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 ジョイが荷馬車の片付けと馬の世話をするために外へ出たのを機に、セドリックがアシアとディフを2階へ案内する。階段を昇った2階には4部屋あり、廊下を挟んで手前左側が最近までジョイが使っていた部屋で、他の部屋は時折やってくる商人等の客が泊まる部屋として使っている。

「どの部屋でも使ってもらってかまわないが、ジョイの部屋はまだ彼の荷物が残っていて、彼が新居へ持っていかなかった子供用の本が数冊あるんだ。」

ディフがこの部屋を使うか?と、セドリックが扉を開けた部屋は、扉から真正面が採光や風を取り入れるための少し大きめの観音開きの窓となっており、右の壁側に机と椅子があって、机の上にはセドリックが言ったように5冊ほどの本が平積みで置いてある。左壁側にはベッドがあり、シーツは交換されたばかりのように真新しく見えた。

「夕べ、俺が留守をしていたから、ジョイが泊まったんだろう。ジョイが使った後は、エイダが必ずシーツを交換しているんだ。」

 セドリックはそう言うが、それだけでもないだろう。

「セドリックは出かけた先で知り合った客人を、招くことが多いんじゃ、ないですか?」

 アシアは昨夜からセドリックを見てきたが、彼はかなり人好きされる人柄だ。あのような宿屋で意気投合した商人などを自宅に招くことが多いのではないかと容易に推測できる。

「ちゃんと人を選んでいるさ。村の農作物などを高く買い取ってくれそうな、村に役に立つ者しか招いていない。」

誰彼かまわずってことは無い、と言うが、その口ぶりと部屋の中が整えられているこの状況から、セドリックは出かける度に割と頻繁に客を招いていそうだ。

 そのような社交的なセドリックが世帯主の、この家を切り盛りしているエイダが大変そうだな、とアシアは思うが、彼女は先ほどセドリックから紹介を受けたように商家出身だということなので、少しはこの状況に幼少の頃から慣れているのかも知れない。

「ウチはウルフもいるからな。邪な考えを持つ者は、彼が追い出してくれている。」

 セドリックのその褒め言葉に、2階まで一緒についてきたウルフが尾を振って答えていた。

「部屋はこの通りあるんだし、ふたり一緒じゃなくて、それぞれが部屋を使っても良いんだが。」

どうする?、とセドリックがアシアへ訊ねる。個室のほうがゆっくりと休めるのではないかといった、セドリックの配慮だ。

 確かに、ベッドは普通のシングルタイプだ。たぶん、どの部屋もそうなのだろう。このベッドの大きさで大人と子どもが一緒に寝るには、少し窮屈だ。

 とはいえ、今まで泊まってきた宿屋も同じような大きさだったので、寝られなくは無いことも経験上解っている。

 疲れを癒すためには、のびのびと手足を伸ばして寝るほうが良いだろうと、アシアも思うのだが、セドリックが個室利用の提案をしたとたん、アシアの隣に立っているディフの、アシアの服の端を掴むその手に、少し力が入ったことにアシアは気付いた。

 ディフは何も言わず、この大人のやり取りを見ているだけなのだが、彼のその動作が彼自身の気持ちを表しているようにアシアは思え、そうですね、と言ったあと、

「でも、僕はディフと別々より、一緒だと嬉しいのですが、ディフはどうですか?」

 ディフが、彼の思いを素直に出せるような問いかけをする。

 ディフはまだ、アシアに対しても遠慮がちだ。大人の顔色を窺いながら、大人が喜びそうな、大人が求めているであろう答えを口にすることが多い。たぶん、アシアが個室が良いと言えば、それに素直に彼は従うだろう。従う、というより、彼自身もそれを望んでいたような口ぶりで答える。

 アシアはそうならないようにと、アシアなりに言葉を選んだ問いかけだった。

 アシアからのその言葉に、ディフはほっとしたような嬉しそうな表情で大人たちを見上げ、

「ボクもアシアと一緒が、良いです。」

 そう答えた。

 アシアの服の裾を強く掴んで離さない彼の行動が、彼の本心だと思う。それだと言葉と行動が合致している。

「じゃぁ、そうするか。」

 セドリックもそう読み取ったのか、そう言いながらディフの頭を撫でると、いつもの人懐こい笑顔を見せた。

 夕飯時に呼びに来るから、とセドリックはアシアとディフを部屋に招き入れたあと、そう言い置いてウルフを連れて部屋から出ようとする。そのセドリックへ、何かお手伝いをします、と申し出るディフに、

「今日は疲れただろう。手伝いは明日からお願いするから、身体を休めておいてくれ。」

アシアに本を読んでもらうと良いぞ、と手をひらひらと振りながら階下へ降りていった。

 アシアは部屋に入って荷物を置くと、早速窓を開ける。窓から望む景色は、東に広がる広大な森だ。その望める景色から、この部屋は東側を向いているようだ。

「これ、見ても良いですか?」

 ディフに問われアシアが振り向くと、ディフが机の上に平積みされている本を指差していた。セドリックに言われたこともあるのだろう。少し、興味が湧いたらしい。

 アシアは窓から離れ机に近づき、平積みされている本をぱらぱらと捲ってみる。1冊は草花の絵が描かれており、ちょっとした図鑑になっている。他の4冊は、幼児向けの物語の絵本だった。

 このような本が5冊も置いてあるという事は、エイダの生家が商家でありその伝で得られた物だったと考えても、セドリック家は農家にしてはかなり裕福だと見受けられる。

 しかも金銭面だけの話ではなく、セドリック自体が本を得ることに対して、価値があると考えているということだ。

 話題の豊富さ、時事に聡いところ、頭の回転の速さは彼が彼の人生の中で、このような活字と触れ合う機会が多かったからではないだろうか。

 彼が人から好かれ人が集まってくる素因は、あの心地の良い、彼から発せられている気だけではなく、このようなところも含まれているからではないか、とアシアは本を手にしながらそう思う。

「アシア。これ、スイの実、ですね?」

 草花の図鑑をぱらぱらと捲くっているアシアの隣で一緒に覗き込んでいたディフが、とあるページの中の描かれていた絵を指差し、アシアへそう問いかけた。

 そうですね、と答えるアシアにディフは、今度はその絵の側に書かれている文字を指差し、

「これはもしかして、『スイの実』って書いてあるのですか?」

そう訊く。

 そうですよ、とアシアは答えたあと、ディフに椅子に座るよう言い、椅子に座り机に向かって本と向き合ったディフの隣で、図鑑の中でディフが知っている草花の絵を訊ねていく。

「この花、アシアが持っている布にある花ですね。」

 ディフが指を差したのは、大輪のカサブランカの花の絵だ。

 アシアはうなずくと、

「これは『カサブランカ』です。オウカ国の国花ですよ。」

の答えに、コッカ?と問いかけるディフへ、

「オウカ国を象徴する花です。」

そう答える。

「ショウチョウ?」

 アシアはディフにとって、ディフの知らない言葉を使ってくる。ディフが訊ねてアシアから返ってくる言葉は、ディフが今まで聞いたことが無い言葉が混ざることが少なからずある。ディフはアシアと出会って最初に約束したとおり、理解できないことは遠慮せずに訊いており、アシアも約束どおりディフからの問いに面倒くさがらず丁寧に答えてはくれているが、その答えも難しいことがあった。考え方が難しいこともあるのだが、アシアが発する言葉自体をディフが知らないことがある。

「そうですね。象徴って言うのは、」

とアシアが言ったところで、窓からふわりとした風が入ってきた。アシアは入ってきた風に反応し、言葉を発していた途中にもかかわらずそれを止め、思わす窓のほうを見遣る。それにつられ、ディフも一緒になって窓へ視線を移した。

 ディフの視線の先には森の木々が見える。どこか遠くで、鳥のさえずりも聞こえてくる。ディフの生まれ故郷からこの地までアシアと共に旅してきた道中と、よく似た風景だ。ディフにとっては森の風景など、いまさら物珍しくはない。

 そう思いながら見上げた先のアシアは、ディフとは何か違うものを見つけたのか、どこか遠くを見ている。琥珀色の瞳はディフの瞳には映らない何かを見ているように、見えた。

 アシアのその表情は、何となく、このまま彼がディフを置いてどこかへ行ってしまいそうな、そのような雰囲気を醸し出している。その雰囲気からディフは、アシアから置いて行かれるのではないかと急に不安がわいてきて、アシアを捕まえようとするかのように思わず自分の手を伸ばしたが、その手はアシアを掴むことなく途中で止まり、ぎゅっと握られた。

 ディフのその不安にアシアは気付いていないのか、しばらく心ここにあらずといった感で窓の外の風景を見つめていたが、ふと、アシアを見上げているディフをおもむろに見下ろすと、

「少しの間だけ、留守番をお願いしても、良いですか?」

そう、訊いてきた。

 否。それは訊ねたのではない。その口調からディフが聞き取ったのは、アシアの決定事項だ。はい、と言うしかない問いだ。

 素直にうなずくディフに、

「何か困ったことがあったら、階下にいるセドリックのところへ行ってくださいね。」

すぐに戻ってきますね、とアシアは申し訳なさそうな笑顔を浮かべると、窓に近づき、ふわり、とその窓から出かけて行った。

 アシアはあのように言ったが、ディフには彼が本当に戻ってくるのかどうか、不安でしかない。アシアの、あのような、ディフの瞳に映らない何かを見ているような琥珀色の瞳を今まで見たことが無かった。

 アシアが窓から出かけた後もディフのぎゅっと握られた拳は開かれること無く、握られたままだ。先ほどまであれほど興味にそそられた本も、アシアがディフを置き、出かけて行ってしまったことで瞬時に開く気力が萎えてしまっている。

 ディフはアシアが本当に戻ってきてくれるのか心配していたが、アシアは約束通り、ほどなくして森から摘んできたのであろう、ディフの知らない何かの草葉を片手に、出て行った窓から戻ってきた。

 ディフがアシアの帰りを待っていた時間は、ほんの10分にも満たない程度だった。それでも、ディフにとってはとてもとても長い時間だった。

 ただいま帰りました、と、どこか嬉しそうなアシアに、

「お帰りなさい。」

と答えたディフは、ほっとした表情を浮かべたが、ぎゅっと握られているその拳はそのままだ。

 けれどもアシアはそれに気付くことはなかった


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