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【第3話】福家春子



 年賀状が、郵便局と美容室から届いた。テレビが盛んにチョコレートのCMを流しだす。俺は、名前も知らないオリンピックの競技を流し見たり、せっかくの祝日を一日中寝て、無為に過ごしていた。洗濯物は部屋干し。五〇〇〇円を超えた電気代の請求は見ぬふり。一八時以前にはドアを開けない生活を徹底した。


 おかげで年が明けてから、俺は一言も他人と会話をしていない。オンラインオフライン含めて、一言もだ。


 身の毛がよだつほど、寒い日だった。暖房をつけて二度寝をむさぼり、目を覚ましたのは夜の七時。カップラーメンで腹を満たし、電子書籍で漫画を読む。


 テレビはつけっぱなしにしているが、ろくに聞いてはいない。俺は無音が怖かった。無言は何ら怖くないのに。


 一〇時になって、テレビはドラマを始める。部屋一面に広がる星空。男女がチャットに勤しんでいる。その画が他人事とは思えず、俺はタブレットから目を離す。


 単発のドラマらしい。主人公は引きこもり。親が死んだときの心配をしていたら、母親が心臓病で倒れる。そして死体が喋り出し、主人公は自分の過去と向き合っていく。


 ファンタジーなストーリーだが、他人事に思えないのは俺が、両親の現状を知らないからだろうか。去年の盆に、墓参りには行かないと話をして以来、電話すらしていない。


 もしかしたら、何か病気に罹っている?


 いつか必ず来る時が、明日にでも訪れるのではないかと、俺は無性に怖くなった。


 ドラマが終わり、俺は思わずテレビを消してしまう。布団に入って目を瞑ると、枕元に置いていたスマートフォンが鳴りだす。電話の主は母親だった。


「もしもし、大誠(たいせい)。今、時間大丈夫?」


 機械に翻訳された母親の声は、記憶よりも少しだけ高い。布団から体を起こして、目をこする。


 用件は何となく分かっていた。


「ああ、大丈夫」


「今何してるの?」


「さっきまでテレビ見てたけど、今はもう寝ようと思ってる」


「そう。けっこう早くない?」


「俺だって疲れてんだよ」


 嘘をついても全く心は痛まなかった。今日の俺は起きてから何もしていないし、これからも何もしない。


 ろくでもない人間だ。生きているのか、死んでいるのか。


「ねぇ、何のテレビ見てたの?」


「ドラマだよ」


「えっ、今日ドラマやってたの? どんなドラマだった?」


「引きこもりの親が死ぬ話」


 事実をありのまま伝えて、沈黙してくれればいい。そうすれば、電話を切られる。


 だけれど、俺の目論見通りにはいかず、母親は「へぇ、そんなドラマやってたんだ。見たかったな」と答えた。おそらくアルコールが入っているのだろう。しきりに笑いをこぼしている。


「再放送いつやるか分かる?」


「分かるわけねぇだろ、そんなの。でも、オンデマンドで配信されんじゃねぇかな。そういう時代だし」


「あー、なるほどね。その可能性はあるね。ありがと。あとで調べてみる」


 動画好きの母親のことだ。確実に見る。そして、感想をメールで送ってくるだろう。共通の話題が、俺たちの間を繋ぐ。


 いや、俺たちだけではない。テレビの向こうにいる何千人もの人間と、俺は繋がっていたのだ。


 孤独になることは、とても難しい。油断していると、すぐ人と繋がってしまう。


「ところで、大誠。今度はいつ家に帰ってくるの?」


 言葉が想定通りのコースで飛んできたから、俺は悟られないように苦笑する。徒歩一時間のところにある実家には、ここ一年半帰っていない。


 「何? 俺に帰ってきてほしいわけ?」と意味のない質問が、口をついて出る。返事は分かりきっているのに。


「うん。帰ってきてほしいよ。だって、大誠。明日誕生日じゃん」


 忘れようとしていた現実をぶり返される。そうだ。俺は明日二七歳になる。何もしないまま、何も成し遂げないまま、また無意味に年を重ねる。


 昔は、三〇歳までに死ぬと、俺は言っていた。まあ、どうせ死に損なうのだろうけれど。


「いいよ。祝わなくて。そんな価値ないし」


「そういうこと言わないで。お母さんとお父さんは、大誠が生まれてきてくれて、本当に嬉しかったんだから。大誠がそう思ってなくても、大誠には祝われる義務があるの」


 「義務」という言葉が、「呪い」という音を伴って聞こえた。生きる限り背負い続ける、解けない呪い。


「じゃあ、今電話で祝ってよ。『お誕生日おめでとう』って、幼稚園児に言うみたいに祝ってよ」


「そういうことじゃないでしょ。私たちは大誠に会って、直接おめでとうって言いたいの」


「あのさ、言ってなかったけど、俺バイト始めたんだよね。警備の。明日、夜勤あんだ」


 息を吐くように嘘をつく。見抜かれていても関係ない。


「そのバイトは何時からなの?」


「夕方の六時から、朝の五時まで。二人とも仕事が終わるのが六時でしょ。だから絶対に無理」


「どこでのバイトなの?」


「それは教えらんない。守秘義務ってのがあるから」


 嘘に嘘を塗り重ねていく。母親は怪しまなかった。嘘に乗ってくれていることが、心をズキズキと痛めつける。


「それなら仕方ないね。よかったじゃん。バイト決まって。お母さんも応援してる。がんばってね」


「ああ、がんばるよ」


「じゃあ、明日は無理として、いつなら家に帰ってこれる?」


「ごめん。長期の仕事なんだ。だから、当分家には帰れない」


「そう。じゃあ、代わりにプレゼントを贈るよ。大誠、何かほしいものない?」


 そう言われ、少し考えてみたけれど、何も思い浮かばなかった。実の親に現金をせびることも気が引ける。


 まだクズになれていない中途半端な自分が、たまらなく嫌だった。


「別に何も」


「じゃあさ、無人島に何か一つだけ持っていけるとしたら、何にする?」


「どうしたの、急に」


「いや、今日会社でそういう話になって。お母さんは釣り竿かなー。ほら、食料が確保できないと生きていけないでしょ?」


 釣った魚を生で食べるつもりか。食中毒にかかりそうだな。


 俺は母親を内心馬鹿にする。もうすぐ還暦を迎えようという人間の答えとは思えない。


「……ナイフかな」


「あぁ、なるほど。それもあるね。魚や木の実を切ったり、いろいろ便利だもんね」


 首を掻き切ることもできるし。


「じゃあ、プレゼントはナイフでいい?」


「なんでそんな話になんだよ。ここ無人島じゃないじゃん」


 「確かに」と母親が電話の向こうで笑っている。かなり酔いが回っているようだ。他にも好きなYoutuberの話をしてきたけれど、いい加減にしてほしいとしか思えなかった。


 イライラすることも馬鹿らしくなって、無人島の話の続きを考える。


 そこに行けば、文字通り完全な孤独を手に入れることができるだろう。一人でもがき、一人で苦しみ、一人で死ぬ。誰にも迷惑をかけない、最高の生き方だ。


 気づくと、俺は母親の話を遮っていた。初めて息子から話を持ち掛けられて、少し驚いているようだった。


「あのさ、母さん。ちょっと相談があるんだけど……」





 鍬を一振り下ろすと、硬い土に亀裂が入って、吐しゃ物にも似た臭いが、鼻に入り込む。木々は太陽の熱を増幅して、俺のもとに届けてくる。帽子のみでは不十分で、俺は早くも水筒の麦茶を二杯飲んだ。先月までの草取りで、痛めた腰が、じんじん痛む。


 家から道なき道を歩いて、三〇分のところにある畑は、もう二年も放置されていた。五〇アールもある土地を、再び農地にしたいと話したとき、不動産屋に鼻で笑われたことを思い出す。


 今なら分かる。今年は何も植えられないで、冬になりそうだ。


 空が夕焼け色に染まり始めたのを機に、俺は畑を耕すことをやめた。完全に日が落ちてしまうと、翳る森の中で方角を見失ってしまう。一度、森の中で夜を明かした、あの日の二の舞にはなりたくない。


 俺は蝉の声がけたたましく鳴る森の中を、鍬を持って歩き続けた。


 西から吹いてくる風に、木の葉が、名も知らぬ草が、小さな花が揺れている。


 蚊が近づいて俺の顔を刺す。手で叩くと、ぺチンという音に紛れて、命が潰れる感触がはっきりとした。


 辿り着いた頃には、薄暗くなった空に、家のシルエットがぼんやりと溶けていた。木造の平屋だが、俺が入居する前に、外壁を塗り替え、室内をクリーニングしたらしく、それほど古めかしさは感じない。


 引き戸をくぐって、電気をつけると、炎が暗闇に灯るみたいに、玄関は明るくなった。屋根に取りつけられたソーラーパネルのおかげだ。


 廊下の窓を開けて、居間と外とを接続させる。夜は、昼の暑さを忘れてしまったかのように、急激に涼しくなる。


 棚から袋麺を取り出し、調理して食べた。舗装されていないとはいえ、車は入ることができるので、俺は未だに生協の世話になっている。会うことはないが、この袋麺も、蛇口から出る水も、つまみを回すと点く火も、俺を照らす電気も、全て人が作ったものだ。


 生きている限り、人からは逃げきることができない。


 愛されることからは、逃れられない。


 俺は、代わり映えしない景色を見ながら、ラーメンをすすり続けた。


 夜空に広がる満天の星は、もうとっくに見飽きていた。



(完)

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