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箱庭の管理人  作者: つきたておもち
第1章 序章
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3

 その言葉に、踵を返そうとしたその足を止めたアシアを見て、

「だってそうだろ。ちっとも売れやしないコイツをいつまでも飼っておけるか。旦那も見てのとおり、こいつのこのナリだ。立っているのがやっとの体力で仕事もろくすっぽできない、かといって慰み者にもなりゃしない。こいつはタダだったとはいえ、損した商売だ。こっちだって、今日を食べていかなきゃなんないんだ。」

 最後の言葉は怒りを滲ませ、吐き捨てるようだった。

 人道的な配慮のない人身売買は決して許されるものではない。しかしながら、この男もこの国では人生の逆転劇があり得ることのない、売られ捨てられようとするこの子どもと同様の弱者であることにかわりはなかった。

 そう思うと、ざわり、と心がざわめく。

 かといって、一時的な感情で行動に移すのは、あまりよろしくないとも思う。特に、他人の人生が自分の身に委ねられるかもしれない、といった時は、だ。そうでなくとも自分は『箱庭』の流れから逸脱している導師のひとりであるのだから。

 そのような、アシアがこれから起こそうとする行動に対して戒めの言葉が瞬時に頭に浮かんだ。

 が、アシアは小さなため息をつくことで頭に浮かんだそれら自分への警告を振り払うと、

「5ルークでしたね。」

懐から小銭袋を取り出し、口に出した金銭より多く男の手に渡した。

「こりゃあ。」

 掌に乗せられた小銭を見て、少しの驚きと喜色の混ざったような表情を浮かべた男へ、

「この子は僕が養親として責任を持ってお預かりします。これは今までこの子を養ってくださった代金です。決してこの子をあなたから買うための金銭ではありません。」

 アシアがこの子どもの里親として申し出、男に渡す金銭は男がこの子を今まで養ってきた必要経費であり、人身売買ではないことを念押しした。

「わかっていますよ、旦那様。…ほら、これからはこの旦那様の言うことをちゃんと聞くんだぞ。」

 アシアの言葉の意図に気づいているのかいないのか、媚びるような笑みとなった男は自分の陰に隠れるようにして立っている子どもの細い手首を武骨な手でつかむと、乱暴にその陰から引っ張り出し、アシアの前に立たせた。

 陽の光の下に無理矢理さらされたその子どもは、視線を足元に落としたままアシアをちらりとも見ない。うつむいたままではあるが、そこから見える表情は悲哀でもなく、恐怖でもなく、それはあきらめでもなく。

 何の感情もない、無気だった。

 この様子から、この子どもがどのような経過をたどりこの場に立っているのか、想像に難くない。

 しかし、どれほど豊かな国であっても必ず存在する『貧困の子ども』の姿だ。

「名前は、なんていうんですか?」

 アシアは子どもの目線に合うように膝を折り、目深にかぶっていたフードを剥ぐ。フードの下からは白金色で少しくせ毛混じりの短髪と、琥珀色の瞳に柔らかな笑みを浮かべた、歳の頃は27、8とおぼしき青年の姿が現れた。

 青年は彼の左手を取ると自身の手でそっと包み込み、先ほどの男に対してとは違う柔らかな声音で名を問う。

 子どもは手を取られた瞬間、弾けるようにびくり、とするが、アシアの手を振りほどくことはなかった。そして、伏せ気味だった瞼をゆっくりと開けた。

 最初、瞳の色は黒だと思った。

 しかし、すぐにそれはとても濃い藍色なのだと気づく。黒とみまがう程の深い、深い藍色。

「ノィナ。」

 小さな声で返ってきたその名は、いわゆる『名無し』という意味だった。

 その名を聞いた後、アシアは半拍置き、

「・・・そうですか。では、僕が君の名付け親になってもいいですか?」

柔らかな笑みを浮かべたまま、静かに問う。彼がこくりとうなずくのを確認するとアシアは、

「『ディフ』、はどうですか?」

思案する間を置かず、即座にそう提案した。

 名付け親を、の申し出と同時にアシアに降りてきた彼の名、『ディフ』。その意は、困難に立ち向かう、だ。

 それは啓示。天啓。

 この子どもがいわゆる神といわれるべき存在から、生まれた時に賜ったものだ。

 平たく言えばこの子の『運命』。

「ディフ・・・。」

 小さくその名を子どもは呟くと、その藍色の瞳に淋しさの色を一瞬だけ過ぎらせた。が、すぐに「はい。」と答え、それに続き、

「これからよろしくおねがいします。だんなさま。」

たぶん、彼を売った男から躾けられたのであろう言葉を口にした。

 アシアはすかさず否定の意で軽く首を横に振ると、

「僕の名は、アシアです。アシア、と呼んでください。」

彼の手を包み込んだその手に少し力を入れ、握る。

「アシアさま。」

「違います。アシア、です。」

「・・・アシア?」

 困惑気味にアシアの名を呼んだ小さな子どもの声に、アシアは「はい。」と答えると、

「こちらこそ、これからよろしくお願いしますね、ディフ。」

この子どもの不安を払拭する、柔らかな春の陽光のような暖かな笑顔を浮かべた。


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