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箱庭の管理人  作者: つきたておもち
第4章

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 厨房に入ると、調理台で何か下ごしらえの作業をしているエイダの背中が見えた。そのエイダはセドリックたちの気配を感じたのか、セドリックたちが厨房に入ると同時に作業の手を止め振り返り彼らを視認する。そして彼らに近づき、彼らがおのおのの手に携えているマグカップを静かに受け取った。その表情は特に変化はなく、怒っているのかどうなのか、一見解らない。

 マグカップを受け取ったエイダは、何も言葉を発することなく、厨房奥のテーブルへと視線を移した。セドリックとアシアはそれにつられ、同じく移した視線の先には、こちらに背を向け椅子に座っているディフの小さな背中があった。テーブルを挟んで斜向かいにジョイが座っていて香茶が入っていると思しきマグカップを口に運びながら、何かディフへ話しかけているところだった。話しかけられているディフはジョイの言葉に肯いたりはしているが、その背中からもしょんぼりとしている様子が窺える。

 セドリックはアシアをちらり、と見遣った後、セドリックだけで静かにディフの座る椅子へと近づく。

 セドリックに先に気が付いたのはジョイで、

「あ、父さん。」

ジョイのその呼びかけにディフもセドリックが、ディフが座っている椅子の隣に立っていることに気付く。

 セドリックはしゃがむことでディフの目線の高さに合わせ、

「香茶は、美味いか?」

と、ニッと人懐こい笑顔を浮かべ訊ねた。

 その問いに、何か答えようとするディフよりも先んじて、セドリックはディフの黒髪をくしゃりと撫でると、

「さっきは、ごめんな。」

ディフを怖がらせるつもりはなかったんだ、と謝罪の言葉を口にした。

「あの、ボクも、」

と、明らかにセドリックと同じく謝罪の言葉を口にしようとするディフをセドリックは制止すると、

「ディフはちっとも悪くないのだから、謝らなくて良い。謝っちゃ駄目だし、むしろ、俺に怒って良いんだぞ。」

優しい口調でそう言うが、ディフはセドリックの言っている意味が解らないのか、その藍色の瞳を瞬いた。

 そのディフへ、セドリックは再び彼の頭を、くしゃりと撫でると、

「ディフとジョイは、俺がアシアに怒られているところに、たまたまタイミング悪く帰ってきただけだったんだ。そのときの場の雰囲気をそのまま、ディフとジョイにぶつけてしまった。」

ごめんな、とディフの藍色の瞳を見つめて、再度セドリックは謝罪の言葉を口にした。

 ディフは今まで、他人から、特に大人から謝られた経験がない。事が起きればディフの所為だ、と言われ、誰もディフを庇うことが無く、故にディフ自身もそれに対し自分が悪いのだから仕方が無い、と受け入れていた。そういうものだと、思っていた。

 それが、大人のセドリックが、子どもである、セドリックより確実に格下のディフに、頭を下げているのだ。セドリックがアシアに頭を下げることはあっても、自分にそのようなことをされるとは、まったく思ってもいなかった出来事で、ディフは先ほどとは違う意味で思考が停止してしまった。

 セドリックは、戸惑いの表情で何も言葉を発することができないディフへ、人懐こい笑みを向ける。 そして、ゆっくりと立ち上がると、

「長老のところに、出かけてくる。」

ディフとエイダを頼むぞ、とジョイへそう伝えて踵を返す。

 と、踵を返した先には、セドリックとディフのやり取りを見ていたアシアが立っていた。

 アシアは苦笑を浮かべ、

「僕に『怒られた』なんて、人聞きの悪いことを言いますね。」

と抗議の声を上げる。

 セドリックはそのアシアに、悪りぃ、とニッと笑うとアシアとすれ違いざま、アシアの肩を軽くひとつ叩いた。そしてエイダに向かって片手をあげ、厨房から出て行く。そのセドリックの後ろを、厨房入り口で座って待っていたウルフが共として付いて行った。

 セドリックとアシアの、そのような自然な一連のやりとりを見ていたジョイが、少し目を見開き驚いた表情をしたが、エイダからの意味ありげな視線を受け、それに対して特にアクションを起こさず、わかった、とセドリックの命にうなずいた。

 セドリックが立ち去り空いたディフの隣に、今度はアシアが近づき屈むと、

「僕もディフを傷つけてしまいました。」

ごめんなさい、とぎゅっと握り締められテーブルの上に置かれているディフの手に触れ、謝る。

 それには、ディフはとっさに頭をぶんぶんと横に振った。

 アシアから咎められることはあれど、アシアに謝られるようなことはない。子どもは大人の言うことを聞くのが当然で、大人の命は絶対だ。逆らったり口答えしたりすれば、殴られて当たり前なのだ。特にディフはアシアに『買われた子ども』だ。『買った大人』が『買われた子ども』へ頭を下げることなど、有り得ない。

 あのような冷たい微笑を浮かべさせてしまった自分に非があったのだ。

 ディフはアシアの役に立ちたい、アシアに褒めてもらいたいと起こす行動が裏目に出てしまう自分が、不甲斐なかった。このままではアシアから置き去りにされてしまうのではないか、といった恐怖心がわいてくる。『名無し』だった自分に『困難に立ち向かう』という名を与えてくれたアシアと、ずっと一緒に居たい。その傍に置いて欲しいのに。

 アシアから見捨てられることが、ディフには怖かった。

 ディフはアシアから、『アシア』と名で呼ぶことを許されているが、本当は『だんなさま』とアシアのことを呼ばなければならない立場であることを、忘れてはいけないのだ。自分はまだアシアから謝られるような、そのような価値のある存在ではないのだから。

「アシアは、全然悪くないです。」

 テーブルの上に置いているディフの、ぎゅっと握られた手に更に力が入ったことに、手を添えているアシアへ伝わってきた。それに気付いたアシアが何か答えようとしたその時、

「な、オレが言ったとおり、導師様は怒っちゃいなかっただろ?」

 ディフの斜向かいに座っているジョイが、そう言ってディフへニパッと笑う。

「ディフはオレや母さんの手伝いをしてくれているんだし、むしろ褒められてしかるべきだと、オレは思うんだ。」

ね、導師様、と今度はジョイはアシアへニパッと笑ってそう話す。

 その笑顔はセドリックにとてもよく似ている。アシアは長老宅へ今しがた出かけて行った彼からそう、諭されているような感覚に陥る。

 そのジョイの言葉に、アシアは、そうですね、とうなずき、

「ディフは僕が言わずとも、セドリックやエイダ、ジョイのお手伝いをしてくれています。そのようなディフに、ジョイが言うように褒めることがあっても、僕が怒ることなどあり得ません。」

ありがとう、と柔らかな微笑をディフに向けた。

 アシアのその笑顔を向けられたディフの、ぎゅっと握られていた拳の力が、ゆっくりと解けていく。

 彼のそれに幾分か安堵したアシアは、

「ディフはこの後も、エイダやジョイの何かお手伝いをするのですか?」

何も無ければ、アシアは昨日からディフと約束をしていた森へ、一緒に出かけようかと思い、そう訊ねた。図鑑の持ち出しについてはセドリックからは許可を得ていないので持っていくことはできないが、アシアが持つ知識の範囲内でディフへ教えることができれば良い、と判断した。

 しかし、ディフからの返答は、はい、だった。

「香茶を飲んだら、エイダさんの洗濯のお手伝いをします。」

 その表情は、さっきとは違い何となく、少し誇らしげに見える。今までのディフの生活は、幼い彼が仕事をするのが当たり前で、褒められることや感謝されることが無かったのだろうと、彼が養親宅での生活を話してくれた内容から容易に推測できる。手伝っていることをセドリックやエイダ、ジョイから褒められて、嬉しいのだろう。そしてアシアも今、褒めたところもあるのだろう。

 その肯定的な感情をせっかく持ったディフのその気持ちをアシアは受け止め、そうですね、と答えると、

「僕も一緒にお手伝いをしますね。」

そう申し出た。

 それに反応したのは、ジョイだった。とても驚いた表情でアシアに、

「導師様にしていただくわけには、まいりません。」

と、両手を振り、

「オレも一緒にするので、大丈夫ですから。」

慌てて断りの言葉を放つ。

 それに対して、いいえ、と、

「お世話になっているのはディフと同様、僕もです。仕事を手伝って当然ですから、気にしないで僕も使ってください。」

アシアは笑顔でジョイへ返す。

 それでも、でも、いやいや、と困惑した表情でそう口走るジョイへ、そのやり取りを黙って見ていたエイダが、

「では、導師様の服を、導師様自身で洗濯なさいますか?」

折衷案で助け舟を出してきた。

「ディフも自分の服は自分で洗う、と言っていますし。」

 エイダのその案にアシアはうなずくと、

「では、準備してきますね。」

立ち上がり、着替えるべく2階の部屋へと上がって行った。


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