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 ディフは今まで経験したことのない『家族団欒』を絵に描いたような賑やかな夕食を終え、楽しい気持ちのまま、お休みなさい、とセドリックたちに就寝の挨拶をすると、アシアとともに2階の部屋へと戻った。

 セドリックやジョイ、エイダとの夕食はディフにとって、とても楽しいものだった。セドリックもジョイもよく話し、またディフにもよく話し掛けてくれ、彼らは話すばかりでなくアシアの話にもよく耳を傾けていた。楽しい会話が弾む、ディフにとって経験したことがない食卓の風景だった。

 食事の場の賑やかさで言えば宿屋の食堂での雰囲気の方が賑やかだが、あの賑やかさはどちらかと言えば喧騒だ。アルコールが入った大人たちの怒鳴るような大声や、実際に喧嘩の場面にも出くわしたことがあった。養親たちとの陰の雰囲気の食事風景より、宿屋の食堂の方が活気があってまだ良いとは思うが、それでも落ち着かず、アシアが一緒でなければ決して足を踏み入れようとは思わない場所だ。

 そうは言ってもディフは、養親たちと食事を一緒に摂ることはあまりなかった。数少ない彼らとの一緒の食事の場面は、養親や義兄、特に義兄にはかなり気を使いながらのものであり、もともと与えられる食事量は少なかったが、それすらも彼らと一緒のテーブルに着いたときは喉を通らなかった。それは、義兄がディフに与えられた食事量に不満を抱くからだ。またそれだけでなく、養親たちが食事時に口にする話題も、日常生活上から村の運営に関するまでの不満ばかりだった。それら不満を聞かされながら摂る食事より、彼らが彼ら家族だけでの食事が終わった後の残り物を与えられ、独りで食べる方がディフはまだ食べ物が喉を通っていた。

 しかし今夜の夕食は、エイダはディフの食が進みそうな料理を選んで、ディフには多く分け与えてくれ、それに対して息子であるジョイは文句を言わないどころか、ジョイの皿に乗っている料理も気安く分けてくれた。ディフは養親たちとの食事時の気遣いとはまた違う気遣いを抱いたが、でも、こちらの方が断然心地が良いものだった。

 そのような気持ちの良いまま2階に上がり部屋に入ると、アシアが光を灯す。それはランタンの灯りとは違って光源がどこなのか解らない、部屋全体を明るくする柔らかい光だ。アシアはもう眠るだけだと思い、あえて明るくせず、いつもより少し照度を落とす。

 ディフは楽しい気持ちのまま、机に広げたままの草花の図鑑に手を伸ばした。白黒であり絵の傍に記載してある文字は読めないが、本を見たこと自体今回が初めてであり、ディフの本への興味は持続していた。1ページ捲るごとに自分の知っている、またはまったく見たことのない草花が描かれていて、楽しい。絵の傍らに書いている文字が読めれば、もっと楽しいものになるだろうと思う。

 アシアは楽しそうに図鑑を捲るディフを優しげな眼差しで見遣ったあと、就寝するためにベッドを整え始めた。いつの間にかセドリックかエイダかが運んできたのだろう。掛け布団が2組になっている。

 軽く寝具を整え終え、眠れる準備が出来上がったアシアはディフに振り向くと、

「明日、朝早くに少しだけ、出かけますね。」

また、留守番をお願いします、と図鑑を捲っているディフにそう声をかけた。

 アシアは自分のその言葉に、夕刻時のように承諾の返事が返ってくると思っていたのだが、

「え?」

図鑑に視線を落としていたディフが顔をあげ、アシアへ返した言葉は承諾ではなく少し驚いた表情と疑問符だった。

 てっきり承諾の返事が返ってくると思っていたアシアも、思っていなかった彼の表情に少し動揺する。しかし、ディフはすぐに、はい、とうなずき、視線を手元の図鑑へと落とした。

 はい、と返事はしたがディフの心の中の、先ほどまでの楽しい気持ちは一気に霧散してしまった。反対に夕刻前の、アシアが出かけて行ったときに抱いた不安感が、再び芽生え始めてくる。

 これまでの道中、森で野宿をしているときは食料などを採りにアシアが独りで森の中に入っていくことはあったが、それでもディフの目の届く範囲での行動だった。オウカ国へと出立してからの宿屋で宿泊のときは、アシアは一度もディフを置いて出かけたことはなかった。それは、ディフが寝入ってしまってから出かけていったりなどでディフが知らなかっただけかもしれないが、ディフが起きている間は常にアシアは傍に居てくれていた。

 夕刻前の、アシアの、ディフの瞳には映らない、遠くの何かを映していた琥珀色の瞳がディフの脳裏に蘇る。あのときに抱いた、アシアに置いていかれるのかもしれない、といった根拠のない不安が再びわき出す。

 いちど芽吹いた不安は拭えず、そしてその不安から知らず零れ落ちた言葉。

「・・・ボクも、一緒に行きたい。」

 大きな声で言ったつもりはなかった。普段の声の大きさでもなく、独り言のような、ぽつりと心にある言葉が落ちただけだった。

 それなのに、その科白はディフが思っていた以上に部屋の中で響いたようで、アシアの耳に届いてしまった。

 しまった、と思って見上げた先のアシアは、少し困ったような表情を浮かべていた。

「あの、ボク。」

 アシアを困らせるつもりはまったくない。どう言い訳をしようかと考えるが、いい言葉が浮かんでこない。

「ごめんなさい。」

 言い訳の言葉が何も思い浮かばず、ディフは大きく首を横に振って謝罪の言葉を吐く。

 アシアもディフを連れて行くことができない、特別な何か理由がある訳ではなかった。ただ、朝陽が昇って1時間くらいまでには、自分が森の中の希望する場所に着いていたかっただけだ。そう考えると、ディフを伴うとなると、セドリックの家を朝陽が昇る前には出立しなければ間に合わない。セドリックたちをそのような、アシアの都合だけで彼らの起床時間前に起こしてしまうようなことをアシアはしたくなかった。アシアがこの部屋の窓から風の力を使えば、セドリックたちを起こすことなく、また、朝陽が昇ってから出かけても、アシアが望む時間帯に十分に間に合う。ディフに留守を頼む理由は、それだけだったのだが。

「謝ることは、ないですよ。」

 謝罪の言葉を口に乗せるディフにアシアは笑んでそう声をかけるが、ただ、ディフがついて来たがる理由がアシアには思いつかない。

 えっと、ボク、と自分が発した言葉に困惑したままのディフの手元には、先ほどまで楽しそうに見ていた図鑑があった。

 そう言えば、夕刻前もアシアに教えてもらいながら、楽しそうにその図鑑のページをディフは捲っていた。そのときの様子を思い出し、草花に興味が湧いたのだろうか、とのアシアは考えに至り、

「では、セドリックにその図鑑を外へ持ち出す許可を貰ってから、一緒に森に出かけましょうか。」

そう提案する。

 アシアのその言葉に、ディフはほっとしたような表情を浮かべ、はい、とうなずいたので、アシアは自分のその考えが合っていたのだ、と結論付けた。

「じゃぁ、明日に備えて、もう寝ましょうか。セドリックのお手伝いもしないといけませんしね。」

 それにもディフはうなずき図鑑を閉じると、上着を脱ぎ肌着だけとなって、アシアが整えてくれたベッドへと潜り込む。そしてディフは壁際の隅に身体を寄せ、掛け布団の中、身体を小さく丸めた。

「もう少し、真ん中で寝ても大丈夫ですよ。」

 ベッドで端座位となっているアシアがそう言うが、

「でも、それだとアシアがベッドから落ちちゃわないですか?」

掛け布団からちょこんと顔を出し、心配そうに言う。

 今まで泊まってきた宿屋のベッドは清掃の関係か、壁際にくっついていることがなく、2回同じ方向に寝返りを打てば、落ちてしまうような配置だった。けれどもジョイのこの部屋のベッドは壁際にぴたりとくっついており、そちら側だと寝返りを打っても身体がぶつかるだけで、ベッドから落ちる心配はない。宿屋のときはふたりくっついて寝るのが普通で、その状態だとアシアが窮屈そうだとディフには思えた。このベッドならディフが壁際にくっついて眠れば、アシアが少しは楽に寝られるのではないかと、ディフなりに考えた行動だった。

 アシアは、ディフのその言葉に、くすり、と笑うと、

「今までのようにくっついて眠れば、落ちませんから。今までも落ちたことはなかったでしょう?」

アシアも上着を脱ぎベッドの真ん中寄りに身体を横たえると、ディフに自分の傍に近づくように誘う。

「エイダが掛け布団を2組、用意してくれているので、宿屋のときより随分楽に寝られます。宿屋のときは、掛け布団も1組でしたしね。」

 あの国は、やはりかなり貧しいのだ。宿屋はひとり部屋が基本だった。ふたり部屋はない。せめてもう一組の掛け布団を調達しようと宿屋の主に頼んでも、ない、と断られるのが常だった。そもそも城下街を出て以降、主要街道が通っている小さな町や街道に面している村ですら、宿屋自体があまりなかった。つまり、行商人など他国からの来訪者が少ない、という証だ。彼ら行商人からすればあの国は商売に向いておらずただ単に、通り過ぎるだけの国なのだろう。

 アシアから傍に来るよう誘われたディフは、最初は躊躇っていたが、暫くすると掛け布団に丸まったままもそもそと、アシアの傍に寄る。

 向かい合わせとなって自分の傍に寄ってきたディフの背中を、アシアは掛け布団の上から小さい子をあやすように優しくとんとん、とゆっくりと叩き始めた。

 ディフは本当は、こんな風にアシアとくっついて眠るのが好きだ。背中を優しく叩かれるのも、心地が良い。

 アシアは窮屈だろうな、と申し訳なさがあるが、ディフにとっては安心感があって、心の中はくすぐったさとともにぽかぽかと暖かくなる。

 それは、ほんの1か月前までは知らなかった気持ちの良い感情だった。これが、『幸せ』というものなのかな、とも思う。

 また反対に、夢なのかもしれない、といった不安も持ち合わせている。なぜなら、1か月前までは食べ物を口にすることすら儘ならない状況だったのだ。このような良い方向への劇的な変化は夢なのだと言われても、納得できる。納得はできるけれど、いちど知ってしまった心地の良い状況や感情は、手放したくなかった。手放すことに恐れが出始めている。

 アシアに置いて行かれることが、怖い。ずっとずっと、アシアと一緒なら良いのに。

 アシアと一緒が、良い。

 そう思い願いながら、アシアの優しい心地良い手にあやされ、ディフはゆっくりと眠りに落ちて行った。


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