもない。
だから、彼が決して特別なわけではない。現に、彼が生きてきた彼の国では、今もディフのような子どもは生み出されているはずだ。
今までそのような子どもを見聞きするたびに、アシアは心を痛めてはいたが、それだけだった。アシアの住むオウカ国での話なら、ノアと共に施政者へ諌言するのだが、他国の話となるとそれは難しくなる。その国に住む導師でないと、施政者は耳を貸さないだろう。
そもそも『導師』というものは、セドリックがアシアのことを初めて導師だと知ったときに口にしたように、伝説上の生き物のごとく捉えられている。導師は寿命というものがあるのだろうか、と思うくらい長命だが、その数はほぼいないに等しい人数だ。今、アシアが確実に知っている導師は、ノアと、ノアのなじみであるライカ国の『導師 ジェネス』だけだ。アシアが今まで生きてきた200年弱の人生の中でも、出逢った導師は片手に満たないくらいだった。
オウカ国もライカ国も各々で導師を抱えていることに関しては、公にはしていない。噂すらも広まらないくらい、導師の存在は隠されている。それは、導師のいる国は豊かになり、大国になる、と根も葉もない噂話がいつの間にかまことしやかに人々の間に流れ、そのことにより導師がいつからか、人の間で神だと崇められるようになったからなのかもしれない。
人の欲は際限がなく、そして業も深い。導師を取り合うための戦乱も、過去にはあったとノアは言っていた。その頃には、まだ今よりも多くの導師が存在していたのだとも。
そもそも、『導師』とは何者なのか。
導師であるアシアですら、自分のことであるにもかかわらず、わからない。ノアは、なにも言ってくれてはいない。あえてアシアも、そのような疑問を口にしたことも無かったのだが。
『人』とは違う魂を持ち、『人』の魂の循環には決して交わることはない。果たして、『導師』にも魂の循環があるのだろうか、それすらもわからない。
この箱庭を創造主が望む世界に導くべく、導き続けるために、導師は遣わされている、とアシアは誰からも教えられてはいないのだが、そのような感覚が、物心ついたときから持っていたし、今も持ち続けている。箱庭の主人公は『導師』ではなく、『人』であることも、感覚的に知っている。ゆえに、『人』がこの箱庭の中でどのように進んでいくか、が、創造主の望む箱庭が維持できるかにかかってくる。『人』が進む道を間違えないように導くため、『導師』は創造主の命により、この箱庭に遣わされているのだ。
だから、『人』に説く。それが仕事であり、使命だ。どれだけ『人』から耳を傾けられることがなくとも、創造主が望む箱庭を維持するために、『人』にこの箱庭での『人』としてのあり方を説くのが『導師』だ。
けれども、導師とはいえ、アシアにだって心はある。『人』の欲による身勝手な振る舞いに振り回され、辟易しているのが現状だ。『人』に疲れ、よって『人』に対して愛着がわかず、ゆえに『人』と積極的に関わろうとせず、そのような導師にあるまじき行動にノアからの説教を受けながらここ百年近くは過ごしてきている。『人』は『導師』が果たして導くべき存在であるのだろうか、と箱庭を構成する根本にアシアは疑問を持っている。
そのアシアに訪れた、想像もしていなかったディフとの出逢い。その出逢いから、セドリックやエイダ、ジョイに繋がっていった、縁。彼らとの出逢いは『導師 アシア』を見つめなおすきっかけになっていると、痛感している。ディフを拾ったことは、『導師 アシア』の転機だ。
そうはいっても、ディフを拾ったことへの後悔は、変わらずある。彼を拾ったことで『人』と積極的にかかわらなければならなくなったからだ。しかし『導師』として、いったん掬い上げた命へは、責任を持って最後まで見届けなければならないことも、理解している。彼を放り出すつもりは、全く無い。
彼との出逢いは、果たして偶然のだろうか。『導師』として生まれ、その責務を果たそうとしないアシアへの、この現状は創造主からの何かしらの意図が働いた結果ではないのだろうか、との疑念もある。仕組まれた、出逢いなのではないのだろうか、と。
ディフとのかかわりは、彼を拾った『導師 アシア』としての責務だ。そう思っている。なのに、責務のはずなのに、彼に関する出来事に、心が動かされてしまうことが多々起こることに、アシアは少し戸惑いがある。アシアは、感情の起伏がそんなに激しくは無いはずだった。喜怒哀楽で心が動かされるよりも、諦める方が先立っていた。
昨日のエイダの、腹立たしかったのではないか、といった指摘の言葉がアシアの心の中、反芻される。
確かに、腹立たしかった。仕方が無かったとはいえ、アシアの勘違いだったとはいえ、ディフを追い詰めようとしたウルフにも、ディフを大人の汚い欲に巻き込もうとしたように見えたロイにも。
なぜか、腹立たしかったのだ。
けれども、その理由の答えは未だアシアには見つけられていない。




