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萌葱色の風 ~薬草はうたう~  作者: こみや みこ
2/2

風薫る 2

 優しい風が頬を撫でていく。

 薬草畑の花の周りを、小さな蜂が飛んでいた。


 長閑なその風景の中で、シャロンの金色の瞳はその男性に釘付けになっていた。


「――なぜ、泣いている?」

 彼から出た言葉は、謎かけのようだった。


 ――え? 泣く?


 眉根を寄せた男性の思いがけない言葉に、シャロンは辺りを見回したが、答えは見えてこなかった。

 背が高く整った体躯に、腕組みをしたまま眉根を寄せる男性。

 ――流石に妖精じゃないわよね、この人。このお屋敷の方かしら? でも泣くってどうして? 言っている意味がわからないわ。


 静かな時間が流れる。



 困惑したシャロンは、白いシャツと薄いグレーのパンツ姿というラフな出立の彼を、縋るように見つめた。


 しばらくして、男性が再び口を開いた。

「迷子?」

「え?」

「迷子だったのか?」


 その男性の言葉に、はじめて自分の頬に流れる涙に気がついた。

 私?

 慌てて両手で頬を隠す。


「まっ、迷子じゃありません!」

 私のことだった! なぜ涙? いつの間に?

 押さえた頬が熱くなっていく。



 狼狽しているシャロンを見て、男性の片眉が少し上がる。じゃあなぜ泣いている、と。


 何故と言われても、いま自覚したばかりだ。

「あの、これは、そのっ……」


 なんというか、そう!

「懐か、しくて……」


 そうだ。懐かしかった。

 伯爵家に引き取られてからの辛い日々を、助けてくれた薬草たち。見守ってくれたのは、亜麻色の髪をした緑の瞳の人。淋しい時に包んでくれた、薬草を扱う優しい手。キリル――。


「懐かしい?」

 男性の眉がさらに上がる。怪訝な顔付きに冷ややかさが加わった。

 しかし、蘇る思い出に浸るシャロンは気づかない。


「だって久しぶりだもの!ジャーマンカモミールにペパーミント、フェンネルにローズマリーも!」

 すごいわ! お屋敷の傍に、こんなに沢山の薬草、こんなに広い畑があるなんて! 

 シャロンは、さっきまでの恥ずかしさを忘れ興奮していた。

 その両手を大きく広げ胸いっぱいに香りを吸い込むと、鼻腔の奥に青く爽やかな香りが広がる。目を閉じれば、それをより一層深く感じることができた。押さえ込んだはずの目許に、またも涙が滲んでくる。

 男性は小さく息を吐き、ハンカチを差し出した。


「お腹が弱かったのか?」

 ぼそりと呟いた彼の言葉に驚いた。

「――わかるの?」

 すごいわ! と、またも大きな声を上げる。

「薬草に詳しいのね!」

 シャロンは、差し出されたハンカチを笑顔で受け取った。興奮と驚きに包まれた彼女の目許には、もう涙は滲んでいなかったが。

 広大な畑を眺めていると、薬草の種類ごとに分けられ植えられているのが分かる。奥の方にレンガ造りの建物が見え、その脇に温室も並んでいた。


「これぐらい誰でも知っている」

 少し頬を赤くした男性は、足元のジャーマンカモミールの花に、指先でそっと触れた。とまっていた小さな蜂が飛んでいく。

「そうなの?」

 揺らめくカモミールと男性の顔を、交互に見比べた。


 私は知らなかったわ。

 ――まさか、一般常識だったの? でも、伯爵令嬢教育には含まれていなかったはずよ。

 驚きに目を白黒させた。


 吹き出したのは男性だった。


「泣いたり笑ったり、忙しいやつだな」

 笑った彼の顔は、花が綻ぶように輝いていた。思わず声を上げそうになった。

 ――妖精から、人間になったわ。

 彼の纏う雰囲気が温かくなる。胸の鼓動が早くなっていく。


「カモミールもフェンネルもペパーミントも、昔からよく使われている薬草だ」

 特別なことじゃない、そうカモミールを見つめる男性の眼差しは、これ以上にないくらい優しかった。


 息をするのも忘れるくらいに。

 その姿から目が離せなかった。




「――――っと、お迎えが来たようだ」

「え?」

 男性の目線を追って振り返ると、遠くに輝く金の髪が見えた。


「――あ」

 忘れていた。

 足早に歩いてくるのは、フォスター侯爵家の次期侯爵、クリストファーだった。彼はシャロンの姿を捉えると、緩くウェーブのかかった金髪を輝かせながら、早足に近寄ってきた。

 シャロンは膝を折り、挨拶をする。


「こんなところで、ひとりで何をしていたんです?」

「ひとりで?」

 その言葉に振り向くが、銀髪の男性の姿はもうそこにはなかった。

「あの、クリストファー様」

 さっきの男性は誰だったのかと、聞きたかった。


「ここで何を?」

 にこやかな笑顔。しかしその奥に威圧的なオーラを感じる。

 そこで、シャロンはクリストファーの質問に答えていないことに気づいた。

「申し訳ございません」

 慌てて再び膝を折り、頭を伏せた。

「ああ、別に謝罪を求めているわけではなくてね。まあ、あまりにお帰りが遅いので、迎えに来てしまいましたが」

「お手を煩わせて申し訳ございません」

「いいえ、構いません。美しい女性を追い、探し歩くのもまた楽しい時間でしたから」

 そんなはずはない。優しい口調ではあるが、楽しさは少しも感じられない。よほど探し回ったということか。美人は怒ると怖い。クリストファーも然り。自分のせいとはいえ拷問に似た時間に、胃をキリキリ締め上げられるようだった。

「無礼をいたしました。重ねてお詫び申し上げます」

 謝罪以外の言葉が浮かんでこない。

「そう固くならないで欲しいんだけどね。それに謝罪続きで話が進まない」

 で、なぜここに?クリストファーは辺りを見回した。

 シャロンは頭を伏せたまま、どう答えるのが正解なのか思案していた。指先が緊張で冷たくなり、痺れてきた。


「……なぜ、と申しますと?」

「こんな奥まった場所、普通は来ないでしょ?」

 その通りだ。しかも勝手に中庭に出て敷地内を彷徨いた。不審極まりない。

「も、申し訳ございません。つい、匂いに惹かれて入り込んでしまって」

「匂い?」

「ええ」

 そう言いつつ、シャロンは薬草畑に目を向けた。

「――匂いってこの草花の?」

「……草花?」

「中庭の薔薇の香りでもなくて?」

 と、クリストファーが首をかしげる。それはそうだろう。わざわざ、僅かな香りをたどった自覚もある。正直に話したことが、さらに不信を煽ってしまっている。

 だが、気になるのはそこではなかった。握りしめた手の中に、受け取ったままのハンカチがある。薬草に向ける彼の眼差しと、クリストファーの草花発言。ふたりの薬草に対する扱い、違いは明確だ。


 もしかして、薬草と言ってはいけないのかしら? それとも……。

 聞いていいのかもわからない。


「……ご迷惑をかけしました。すぐに戻ります」

 そう宣言し、急いで踏み出した足許を見てぎょっとする。走ったせいでヒールも足元も泥で汚れていた。

「わあ、これはまた随分と派手にやっちゃったね」

「お見苦しいところを――」

 令嬢に有るまじき姿に、シャロンの焦りは最高潮に達していた。


 クリストファーはそんなシャロンには目も呉れず、跪きシャロンの足元をハンカチで拭った。恥ずかしさと時期侯爵を跪かせている事実に、シャロンは声のない悲鳴を上げた。



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