102
「心配には及びません、フォルス。」
フォルスが持つその愁いごとを口にして、アシアに訊ねる彼のその行為は勇気がいったことだろうと、フォルスの心情をアシアは推し量る。フォルスのその問いは、聞き取り方によっては、『導師 アシア』を信用していないように受け取りかねない。『導師 アシア』当人が、そのように受け取るかもしれないといった、危険を孕んだものだ。『神に近しい者』がそのように受け取ったなら、最悪の場合、『人』では想像もつかないような、何か大きな罰を与えられるかもしれない、といった恐怖も芽生えていたことだろう。
自分たちがその回帰を切に願い続け、ようやくその願いが叶うところまでたどり着けたその希望が、最悪断たれるかもしれないといった危惧も、あったことだろう。
だからフォルスは、アシアへその問いを発することに躊躇い、そして恐れを抱き、いったんその問いを口にすることを止めた。
フォルスが恐れたようにアシアも一瞬、自分は信用されていないのだといった、彼からの問いの真意をそのように受け取りかけた。が、今までの彼らとの会談の中からそうではないのだと、アシアの中でその受け取り方を即座に自身で訂正した。もし訂正できなくとも、アシアであれば、彼の真意を理解できるところまで彼と対話をする。
彼ら『人』が恐れる処罰などというものを、アシアは与えるつもりは微塵もない。そもそも『箱庭の管理人』である導師が、『箱庭に住まう者』に何か危害を加えることは、決して許されない行為だ。アシア自身が『箱庭に住まう者』から危害を受けるといったその身に危険が及ぶようなことがない限り、本来ならば導師の力を『箱庭に住まう者』に向けて使う事はない。『箱庭に住まう者』に対してこの導師の力を放つ時は、自身の身を守る時だ。権力や地位が上位の者への粗相による処罰といった考え方は、所詮、人の世界の中だけの話だ。
「僕はフォルスが懸念するそのことは、理解できます。フォルスがそのように懸念するのは、当然だと思います。」
僕の言葉が足りませんでしたね、とアシアは柔らかな雰囲気を崩さぬよう、ふわりと微笑を浮かべる。
『人』には魂の循環がある。セドリックも遠からず、セドリックとしての生を終え、また新たな『人』としての生を得る。それがこの箱庭の摂理だ。
ゆえに『導師 アシア』と『人 セドリック』の関係には、時間的な制限がある。これが導師同士なら、時間的な制限は無いに等しいのに。
けれども『人 セドリック』とはこの箱庭の摂理により、遠からずアシアは彼との別れを迎える。それが、アシアが全く望むところでなくとも。
この箱庭は創造主がそのように創った箱庭だ。創造主の手によりこの箱庭の中に創られたものは、何人たりともその命運に逆らうことはできない。
『その時』をアシアが迎えた時に、フォルスは『導師 アシア』がその職を放り出してこの地を去らないのか、心配しているのだ。前例があるが故に。
「心配にはおよびません。」
とアシアは柔らかな微笑をフォルスに向けたまま、フォルスの問いに再びそう言葉をかける。
「僕は僕の、導師としての役目を果たし終えたその時にこそ、この地をこの村の『人』たちに託します。それが10年先か200年先なのかわかりませんが、僕は僕の導師としての誇りで以って、この務めを果たします。」
約束します、と力強い言葉でフォルスへ返した。
アシアはもちろん、セドリックとの友情を築き続けたい。それは導師同士の関わりのように、悠久ともいえる時間の中で、を望んでいる。
しかし、そのアシアの望みはセドリックが『人』である限り、土台無理な話だ。創造主がそれを許してはいない。アシアにとってはとても短いと感じる、限りある時間の中で叶えなければならないものだ。
そう考えると、焦りと。
そして、悲しさがアシアの中、込み上がってくる。
『導師』と『人』といった魂の形が違う者同士の関係の構築は、このような悲しみが伴うものなのか。悠久ではなく、限りある時間というのはこのように淋しさを伴うものなのか。
そこまでの考えに至ったアシアの中に、不意に昔にノアとやりとりをしたことが思い出された。
ノアが友人だという者の中には、いつも当然のように『人』がいた。『人』の限られた時間の中だけではあったけれども、彼女は『人』の友人を得て、導師としては決して長い時間ではない中で、限りある時間の中でその友人とともに過ごしていたし、現在も過ごしている。
導師にとっては短い時間でその友人と別れを告げなければならないことに、それを繰り返すことに淋しさはないのだろうか、とアシアはノアに問うたことがあった。アシアの問いにノアは笑んだだけで、何も答えることはなかった。
それは、アシアがノアにぶつけた問いは、なんて無神経なモノだったのだろうと、今なら自分が情けなくなる問いだったのだと、わかる。
魂が循環し、再びめぐり合うことができても、その人物は友人だった人物と同じ魂の核を持つとは言え、違う人物であり友人であったノアのことを憶えてはいない。
それが淋しくない、わけがないのに。
アシアが『人 セドリック』と友人としての付き合いをし始めた今でさえ、そのことについてアシアは思い描くだけで、淋しさを憶えるというのに。
だから、過ごす時間を大切にしたいと思う。このまま、フォルスたちが望むようにアシアはこの地に居を構えたいと願う。
だが。
「フォルス。」
アシアは、アシアの言葉に安堵した表情を見せるそのフォルス瞳を捉え、少し固い声音で彼の名を呼ぶと、
「僕は先ほど言ったように、このままこの地に居を構えたい、と思っています。そして僕が導師としての役目を十二分に果たした、と僕自身が納得できるまで、この地に留まりたいと、心底思っています。」
そこまでのアシアの言葉に、フォルスもイリスもダンも嬉しそうにうなずいた。
それは、双方にとって良い話の流れではある。
けれども、
「でも、僕はこのままこの地に居を構えることはできません。」
そう言葉を続けた。
アシアの今までの話の流れとは全く正反対のその言葉に、フォルスもイリスもダンも、一瞬目を見開き、一様に驚いた表情となる。イリスは続けてあからさまに落胆した表情へと変化させた。
「このままこの地に居を構えたいのは、僕の心の底からの希望です。僕も、そうしたい。」
だけど、と、アシアは今まで湛えていたその笑顔に翳りを落とし、
「僕は今、僕の師でもある『導師 ノア』の遣いの途中なのです。それに僕がこの地に居を構え、導師としての務めを果たすとなるのなら、現在僕が担っているオウカ国の導師としての役目を整理しなければなりません。でないと、あまりにも無責任です。」
オウカ国を離れ、この村に居を構え導師としての務めを果たすには、アシアの親であり導師としての師でもあるノアの許しがやはりいる。
アシアが今願っているこのことをノアの前で口にしても、ノアは反対をすることはないだろう。もしかしたら、アシアの今までの導師としての姿勢を見てきている分、反対ではなく諸手を挙げての大賛成かもしれない。
そうはいっても、やはりノアにはきちんと話をしておきたいし、アシアの導師としての務めを果たしたいと願うこの気持ちの後押しも欲しい。
また、アシアも一応、オウカ国の政の一端に携わっている導師だ。アシアが担っているその内容が『導師 ノア』と比べ瑣末なものとはいえ、それを整理せず放り出してこの地にこのまま留まることは、『導師 アシア』としてできない。それに、ノアから頼まれ、ライカ国のジェネスから受け取ったモノもノアに届けなければならない。そのモノが、アシアにとって、つまらないモノだとしても、だ。ノアにとっても、たいして急ぎ入用なモノでなくても、だ。アシアを外に連れ出す口実でしかなかったモノにしても、だ。
それと、あとひとつ。この地にすぐに居を構えることができない理由に、ディフの存在があった。
オウカ国へはディフを伴っての旅となる。アシア独りだけならば、アシアの力で以ってオウカ国までのとてつもなく長い距離を、ほんの数週間でたどり着くことができるが、『人』であるディフを伴っての旅では、そうはいかない。数か月の旅路か、下手をすれば年単位の移動となるだろう。
それに、オウカ国に着いてそれで終わりではなく、ディフを信の置ける人物に預ける手はずを整える必要がある。その人物からディフの身元引き受けの承諾を得ても、すぐに彼を引き取ることも難しいかもしれない。また、ディフの生活が落ち着くところまで、アシアは見届けもしたかった。