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「ウルフも何か言いたいことがあったら、発言しても良いんだぞ。」

 おまえも大変だったしな、と、ジョイがセドリックの足元で寝そべっているウルフに声をかける。ウルフのそれに対する反応は軽く尾を振るだけだったので、言いたいことがあるのか無いのか、これでは判断がつかない。

「もうそろそろ、お開きにしましょう。」

 厨房へと立ったエイダが、そう言いながら厨房から香茶を注ぎ入れた3人分のマグカップを運んできた。

「もう遅いし、これを飲んで、今日は終わりにしましょう。」

 夜半まではまだ時間はありそうだが、明日も朝早くから、家畜や畑の世話、家事などが控えている。しかもジョイは、今日は実家に泊まるのではなく彼の自宅へ帰るのだ。この家から近くであり慣れているとはいえ、道中の足元は暗く、危険だろう。

 じゃぁ、そうするか、とセドリックが、次いでジョイがエイダからマグカップを受け取り、口付けた。

「あれ?母さんコレ、いつもの葉じゃないね。」

 いつも飲用している香茶より、すっきり感がある。少し行き詰っていた思考が、晴れる感があった。

 エイダはジョイのその科白に否定の意で首を横に振り、いつも使っている葉だと答えたが、

「葉々は一緒だけど、それぞれの葉の配合がいつもと違うの。これは導師様が配合してくださったのよ。家族会議の後にどうぞ、って。」

そう言いながらエイダも自席に座り、香茶を口にした。

 口にした茶は、ジョイが言うようにいつもより口当たりが少し爽やかだ。茶葉の配合をほんの少し変えるだけで、このような香りが出るとはエイダも驚く。

「『家族会議後にどうぞ』って、コレが開かれるの、導師様はお見通しだったってコト?」

と、ジョイが慄くが、

「運賃のことで揉めた時に、俺が『夜に話す』って言っていただろう。アシアはそれを憶えていただけだろう。」

吃驚することじゃないさ、とアシアに対して持つ印象を、必要以上に恐れの感情を持って欲しくないセドリックは、ジョイをそのように窘めながら香茶を飲み干した。

 アシアが自身を導師だと明かしたあのとき、セドリックはその場を支配した今まで味わったことの無い異様な空気に気圧され、一度は彼を恐れた。手足が知らず震え、止められなかった。嫌な汗が背中を伝ったことも忘れられない。

 あれは、導師である彼への『畏れ』ではなく『恐れ』だった。そしてアシアはセドリックのアシアに対してその持つ感情に、気が付いていたのだ。

 彼の傷ついたような表情。それは普通の青年のようにセドリックには見えた。

 彼は彼の長い人生の中で、このような傷ついた経験が幾度もあったのだろうか。

 導師であるがゆえの苦悩。それは『人』であるセドリックには想像がつかない。そもそも価値観がまるで違うのだから、理解できるものではない。

 それでもあの場面では、彼はセドリックから見て、普通の青年の苦悩に見えたのだ。アシアがセドリックに対して、彼の名を呼び捨てに、彼との会話を普段使いの言葉で望むのは、その辺りが関係するのだろうか。

 ジョイはセドリックのその言に、そっか、と素直に納得したようで、セドリックと同様に香茶を一気に飲み干すと、帰るために席を立つ。

「暗いし危ないから、ランタンをひとつ、持っていって頂戴。」

 エイダが部屋を照らしているランタンのひとつを手に取ると、玄関から出ようとするジョイへ手渡した。

「あれ?ウルフ、今夜はオレん家に来るのか?」

 そのふたりの間をウルフがするり、と先に玄関から出て行くと、付いて来いと言わんばかしにジョイへと振り向き、暗がりの中で彼を待っている。

 おやすみ、とウルフとともに帰っていったジョイが持つランタンの灯りが、隣家の彼の住む家の玄関の中へ入っていくまで、エイダは玄関先で見送っていた。

 彼の家の、部屋の灯りが点り、ジョイが無事に帰宅したことを確認してから、エイダは家の中に入り戸締りをする。そして、彼女は再び厨房へと入っていき、すぐにその手にまた、ひとつのマグカップを携えて、セドリックの待つ居間へと足を運んだ。そしてそれを、どうぞ、とセドリックの前に置く。

 今、香茶を飲んだばかりだ。セドリックはどういうことかと、マグカップを差し出し自分の傍らに立つエイダを見上げたが、

「導師様からよ。」

と、柔らかく笑む。

「今日は疲れているだろうけれど、色々なことがありすぎて神経が高ぶっているだろうから、寝付けないんじゃないかって。心が落ち着く効用があるから、飲ませてあげて欲しいって、導師様手持ちの茶葉をわざわざ提供してくださって、導師様手ずから淹れてくださったの。」

私はそれを温めただけ、とセドリックの疑問にエイダはそう答えた。

「アシアが?」

 そう言いながら手に取ったマグカップには、先ほどの半分程度しか香茶は入っていない。それでもマグカップから匂い立つ葉の香りは濃く、その色は綺麗な青緑色だ。

 色と香りから苦味があるかと思ったが、意外にもひと口、口に含むと少し甘みを感じる。

「砂糖を使っているのか?」

と訊くが、エイダは首を横に振り、入っていないと答える。

「今まで見たことがない葉だったの。今度一緒に、森に採取しに行きましょうって、誘ってくださったわ。」

 甘みがあるせいか、確かに心が落ち着く感がある。飲用してほどなく、なんとなく身体も温かくなってきたように感じた。

 アシアが心配してくれていたように、セドリックも自身で神経が高ぶっていることは自覚があり、今夜は色々と考えてしまい寝付けないだろうな、と諦めていたところだった。

「片付けは私がしておくから、セディはもう寝て頂戴。」

疲れたでしょう、と、セドリックが座っている横で、ジョイが先ほど飲み干したマグカップと、セドリックの前に置かれているマグカップを片付けようとするエイダのその腰を、セドリックはおもむろに腕を回し引き寄せると彼女の腹部あたりに顔を埋めた。

 昨日から今日にかけて本当に、さまざまな出来事がありすぎた。しかも気を張る出来事ばかりだ。

 アシアとディフとの出会い。

 出入国管理所での顛末。

 導師との邂逅と彼からの願い事。

 アシアは自身が導師だとセドリックに明かしてからあと、隠すことなくその能力を使っているように思う。ウルフとの出来事がそうだ。アレはアシアが導師としての何かの力を、ウルフに発したからだろう。

 人と同じ世界にその身を置いていない彼が、何故、セドリックに対して距離を縮めたがっているのか。セドリックには本当に、その理由が思いつかない。ゆえに、セドリックはアシアとの距離を縮めることを、どこか怖がっている。彼との応対も、どこか緊張感が拭えずにいる。

 しかし、彼はソレを望んではいない。

「セディは、導師様からとても気にかけて頂いているのね。」

 セドリックの頭の上からエイダの柔らかな声が降りるのと同時に、ふわりと肩を抱きしめられた。

 エイダの両腕に抱きしめられ、

「理由が、本当に解らないんだ。」

だから困っている、と半分泣き言のように、セドリックはぽつりと呟く。

 本当にアシアが望む、普段のままの自分で『導師様』に応対して良いのか。いつ、どこで、何がきっかけで自分の普段のその行動が、『導師様』の逆鱗に触れるか、解らない。

 あのときの、彼の傷ついた表情は、本当に普通の青年に見えた。

 しかし彼の本質は『導師』だ。『人』ではない。

 履き間違えば、取り返しのつかないことが起こるかもしれない、といった恐怖心と緊張感が常につきまとっている。しかもそれを『導師様』に気取られないように、振る舞わなければならない。

「いつものセディだったから、導師様はセディが気に入って、そして気にかけてくださるのよ。きっと。」

 エイダのその言葉に、そうか?、と問い返すセドリックへ、そうよ、とエイダは力強く肯定する。

「だって、その香茶を淹れているときの導師様は、本当にセディのことを心配なさっていて、セディのことを気にしていらっしゃったもの。」

 普段のままのセディが好きなのよ、と確信しているかのようにエイダは微笑う。

 エイダはそう言ってくれるが、セドリック自身に気に入られる理由が見つからないので、このままで本当に良いものなのか、やはり迷いや戸惑いはある。

 セドリックは頭の中でさまざまな感情の交差と、とりとめのない色々なことを考えながら、暫くの間エイダを抱きしめていたが、そのエイダのいつもの抱き心地とアシアが淹れてくれた香茶のおかげで身体が温まってきたのか、それでも眠気が出てきた。

「今日はこのまま、休んでくださいね。」

 普段なら、セドリックも一緒に食器等の後片付けをするが、今夜はエイダのその申し出に甘えることにする。

 セドリックはありがとう、と感謝の意を伝え、エイダの腰に回していた腕を解くと立ち上がり、エイダの頬に軽く口づけ居間の奥から続く寝室へと足を運んだ。

 セドリックにとっても長かった一日が、ようやく終わろうとしていた。


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