異世界帰りの勇者様が自分の待遇に納得いかなくて世界をMMORPGの世界にしたらしい。
たぶん、俺の親は毒親だ。
たぶんと言ったのは、他の親が実際に家のなかで子供とどんな風な関係性なのか、結局のところ俺は知らないから。
外では良い顔をして、家の中では独裁者。そんな親がうちの親以外にいたとしてもなんらおかしなことではない。
親の言うことは絶対。
物心ついた頃にはそんな感じだったし、俺は器用だったから何だかんだで親に命令されたことは何だってうまくこなしてきた。
その甲斐あって、というのもおかしな話かもしれないが、親に入れと言われた所謂一流企業にも内定が決まった。
つい、昨日のことだ。
いい親だなんて思ったことは一度もないけれど、あれこれ自分で考えずにここまでこれたことには感謝している。
それが全部パーになった。
「……せめて、就活始まる前にしてくれよ……」
下を見渡せば一面の緑。上を見上げればどこまでも遠く青い空。
そして、視界の左上には各種ステータス。
喧嘩うってんのか。
「俺の二十二年間の努力がパーじゃねぇか!」
「まぁまぁ、落ち着いてよ兄さん」
衝動的に無意味と理解しながらも地面に生えた草を蹴りあげる。
そんな俺に背後から声がかけられた。
「お前は楽しそうだな……」
「いやぁ、まさかLMOの世界に来れることがあるなんて思わなかったからさぁ」
ニコニコと楽しそうに笑みを浮かべる弟にジト目を向けるがまるで気にした様子はない。
本当に心底今のこの状況を楽しんでいるといった感じだ。
「勇者様には感謝だよー」
「俺は恨みしかねーけどな」
笑顔そのままに俺の二十二年間をパーにしやがった悪党に感謝する弟。
それに若干の憤りを覚えつつ周りを見渡せばやはり一面の緑だ。頬を撫でる風が心地よい。
ある時、一人の何でもないどこにでも居そうな男子高校生が異世界とやらに召喚されたらしい。
異世界ものの小説なんかにはよくある展開だ。
そして、男子高校生はとことんテンプレを貫き魔王倒したりハーレム築いたり色々やったらしい。
そこまではよかった。問題はここから。
魔王を倒したあと、勇者はその世界の権力者にとっては邪魔な存在でしかなかったらしい。
だから、送り返された。異世界で得た力はそのままに。
異世界を救ったところでこちらの世界ではただの男子高校生に過ぎない。力を誇示したところで向こうで受けたような破格の待遇は求められない。
異世界帰りの勇者は気づいた。だったら世界を変えればいいんだと。
頭沸いてるのかな?って話だけどタチの悪いことにそいつにはそれをできるだけの力があった。
そしてその結果、元々あった世界は異世界帰りの勇者がハマっていたMMORPGの世界へと変えられてしまった。
これを聞かされたのがつい数時間前の話。
空間に突如として現れたモニターのなかでごつい椅子に座った異世界帰りの勇者がまるで自慢するように語っていた。
アホすぎる。が、それを止める手立てはない。
何しろゲームの世界だ。レベルという概念がある。それが低ければ、たとえどれだけ元の世界で優秀だったとしても力をまともに発揮することはできない。
世界そのものが変わってしまったので兵器の類なんかも存在しない。
あるのは初期装備のシャツか何かなんじゃないかと思うくらいに薄っぺらい皮の鎧とナイフのみ。
いくら数を集めたところで異世界帰りの勇者に挑むのは無謀というものだろう。
見せつけるようにモニターの映像の最後は異世界帰りの勇者が魔法で大爆発を起こすところで終わっていたし。
「兄さん、レベル上げしに行かない? 僕とパーティー組んだらすぐに上がると思うよ!」
「……うーん。上げなきゃダメか?」
「ダメだよ! この世界では闘えないなら生きていけないよ!」
「……いやー、でもなー」
「これはゲームであっても、遊びではない」
「ソードでアートなオンラインか? コンプライアンス的にアウトだろうからやめろ。つーか、俺がレベルあげたところで意味ないだろ」
「……どうして?」
「どうしてもこうしてもあるかよ。廃課金のお前と居たら俺が戦う必要とかないじゃん。それに危ないのとかやだよ俺。死んだらどうするんだよ。これはゲームであっても、遊びではないんだぞ?」
弟には俺と違って器用さがなかった。
弟には俺と違って意志があった。
だから、親の命令に逆らい続けて殴られても絶対に意志を曲げなかった弟は小学生の頃には見切りをつけられていた。
弟が中学生の年齢になる頃には弟は部屋から出てこなくなったし、両親も弟は存在しないものとして扱うようになった。
今日、両親はそんな弟と違っていつもニコニコと笑みを浮かべて両親に忠実な妹のピアノのコンクールに出向いていた。
詳しくは知らないが、大きな賞らしい。
両親と妹がいない家には俺と万年自宅警備をしている弟だけが居た。
両親がいると弟に話しかけてはいけないが、その両親がいないのでいつものように部屋に遊びに行って漫画を読んでいると気づけば見渡す限り青い空という状況だったわけだ。
このときはまだ何が起きたのか俺には皆目見当がつかなかったけれど、弟はそうではなかった。
この世界が弟が課金しまくって全プレイヤーでもかなり強い部類にいるゲームの世界であると瞬時に理解し、俺にそう告げたのだ。
はじめは半信半疑であった俺もそのあとの異世界帰りの勇者による演説に信じざるを得なくなった。
そして、そこで俺は弟と自分の違いに目を向けることになった。
俺の何の役にも立たなそうな雑魚装備と弟の装備には歴然の差があったのだ。
弟曰く、ゲームの世界の装備そのままらしい。あと、レベルとか諸々もそのままなのだとか。
おそらく、このゲームをプレイしている奴らはゲームの装備やステータスをそのままにこの世界に連れてこられているのだと推測できる。
弟はプレイ時間もさることながら、株だかなんだかで荒稼ぎした金を大量にぶちこんでいる廃課金プレイヤーだ。
そんな奴と一緒にいるのにわざわざレベル上げのために変な化け物と闘うとかあり得ない。
痛いのとか嫌だし、万が一死んだらどうするんだよ。
ゲームの世界とはいえ、これは現実なのだから普通に死んだらそれで終わりの可能性が高いというのに。
「いい? 今の兄さんはくそ雑魚なんだよ?」
「なんてこと言いやがる。それがこれまで可愛がってきた兄に対しての発言かよ」
両親は当然として、妹もなぜか弟のことを死ぬほど嫌っているので弟とまともに会話をするのは俺くらいのものだ。
俺が好きでやってることだし、別に恩に着せるつもりなんてこれっぽっちもないけれど、あんまりな言い方じゃないか。
勉強とか教えてやった仲じゃないか!保健体育とかの!
「僕はこれでも心配して言ってるんだよ? 今は世界全体が無法地帯みたいなものなんだからさ。普段は真面目に生きてきた人が犯罪だったことに手を染めても何にもおかしくないような状況になってる。そんな世界で自分の身を守る手段がないなんて身ぐるみ剥いでくださいって言ってるようなものだよ」
「剥ぐ身ぐるみもないけどな。あははっ」
「笑ってる場合じゃないよ! 状況分かってる!?」
弟が今までにないくらいにアグレッシブに距離を詰めてくる。
ふわりと爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。
ねぇ、なんでお前そんないい匂いするの?俺なんか地面の上で転がって駄々こねたせいで身体中雑草の匂いするんだけど?
「あー、分かってるよ。分かってるけどさ……」
「分かってるなら早くレベル上げいくよ! 色々教えてあげるから!」
「……んー」
体が雑草臭いのはひとまず置いといて、弟が言ったことは俺とてよく理解している。
ざっと見た感じ俺達の周りには誰もいないから今のところは心配ないけど、人間って生き物はどこまでも愚かだからな。普段なら理性が働いてやらないようなことでもこの異常事態で理性が消しとんでやらかすなんてことは想像するに難くない。
廃課金の弟がいるからよほどの相手でもない限りは被害を被ることもないだろうけど、弟だっていつも俺の側にいる訳じゃない。
一人のところを襲われでもしたら目も当てられないことになるだろう。
……仕方ない、か。
「……なんか、襲ってきた奴が反射的に死ぬような裏技とかない?」
「ないよ! ゲーム感覚でいると本当に死んじゃうよ!?」