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だから、責を感じるのは当然で。責を担うのは、当然で。
彼らを守り、彼らをこの地で今よりも高みへと導くその務めを果たしたいと、アシアの導師としての魂が希うなら、その責を負うのは至極当然のことだ。
セドリックとの友情を繋ぎ止め、深めたいといった『アシア』の願いだけではなく、この地に住む、この地に住むことを許されている彼ら村人を導くその一端を担いたいと、『導師 アシア』を形成する魂の核がソレを求めている。
それはアシアが憶えている限り、生まれて初めて抱いた感情だった。
この地でセドリックと友情を築く中で、アシア自身が知らなかった『アシア』を知ることになるだろうといった不安。そしてそれを上回る、自身を知ることへの期待感。
また、この地に住まう『人』たちを導く教えを説ける、喜び。
『アシア』の、また『導師 アシア』の魂がそれらへの期待で高揚しているのが、感じ取れる。
『長老 フォルス』が言うように、叶うならこのままこの地にアシアは居を構えたいと思う。
「フォルスの許可を得た今、フォルスの言うように、僕はこのままこの地に居を構えたいと思っています。」
アシアを見つめる彼らに、アシアは今心に思っているそのまま、そう言葉を返した。
アシアの、謁見の場の様な導師然ではない柔らかな微笑とその言葉に、
「『導師 アシア』様にこのまま、この村にお住まいいただけることは、回帰いただけることは、とても誉れに存じます。」
フォルスは即座に好々爺とした笑顔を浮かべ、軽く礼を取った。
アシアの、フォルスへのその回答は、フォルスにはとても嬉しいものだった。知らず溢れた笑顔だった。
この村の先人たちから永年願ってきた、また、叶うはずもないと、その伝話はたんなる伝説であり夢物語なのだと諦めていた、『導師様』の回帰だ。
ただ。
フォルスはアシアに、このままこの地へ住まうことへの願いを口にしてみたものの、その願いの了承を得られた嬉しさはあるものの、先ほどフォルスが発した言に返答したアシアの言葉の中のひとつに気にかかることがあった。
それは、『導師 アシア』が『人 セドリック』との友人関係を望む言葉だった。
そもそも、『神に近しい者』と『人』とが友人関係を築けるのか、という根本の疑問はある。けれども、魂の格の違いが友人関係の構築に阻害するものではない、と当人たちが納得しているのであれば、それば別にフォルスにとって構わないことだ。
しかし。
アシアは『導師様』だ。フォルスが知る知識が本当であれば、その生命には終わりがないはずだった。
対するセドリックは『人』だ。フォルスを筆頭として『人』の生きる時間は、長くてもせいぜい100年までだ。80年も生きながらえば、長命だと言われるくらいだ。
セドリックは40歳の声を聞いている年齢だ。彼が長命であっても、あとせいぜい40年間を生きられるかどうかだ。村人の平均寿命並みならば、あと30年弱の人生だ。
『導師 アシア』が友人だと認めている『人 セドリック』がその生を終えたとき、彼はそれでもこの地にとどまり、彼の言う導師としての務めを果たし続けてくれるのだろうか。
それとも、『人 セドリック』がその生を終えたのと同時に、『導師 アシア』は伝話の中の導師のように、この地をこの地に住む村人に託し、去ってしまうのだろうか。
『導師 アシア』がこの村を去る理由が、この村人にこの村を託す理由が、『導師 アシア』が導師としての務めを十分に果たしたからだ、といったものなら良い。しかし、『導師 アシア』がこの地を村人に託し、地を去る理由が、セドリックがその生を終えたから、だけであったなら。
その、愁いがフォルスの中に過ぎる。そしてそれは、フォルスの中で現実味を帯びていた。
そのことを、口にしようかどうしようか、と迷ったが、フォルスは意を決して、導師様、とアシアへ呼びかけ、
「『導師 アシア』様へは、大変失礼なことを申し上げるのですが。」
と、そこで発言を止め、少し緊張した面持ちでフォルスはアシアへ向き合う。
なぜならフォルスは、自身の発した声が少し震えているのがわかったからだ。テーブルの上で組んでいる手が、知らず微かに震え出しているのにも、気が付いた。
導師への、『人』とは次元の違う『神に近しい者』へその疑問を投げかけることに、怖さはやはりある。
謁見の場からこの時までの『導師 アシア』のフォルスたち『人』への応対から、彼が驕慢であり、無体を強いる者でないことは、重々承知している。『導師 アシア』は優しいお方だと、慈悲深いお方だと、頭では理解できている。
フォルスが懸念しているそのことを口にしたことで、『導師 アシア』から不遜だと何か罰せられることはない、と頭では理解できているのだが、『導師』へ『人』ごとき自分が、何か物申すことは緊張を伴い、どうしても萎縮してしまう。本能が『神に近しい者』を恐れ、慄いてしまう。
それは『導師 アシア』がいまだ微かに、その神気を纏っているからかもしれない。彼は決して『人』ではないのだといった気を、いまだ発しているからかもしれない。彼のその行為は、意図的なのか恣意的なのか、フォルスには理解が及ばないところだ。
フォルスはちらり、とフォルスの向かいに座するセドリックを見るが、彼は『導師 アシア』のその神気を何も感じていないのか、平然としている。
彼は、『導師 アシア』をこの村に招き入れてから、彼と寝食を共にしているので、彼の発する『人』ではない何かに慣れてしまっているのだろうか。だから、普段と変わらない様で、しかも『導師 アシア』から許されたとは言え、平然とその御名を口にしている。友人だといった大義名分の下で。
「僕がこの地に居を構えることについて、何か気にかかることがありましたか?」
フォルスが口ごもり、彼の組む手が少し震え出したことに気付いたアシアの、その表情が少し翳る。その表情は、『導師 アシア』というよりは、先ほどフォルスが感じた、村の青年たちが憂う、その表情に見えた。
フォルスは知らず微かに震え出してしまっている己が組んだ手に、その震えが止まるよう力を入れる。
極端な恐れは、『導師 アシア』に対して、失礼に当たるのだということをフォルスはアシアのその憂う表情を見て、思い出した。
いえ、とフォルスは頭を振ると、
「この何年か先の話になりますが、導師様が友人と呼ぶこのセドリックが亡くなっても、導師様はこの村に在留され、導師様の教えを説き続けてくださるのかと、愁いまして。」
フォルスが懸念するその内容を、口にした。
「年寄りのいらぬ愁いだとは存じますが。」
そう、フォルスは言葉を付け足したが、確かにフォルスのその心配事は、アシアは理解できた。
この村は導師が村人の先人を導き、この地で人々が生きていける術を教え、そして村人はこの地を託された誉れある村人だ、と伝話で語られている村だ。そのように、この村人は『導師』に選ばれ、『導師』から信を得た者の末裔だ、と伝話ではそう語られているが、永くの導師の回帰がない現実から、本当は『導師』から見捨てられた地であり村人なのではないか、といった疑念も持っているだろう。否。持っているのだろうではなく、セドリックやアシアが出逢った村人たちの言葉や態度の端々から感じたのは、彼らに自覚があるにしろないにしろ、心の奥底ではその感情がほとんどを占めていた、だった。ただ、託されたのではなく見捨てられたのだ、といった方向の事実を彼らは当然のこと認めたくなく、『神に近しい者』である導師から託された、といった誉れある地であるのだといった矜持で以って、先人から現代へ導師に関する昔話は語られ続けてきている。その内容には導師への感謝をも十二分に盛り込まれて。
その真実はこの地へこの村人の先人を導いた、その当事者である導師から聞き取るしかないが、この地は導師から託された、といったこの村の伝話の内容は間違いはない、とアシアは受け止めている。
その導師はこの村人の先人たちを見捨てたのではない。
アシアがそう受け止めているのは、それは、この地が遥か昔から豊かな地であり続けていること。更に、創造主の祝福を受けている、この箱庭の中で数少ない土地であること。また、この地を導いた導師がこの地に生きるのに相応しいと選別した『人』しか、この地に留まることができないように、緩くはあるが結界が張られていること。
村の入り口のシンボルとして親しまれているあの大木は、導師が張った結界だ。
ただ、あの大木は創世記頃からのもののようであり、植樹された当時はこの村に仇なす者は、現在よりも各段に入ることができないくらい力があったとは思う。
しかし今は、アシアが感じるには、この村の存在感を薄くしているくらいの結界になっている。この村に住んでいない『人』たちから、そういえばそのような村があったな、くらいの薄い認識をされるような緩い結界だ。
今はこの村は例えるなら、隠れ里に近いものだ。