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ディフが階下へ降りていくと、セドリックがちょうど厨房の部屋から出てきたところに出くわした。
おはようございます、と、ディフの朝の挨拶に、セドリックもいつもの笑顔を浮かべながら返してくる。そして、ディフを手招きすると、今出てきた厨房へと引き返した。何か手伝うことでもあるのだろうか、とディフはセドリックのあとに続き、厨房へと入る。
セドリックに続いて厨房に入ると、スープの香りとパンが焼けるような良い香りが漂っており、ディフの鼻腔をくすぐってきた。入った厨房には調理台やかまど、おそらく水が入っているのだろうと思しき大きな甕、食器棚などの他に、小さな四足のテーブルと四脚の椅子も備えてある。調理台に向かって食事の支度をしているのであろうエイダの後ろ姿があったので、ディフはエイダの背中へ朝の挨拶をした。その声にエイダは作業の手を止め振り返り、笑顔でディフに挨拶を返してくれる。エイダの笑顔はアシアとはまた違った柔らかさがあって、その笑顔を向けられたディフは、何となく面映い。
先にたって入っていったセドリックがテーブルに備えてある一脚の椅子を引き、ディフへそこに座るよう示すので、ディフはそれに素直に従い、椅子に座った。セドリックはディフが椅子に座ったのを確認すると、何かを取りに行くのだろうか、コンロの方へ足を向ける。ディフはこのテーブルの上でセドリックかエイダかが何か作業をする、その手伝いを自分はするのだろうか、と思いながら待っていたが、コンロの方から戻ってきたセドリックの手にはマグカップが携えられており、セドリックはディフの前に香茶が入ったそのマグカップを置いた。
ディフはどういうことか解らず、
「あの、ボクは何のお手伝いをすれば、いいですか?」
ディフの傍に立つセドリックを見上げる。
そう問うディフへ、セドリックはニッと笑い、
「まずは、それを飲んでからだ。身体はまだ寝ているだろうから、身体の中を起こしてやらないとな。」
香茶を飲むよう勧めてくる。
ディフはセドリックたちが『香茶』と呼んでいる飲み物を口にしたのは、夕べが初めてだった。ディフが今まで飲用してきたのは水か白湯であり、このような薄緑色で良い香りがする『お湯』を見たことがなかった。それに対し、アシアは初めてではなかったらしく、嬉しそうな表情を浮かべ口にしていた。
ディフには香茶は高級そうに見え、夕べはアシアのために特別に振舞ってくれたのだろう、と思っていたのだが、
「俺がさっき飲んだところで、冷めていないから熱いぞ。火傷しないように、ゆっくり飲むんだぞ。」
慌てなくて良いからな、と言いながらセドリックはディフの隣に椅子を置き、座る。その言葉から、セドリックの家ではこの香茶を常用しているように受け取れた。
セドリックから再度飲むように勧められ、ディフはマグカップに口をつける。口にした香茶は昨夜と同様に良い香りがして、美味しい。
「これはエイダが配合した茶葉を沸かした、ウチだけの香茶だ。」
隣に座ったセドリックがそう説明をする。
「この村はどの家も香茶を飲んでいてな。それぞれの家でさまざまな茶葉を配合するものだから、ひとつとして同じ香茶はないんだ。」
その中でもエイダの配合する我が家の香茶は特別美味いんだぞ、と自慢気に笑う。
ディフはセドリックの家で初めて香茶を口にしたので他の家の香茶は知らないが、それでも口にしているこの香茶は確かに美味しくて、ゆっくりとではあるがディフは一気に飲み干した。飲み干したあとは身体の中がぽかぽかしてきて、セドリックが言うように身体も目覚めた気がしてくる。
「じゃぁ、次は、着替えだ。」
ディフが香茶を飲み干したのを見てからセドリックはテーブルの隅に置いてあった服を差し出し、それに着替えるようディフに言う。
戸惑うディフに、
「ディフの着ているその服は、今日は洗濯だ。その間は、ジョイのお下がりで悪いが、これを着ててくれるか?」
そうセドリックから言われ、ディフは改めて自分が着ている服を見遣った。旅の間に機会を見て何度かは洗ったが、確かに泥などで薄汚れている感は否定できない。
ディフは、はい、とうなずき、セドリックが差し出した服に袖を通す。いつの間にかエイダが食事の支度の手を止め、着替えたディフの傍に寄ると膝を折り、
「どこか、きついところは無い?身体は動かしやすいかしら?」
そう言いながら、服の大きさのチェックをし出した。
「・・・少し大きいくらいね。もう少し詰めた方が良かったかしら。」
と呟くエイダに、
「これくらいが動くにはちょうど良いだろう。」
と、セドリックが答える。
このような自分を中心としたやり取りをされるのが初めてのディフは、何だかくすぐったく思う。何となく、落ち着かない。
あの、と少しそわそわとするディフに、
「どこか、動かし難いか?エイダが直してくれるから、正直に言ってくれ。」
セドリックのその言葉に、ディフはそうではないと、と首を横に振った。
ただ、
「でも、ボク、この服を汚しちゃいそうだし。それに替えの服もあるので、洗濯して乾くまではボクのその服を着ていれば良いと思うんです。」
アシアからは着替え用にと、合わせて2着の服を買ってもらっている。アシアはカバンを持って出かけたが、カバンの中身はジョイの部屋の机の上に置いてあったので、そこを探せばあるはずだ。
セドリックは遠慮がちにそう答えるディフに、
「この服は汚しても全然構わないんだが。そもそも子供用ってのは、そういうのものだしなぁ。」
そう言ってエイダと顔を見合わせ、エイダに同意を求める。エイダも膝を折ったままセドリックの言葉にうなずいた。
「ジョイがたくさん汚したお下がりなの。それに箪笥に眠ったままだと服が可哀相だし、ディフが嫌でなかったら、着てくれると嬉しいわ。」
膝を折り、柔らかい笑みを浮かべるエイダからは微かに良い香りが漂ってくる。それはディフにとって懐かしいような、切ないような気持ちを覚える、そんな香りだった。
「ディフの着替えの服も、この服と一緒に洗えばいいさ。」
それを着ておいてくれ、とセドリックはディフの頭を撫でる。それでも、でも、と言いかけたディフへ、
「そういえば、アシアはどうした?まだ、寝ているのか?」
アシアがまだ2階から降りてこないことに疑問を呈したセドリックのその問いに、ディフはアシアに置いて行かれてしまった現状を思い出し、そわそわとしたくすぐったい気持ちから負の感情が甦ってきてしまった。知らず、ぎゅっと両掌を握り締める。
「アシアは森へ出かけました。」
森へ?、と再び問うセドリックに、ディフはうなずく。
「陽が昇った頃から俺たちは起きて作業をしていたが、アシアが出かける姿を見ていないぞ。」
セドリックのその言葉に、エイダも肯定する。
セドリックは陽が昇る頃から家畜小屋の作業をしていたし、エイダは食事の支度に入っていた。そのふたりに気付かれることなく、玄関から出かけていくのは無理があるだろう。
「アシアは窓から、出かけたから。」
とのディフの返答にセドリックは、窓からか?、と少し驚いたように目を見開いたが、すぐに、あぁ、と何かを納得したかのようだった。
「そうか。」
アシアのことを話題にしたとたん、目に見えてディフの元気が萎んだのは、アシアに置いて行かれたからか、とセドリックは気付く。
ディフを置いていかなければならなかった理由がアシアにはあったのだろうとは思うが、ディフのこの様子から置いていかれることにディフは本心では同意していないようだ。けれどもソレをアシアに上手く伝えることができなかったのだろう。そして、アシアもディフの気持ちを上手く汲み取れなかったようだ。
「まぁ、そのうち帰ってくるだろうし、まずは顔を洗いに行くか。」
ディフには水汲みを手伝ってもらいたいしな、とセドリックは気落ちしているディフの頭を再び優しく撫でた。




