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 ディフの黒かと見紛う深い藍色の瞳は『導師 アシア』しか、見ていない。

 それはソフィーの、アルビーに似た青味がかった灰色の瞳が、一途にイリスとアルビーへと向けるものと同じだ。

 それもそうだろう。『導師 アシア』は、ディフが生まれて初めて彼を庇護してくれる大人だったからだ。『導師 アシア』が、ディフが羨望していたけれどもその場に立つことはあり得ない、とその希望を持つことすらなかった彼の憧れた場所に、憧れていた場所に初めて立たせてくれた、大人だった。そのことから『導師 アシア』はディフの中で、唯一無二の存在となった。

 だからディフは『導師 アシア』の中に、他人ではなく身内の大人であり、自分を無条件で庇護してくれるであろう、彼の顔も知らない亡き父親を重ねたのではないだろうか。そうであって欲しいと、生まれて初めて彼が希ったことではないだろうか。

 彼が『導師 アシア』に向ける表情や眼差し、態度は、それは幼子のソフィーが彼女の親であるイリスやアルビーに無邪気に見せる笑顔や態度とイリスには一緒に見えた。ディフが『導師 アシア』へ時折見せるそれは、子が親に見せる態度や表情と、同じだった。

 ただ大きく違うのは、ソフィーはイリスやアルビーから嫌われ見捨てられるのではないか、といった恐怖心を一切、その心に持っていないことだ。それはこの村の子どもたちも同様であり、親の愛情はその身に受けて当然だといった感覚でいる。対し、ディフは父の姿を重ねている『導師 アシア』から見捨てられる可能性を抱き、それが現実になるのではないかと恐れている。無条件に愛されることを求めてはいるが、ソレが反故される可能性を孕んでいることを感覚的に知っており、そしてソレが実際に起きてしまわないかと恐れている。

 恐れているからこそ、『導師 アシア』から見捨てられないよう、『導師 アシア』の役に立ち『導師 アシア』から要らない子どもだと言われないように、彼は文字を覚えることに必死なのだ。

『聞き分けのいい子』は、もともとディフの持って生まれた性格と彼の生育歴からくるものではあったが、それ以上に彼が父の姿を重ねている『導師 アシア』から嫌われないがためだ。

 イリスはディフと短時間の関わりではあったが、その短い関わりの中で、ディフのことをそう分析していた。

 そのように『導師 アシア』に父の姿を重ね、自覚しているにしろしていないにしろ、嫌われないように振る舞っているディフへ、『導師 アシア』と離れさせるといった、このイリスが浮かべた提案は、彼を傷つけることになるのは必至だ。しかも『導師 アシア』がディフの心情の推し量り方を間違え、そのイリスの提案に悪気なく、むしろディフのためだと考え、賛同したならば。

 それは、ありえない話ではない。

 しかもそれは、『導師 アシア』がディフを疎んじているからではない。

『導師 アシア』も、今までの彼の態度から表情から、人の子でしかないディフを大切に思い接していると、イリスには見て取れた。『導師 アシア』もディフのことを、とても大切に思っている。

 しかし、『導師 アシア』が大切に思っているのはディフが、導師が導く存在である『人』だからであって、もしかしたら『導師 アシア』は相手がディフでなくとも『人』であるならば、公平に公正に大切に接するのかもしれない。『導師』という者は、それが当然なのかもしれない。

 であれば、『導師 アシア』に父の姿を重ねてそれを求めているディフと、ディフは『人』の子どもゆえに大切に接している『導師 アシア』との間に、感情のズレが生じている可能性は否定できない。それをこの場でつまびらかにすることは、ディフを傷つけることへと確実に繋がることだ。

 あんなにも、嬉しそうに幸せそうに、『導師 アシア』のことについて語っていたディフを、イリスが口にしようとしているこの提案によって『導師 アシア』と離れさせてしまうことになれば、彼は再びあのはにかむ笑顔を、イリスに変わりなく向けてくれるだろうか。

 それとも彼はまた以前のような無意識とはいえこの世界とのつながりを拒否し、感情を殺し、ただ、己に与えられた運命だとして、諾々とそのときどきの現状を受け入れるのか。

「どうかしましたか?イリス。」

 イリスの勢いのあるアシアへの呼びかけに、その場にいた者が一斉にイリスへ視線を向ける。

 この場にいる者から一斉に視線を受けたイリスは、その勢いのまま思わず口を開きかけたが。

「あの。」

 今、イリスが提案しようとした内容は、口にしてはならないことだと、歯止めがかかる。

 ディフのことを考えるのなら、ディフのためを思うのなら、大人であるイリスの我が儘で彼を悲しませるようなこの提案を口にしてはいけない。

 子を持つ親としての心情がこの心の中にあるのなら、なおさら口にできない提案だ。

「いえ。」

 だからイリスは、前のめりになった姿勢をゆっくりと正し、座りなおして、なんでもありません、と首を横に振る。

「言いたいことは口にしてもいいんですよ。」

 そのイリスに、アシアはそう促す。アシアはイリスもフォルス同様に『導師 アシア』に臆して、彼女の言いたいことが言えないのではないかと慮った。イリスに限ってとも思うが、考えられないことではない。彼女もこの村で生まれ、導師の伝話を寝物語に聞かされて育ってきている。導師への畏れは、幼い頃からその心に根付いているだろう。

「いえ。」

 アシアからの促しに、それでもイリスは、なんでもありません、と(かぶり)を振り言葉にしようとはしない。

 そのイリスの態度は、イリスの性格をよく知るフォルスやセドリック、ダンからすれば意外な態度だった。

 彼らが知るイリスは、自分が思いついたことは躊躇わず口にして、その場にいる者の意見を得る。その方術は、彼女の幼い頃からのものだった。イリスの考えが間違っているのかいないのかという判断は、その考えを思いついたイリスが決めることではなくて、その場にいる者で検討する。その場に集う者の数が少なければもう少し多人数の村人と話し合い、皆が納得の上で決めるものだと、その信条で以って彼女は彼女の考えを口にしていた。

 だから、彼女は彼女よりも立場が上の者である『長老 フォルス』や『村長 セドリック』、『副村長 ダン』へも臆することなく、彼女の考えを今まで発信してきていた。

 思っているだけでは伝わりませんから、はイリスがよく口にする言葉だ。セドリックもイリスの言うそのことには、同意だ。どちらかと言えばイリスのその発言は、セドリックがその言葉をよく口にするせいもあるのかもしれなかった。多分、彼女にセドリックのその言葉が響き、それが彼女の信条になったのだろう。

 言葉にしたところでその真意が伝わるのは、その中のホンの少ししかないと、セドリックは感じているところであるし、そのセドリックの意見にイリスも支持してくれている。

 ただ、彼女の場合はセドリック以上に、それは言葉にしなくても、むしろ言葉にしては駄目だろうといったことまで、口にしてしまうのが難点だった。セドリック以上に彼女が言葉にしては駄目だろうといったことまで相手に投げかけてしまうのは、彼女の知りたい、知識を得たいといった、貪欲すぎる好奇心からくるものだ。

 その、言わなくても良いことまで言葉にしてしまうイリスが、このように言いかけて止めてしまうのは、あまりにも彼女らしくない。しかも『導師 アシア』から促されているにも関わらず言葉にしないのは、彼女をよく知る者たちにとっては、とても不自然に感じた。

 奇妙な者を見るような、セドリックたちの視線に気がついたのだろう。姿勢を正し、黙ってしまったイリスが、

「いえ、その。」

 と、その口を重たそうに開く。

「本当に、僕のことを気にせずに、イリスの考えを話してください。」

 と、アシアが、イリスが発しようとし、それでも口ごもるその言葉の先をやんわりと促す。

「無理にとも、言いませんけれども。」

 話すも話さないも『導師 アシア』が強いては駄目だといった、アシアの考えからそのようにも付け足す。選ぶのは当のイリスであって、上位である『導師 アシア』が強いてイリスが口にしようとして止めた内容を言葉に出させるのは違うのだと、アシアは思うからだ。


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