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アシアのそのような表情を見ると、セドリックは昨日の大木の下でのやり取りを思い出してしまう。あのときも彼は、とても傷ついた表情をしていた。そして、セドリックに対して、何かを期待するような琥珀色の瞳をしていた。
あのとき、自分は何を思ったのか、考えたのか。
アシアのことを導師とは知らず接してきたそれまでの間の、彼の何を見て、彼に対してどのような判断を下して、そして何に対して、腹を決めたのか。
そう。あのとき、自分は確かに腹を決めたのではなかったのか。
そして、昨夜、エイダから後押しをされたのではなかったか。
ぐっ、とセドリックは両掌を握り締める。そして顔を上げ真っ直ぐにアシアの琥珀色の瞳を捉えると、
「アシアのことを『導師様』と知らずに普通に接していたときのように、今後も接するといった約束を破ったことに、だ。」
そこまで言ったが、セドリックは首を横に振り自らが放った言葉を取り消す。
「いや、最初から約束を破り続けていたことに、だ。」
セドリックが根底では怯えや恐れを持ってアシアと接していたことに、アシアは気づいてはいなかったかも知れなかったが、セドリックはそれを自ら吐露した。そして、すまなかった、ともう一度頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。
あの大木での約束の意味は、アシアはセドリックとは『導師』や『人』といった括りを外した、フラットな関係を望んでいることだった。それは言葉使いやアシアへの呼称のこだわりではなかった。それらは彼が望む根幹からくる枝葉でしかない。
それをセドリックは腹を決めてあのとき、受け入れたのだ。それは、アシアが『導師』様だったからではない。それまでの間のアシアの行動や言葉などから、『アシア』が信用に足る人物だと判断したからだ。
それなのに、その後もセドリックはアシアに対して、意識下に無かったとはいえ「彼は『導師』だ」、といった、いわばフィルターをかけてアシアを見ていたし、そのように接していた。怯えや恐れを心の奥底では抱き、しかしそれをアシアには気づかれないように細心の注意を払いアシアと付き合ってきた。
彼が大木の下で『導師』だと明かしたときに彼が放った異様な空気感は、恐怖といった感情とともにセドリックの心の中に刻まれてしまい、決して忘れることができなかった。また、セドリックは幼き頃から両親や長老たちから『導師様』に関する逸話を、寝物語に散々聞かされてきたのだ。『導師様』は自分たち『人』とは同じ場に立つことは無い、崇め奉る上位の存在だと植え付けられている。それらが根底にあるがゆえに、アシアに対してフラットな関係を持つことができなかった。それは、『導師』である彼がそれを如何な切望してもだ。しかもアシアは『導師』としての力を、あの大木の下で約束をして以来、気軽にセドリックの前で使っていたことも、セドリックがアシアに対して怯えや恐れを拭うことがいつまで経ってもできない要因のひとつになっていた。
とは言っても、セドリックはあの大木の下でアシアの申し出を、腹を決めて受け入れた。約束を破り続けていた自分に非があった。
頭を下げ、謝罪するセドリックに、
「セドリックは、本当に正直ですね。」
アシアはくすり、と笑う。その笑顔は、先ほどまでとは違い穏やかだ。
アシアは『人』は嫌いではないが、好きでもない。今まで自らが積極的に関わりを持とうとも思わなかった。使命上、仕方なく王族との付き合いはあったが、それだけだ。
『人』に興味は無かった。面倒くさい、が先立った。王宮近くの森の、アシアのお気に入りの場所で、独りでぼんやりと過ごすことが、何よりの至福だった。『人』など、アシアが『導師』だと知ったとたん、拒絶するか擦り寄ってくるかの2択だった。何かを期待する存在ではなかった。
正直なところ、ディフを拾ったことも後悔はしている。その後悔は、『人』の人生が自分の肩にかかってくる責任の重さのことではない。『人』と関わりを持ってしまったことへの後悔だ。『人』と関わりたくない、が本音だ。
それが、今では。
そして、ディフを拾ったからこそ、セドリックと出逢うことができた。理由は解らないが、セドリックは今までの人生の中で唯一、縁を繋ぎたいとアシアが願った『人』だった。
それは『導師』と『人』ではなくて、対等な関係を築くことの願いだ。
だから、かもしれない。本来なら『人』に対しては見せることがほとんど無かった、『導師』としての力を、気にせず普通に使い、見せていた。ただ、そのことにより、更に『恐れ』と『畏れ』を抱かせてしまう、といったことになるとも考えもせず、ノアの前でしているような、ありのままの自分をさらけ出していた。
それはアシアの中に、セドリックへの甘えがあったからかもしれない。セドリックは自分を受け入れてくれた、と思い込んでいたからかもしれない。
いや、それだけではなく、セドリックからは暖かな気が漂う。それは自分が好んで居続けているオウカ国のあの森と同じ匂いだった。アシアの心の中に安心感と安寧をもたらす、そのような香りだ。
そしてその香りは、この村の、セドリックの家の近くの森も同様だった。
「いえ、僕の方こそセドリックへの気遣いが足りませんでした。」
アシアもセドリックへ頭を下げる。大木の下での約束は、アシアにとっては願いであっても、セドリックの立場から言えば『導師』から『人』への下命だ。逆らうことのできない命令だった。そこまで考えが至らなかった。
そのような態度のアシアに慌てるセドリックへ、改めて、と今度はアシアから手を差し出した。
「僕と対等な立場の知人、いえ、友人で居てもらえますか?」
友人など、お願いしてなってもらうものではない、とノアは言っていた。気づけば、なっているものだ、とも。
アシアは今まで、『人』との付き合いも、他の導師との付き合いもしたことが無い。そもそも導師自体の存在がほとんどないので、知り合いも片手以下だ。唯一、素の付き合いがあるのが、アシアを拾って育ててくれたノアだけだ。
この方法が、正解なのか不正解なのか、アシアには判断が付かないが、お願いするしか方法が解らなかった。
アシアから手を差し出されたセドリックは、思わずアシアを見遣る。
そこには、昨日の大木の下でやり取りをしたあのときのように、一般的な旅人の服を着た、少しだけ、ほんの少しだけの緊張と期待を込めたような琥珀色の瞳でセドリックを見据える、人となんら変わらない、自分の息子のジョイよりも少し年上に見える普通の青年が居た。
否。彼の見た目の年齢に似合わない幼いその行動は、ジョイよりもずいぶん年下に見える。そのような行為は、もっと幼い頃、ディフくらいの年齢のときに同じ年齢くらいの子ども同士で交わすようなものだ。アシアは第三者との付き合いや経験が、彼の年齢にそぐわないほど、足りていないのではないだろうか。
「はははっ。」
セドリックの口から、知らず笑い声がこぼれた。
腹を決めた。エイダの後押しがあった。そして、経験則から来る自分の第六感はなんと言っている?そこら導き出された答えから、セドリックがとる行動は、ひとつだった。
セドリックは差し出されたアシアの手を受け止めると、そのまま自分の方へと引っ張りその肩を組む。そして、
「これからも色々とぶつかるだろうが、頼むな。」
と、顔を近づけニッと笑う。
アシアは自分に向けられたセドリックのその人懐こい笑顔を見てほっとした表情を浮かべると、小さな声で、ありがとうございます、と言う。そして、セドリックが今まで見たことの無い半分泣きそうな笑顔で、小さな笑い声を落とした。




