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箱庭の管理人  作者: つきたておもち
第4章

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 頭を撫でられ、はい、とうなずいたディフを連れ立ってセドリックは、甕の傍に置いてある空の桶を3個持つと、ディフを促しその勝手口から外に出た。厨房の勝手口から外に出ると、すぐそこに井戸がある。

 井戸は手押しポンプで水を汲み上げるようになっていて、セドリックはディフに水口に手を差し出すように指示すると、ハンドルを何度か上下に押し、水口から水を勢いよく流し出した。ディフは流れ出る水を両掌で受け止め、顔を洗う。井戸水はディフが思っていた以上に冷たい。

「山に近い家だと、山の湧水を家まで引いてこれるんだが、ウチは森に近いからそれができなくてな。水汲みは毎日のちょっとした重労働なんで、手伝ってもらえると助かる。」

 水汲みが重労働な家事であることは、養親宅で日々、作業をしていたディフにはよく理解できる。一度では水を溜めておく甕を満たすことはできないので、何往復も重い桶を運ぶのだ。特にディフは子どもで身体も小さい。1回に運べる桶はひとつであり、その桶も水で満杯にするとディフの力では持てなくなるため、自ずと桶に入れる水量も限られてくる。となれば、甕を水で満たすためには回数を重ねなければならなかった。しかも、ディフが暮らしていた村は、井戸の場所が村内で数箇所しかなく、養親の家からはちょっとした距離になった。セドリックの住むこの村も井戸がある場所は限られているだろうが、幸いなことにセドリックの家は勝手口から出てすぐ傍に井戸がある。労働量としてはまだマシだとディフには思えた。

「村の人はここまで、水を汲みに来るのですか?」

 そう問うディフにセドリックは顔を拭くためのタオルを手渡すと、

「いや。それぞれの家の敷地内には井戸があるから、わざわざ他人の家の井戸にまで汲みに来ることは無いな。」

答えながら、家から運んできた空の桶を水口に置き、桶を水で満たしていく。

「だから、一度に甕にいっぱい水を満たさなくてもいいんだ。」

 ただし、と、

「1日に2回、朝、夕と水汲みの作業がある。だから、ディフの手伝いはとてもありがたい。」

 セドリックのその言葉にディフは、水汲みがさほど重労働には受け取れなかったが、セドリックからのディフが手伝うことへの感謝の言葉を聞くと、今まで働いて当然の環境下だったディフにとっては、なんとなく嬉しい。

 アシアに買われ旅に出てからはディフにとって、嬉しいことばかりだ。今までは何をしても罵られることはあっても感謝されることはなかった。くすぐったい気持ちも、心がぽかぽかと暖かくなる気持ちも、旅に出て初めて覚えた心地良い感情だ。

 それはアシアと一緒だったからだ、とまで思いが至ったとたん、昨日から今朝にかけてのアシアとのやり取りと、ディフの藍色の瞳には決して映らない何かを見ている琥珀色の瞳が、ディフの脳裏に再び甦ってきた。

「どうかしたか、ディフ?」

 突然に、見るからに元気がなくなってしまったディフに、その理由が解らないセドリックは、体調でも悪いのか?と心配する。

 ディフはそれに首を横に振り、

「アシア、帰ってくるかな。」

と、ぽつりと心配事の種を言葉にして落とした。

 セドリックは、そりゃ帰ってくるだろう、と返そうとしたが、ディフが何故、そこまで心配するのか、何か理由があるのではないかと考えてその言葉を飲み込み、

「心当たりが、あるのか?」

そう問いかける。

 ディフはうつむき、何かを逡巡するかのように黙っていたが、ゆっくりと顔を上げると、

「カバンを、持って行ったから。」

そう答えた彼の表情は、不安でいっぱいだといったような表情だった。

「アシアが肩にかけていた、あのカバンか?」

 ディフはそれにうなずく。

「中身も全部か?」

 それには、否定した。

「中身を置いて行ったのなら、帰ってくるだろう。」

 なにせ、アシアの荷物の中にはあの外套がある。あの外套をこの家に置いて行かれたら、セドリックが大変困るのだ。あの外套はセドリックの手に余る代物だ。

「でも、昨日の夕方に出かけたときは、カバンを持って行かなかったのに。」

 ディフのその言葉に、

「アシアは昨日の夕方も、出かけてたのか?」

驚いてそう訊き返すセドリックに、ディフはうなずく。

「ボクも空を飛びたい。」

 続いてディフの口から出た台詞に、セドリックはいったん瞠目し、次いで大きなため息をついた。

 アシアがほいほいと考えなしにその能力を、分別の付かない真っ白な『人』の子に見せるのは、ディフのこの状況を見ると良くないことではないかと思う。ディフは何も教育を受けておらず、今まで生きてきた世界はとても狭いものだった。それがアシアに拾われ、狭い世界から広い世界へと足を踏み出したばかりで、今はアシアから半分刷り込みをされている状態だ。雛が親鳥の後を付いて回りたいのは当然の気持ちだろう。

 親が飛べるのならボクも飛べる、と、アシアと一緒になって窓から飛び出さなかった分別があっただけ、良かったと思う。

 セドリックは、ディフ、とディフの名を呼びその頭を優しく撫で、ディフの目線に合うように膝を付く。

 そして、いいか、と、

「アシアは『人』ではなく、『導師』様だから飛べるんだ。」

ゆっくりと、

「『人』は『導師』様、つまりアシアのように空を飛ぶことはできないんだ。」

言い含めるように、ディフの藍色の瞳を見る。

「セドリックさんも?ジョイも飛べないの?」

 その問いに、セドリックは瞳を逸らさず、あぁ、とうなずく。

「・・・勉強をいっぱいしても?」

 ディフのほんの少しだけ期待を込めたその質問にも、そうだ、と無情な返事がセドリックから返ってきた。

 セドリックの無常な返答に、ディフの視線が再び下を向く。

 ディフも、何もかもを解っていない訳ではない。アシアができることが自分にはどうあがいてもできないのだということは、薄々気付いていた。でもそれだと、ますます自分が置いて行かれてしまう立場になってしまう。だから、気付かない振りをして、たくさん勉学に励めばアシアと対等になれないまでも、少しでもアシアに近づくことができるかもしれない、といった淡い期待を持っていた。そうすれば、アシアに置いて行かれるかもしれない、といった不安が取り除けるかもしれない、とも。

 それが、セドリックから現実を突きつけられ、どうして良いのかが解らなくなる。

「でも、まぁ、勉強はした方がいい。勉強しても空は飛べないが、アシアが飛ぶその手伝いはできるからな。」

 アシアのお手伝いが、できますか?、と、一縷の光を掴むかのようにディフがそのように問おうと視線を上げたその先、セドリックの背中越しに、

「ただいま、戻りました。」

いつもの笑顔を浮かべたアシアが立っていた。

「ディフは水汲みのお手伝いですか?」

 急に背中から声をかけられ、驚き弾かれたように立ち上がって振り向いたセドリックにアシアは朝の挨拶をしながら、そう訊ねてくる。

「僕もひとつ、持ちましょう。」

 手を差し出し、そう申し出るアシアは、確かにカバンを斜めがけにした格好ではあるが、ディフを置いて何処かへ行こうといった素振りは微塵も見られない。

 そもそもディフはアシアが拾った子どもだ。拾うときにはそれなりの覚悟を持ってのことだっただろうし、彼の身分上、自分が拾った子どもを勝手に置いて何処かへ去ってしまうような、無責任なことはしないだろう。

 それでも、心配顔のディフの前ではあるので、彼の不安を取り除くべく、

「・・・カバンを持って、出かけたのか?」

セドリックはディフが気にしている案件を口にした。

 そう訊ねるセドリックに、アシアは、コレですか?とカバンを触りながら、

「皆さんへの、森の恵みのお土産です。」

どことなく嬉しそうに微笑む。

 わざわざ独りで森へ、収穫をしに行っていたのだろうか、とセドリックが疑問に思ったことが顔に出たのか、

「森へは僕の用事で行っていました。収穫はついで、です。」

アシアはセドリックが何も言わなくとも、そう話す。

「僕の両掌だけだと持って帰れる量も限られるので、入れ物としてカバンを持って行っただけです。」

 カバンを持ち出したことに何か不都合でもあったかと、アシアは訊くが、その問いにセドリックは不都合は無かったと否定する。

 が、

「それだと、アシアのカバンが汚れるだろう。もし、今後も何か収穫物を持って帰ってきてくれるのなら、俺たちが収穫のときに使っている麻の袋を使ってくれ。」

アレなら汚れてもかまわないから、とそう申し出た。

 少しでもディフの心配事の芽を摘み取れれば、との配慮もあっての申し出だ。

「それは、助かります。」

 アシアは謝辞を述べることで、その申し出を受け取る。

 これで少しでもディフの心配事の芽を摘んだのであれば良いが、とセドリックが気になり振り返った先のディフは、一瞬嬉しそうに、お帰りなさい、とアシアを迎えたが、そこまでだった。ディフの両掌はぎゅっと握られ、彼はその場から動くことは無かった。セドリックはディフのその所作に何となく既視感を覚える。そういえば、出入国管理所の一件後も、そうだった。彼は両掌を握り締めたまま、何も言葉を発しなかった。

「アシアのそばに、行かなくて良いのか?」

 小声でセドリックはディフにそう訊ねるが、ディフはきょとんとした表情でセドリックを見上げた。セドリックはディフに、アシアへディフが持っていたその不安をぶつけなくて良いのか?と訊ねたつもりだったのだが、ディフにはその意が理解できなかったらしい。

 これが幼い頃のジョイたちなら、どうだったか、とセドリックは思い返す。子どもたちが幼い頃は、さすがに夜間、家を空けることはしなかったが、それでもセドリックが早朝から出かけ日中不在にし、夕方に帰宅したときは、帰宅したセドリックの姿を見つけたとたん、彼らは走り寄り、飛びついてきた。本当に小さい頃は、淋しかったと、帰ってこないのではないかと不安だったと泣きながら飛びついてきていた。エイダが傍に居てもだ。さすがに年齢を経るごとに、泣きながら飛びついてくることはなくなってきたが、それでもある程度の年齢までは、セドリックの不在が不安だったと言ってきた。

 その感情は、子どもたちは親の庇護下に置かれているのだから、当然のことだろう。庇護してくれる大人のこの翼が失われたなら、の『もしかも話』ではなく、不在時は実際に失われてしまっているのだ。未来予測が上手くできず、現状だけで不安を覚えるのは、幼さからくる当たり前のことだった。

 ディフもそうなのだろう。アシアに拾われるまでは大人の庇護下に居ないのが普通で、足元が不安定なのが当然だったのが、アシアに拾われ、庇護される安心感を覚えてしまった。それを失う不安感は当然持ち合わせる感情だ。

 ただ、それを上手く表現する術を彼は持っていないのだ。ジョイたちが泣きながら飛びついてきたようなことが、彼はできないのだ。できない代わりに、彼はその不安などといったあらゆる感情を、あの小さな両掌で握り締めているのではないだろうか。

 しかもそれすら、彼が気付いているのかどうかも怪しい。彼の両掌を握り締める行動は、彼の無意識下での行動だということもあり得る。

「ディフのその服は、ジョイのですか?似合っていますね。」

 アシアから褒められ、ディフは握り締めていた両掌を少し解くと、嬉しそうにはにかむように笑う。

「夕べ、エイダが箪笥に眠っているジョイの子どもの頃の服を、何着か出してきたうちの1着だ。夕べのうちに、ディフの体型に詰めることができたのがコレだけだったようだが、残りの服は今日、合わせるみたいだな。」

 セドリックは水で満たした桶2個を両手で持ち上げる。アシアもディフが持とうとした桶の持ち手に手をかけた。それを見たディフが、ボクが持ちます、と慌てたが、アシアは自分が斜めがけにしているカバンを外すと、カバンの方をディフに手渡した。

「大事な食料が入っています。エイダに渡してきてくれますか、ディフ。」

 アシアからそのような言葉とともにカバンを手渡されたディフは、はい、とうなずくとそのカバンを大事そうに抱え、大人たちの先に立ち、家の中へ入った。


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