第2話
「隠しカメラがあることに気がつかなかったのか。耳ざといお前らしくもない」
迅は”こんな奴の姿を隠し撮りしたいと思う輩の気がしれない”と呟きながら、サイドテーブルやシーリングライト、ベッドの裏などをくまなく捜索しはじめる。そんな義兄を横目で見ながら、つばさは、2つ目のドーナッツに挑み始めていた。
「もぐもぐ……僕は耳がいいからって言いたいんでしょ。でも、シャッター音に気づいたのは、今が初めてだったよ。このダイニングキッチンを使ったのって、今日が初めてだったからかな」
「お前な、もっと深刻になれよ。ここの音声まで誰かに聞かれてんだぞ」
迅は探し当てた数個の”隠しカメラ”と”盗聴器”をソファーの上に放り投げる。それを見た、つばさは、
「だって、カメラと盗聴器は迅兄さんが、今、全部、はずしてくれたんでしょ。それに、ここに来て、まだ3日だ。写真だって写っているのは、コーヒーカップくらいだよ。盗聴っていたって、迅兄さんとの雑談以外には、僕はここで会話なんてしてないんだし」
集めた機器類を検分しながら迅は眉をしかめる。そして、コーヒーカップを鼻歌まじりに片付け始めた義弟の腕を掴んで言った。
「つばさ、お前、さっさとここを出ろ」
「ええっ、嫌だよ。また、新しい引っ越し先を探すのも面倒臭い。それに、くるみが明日、こっちに帰ってくるんだ。それまでに、ホームスティ先から荷物を持ち込まないと」
「くるみが帰ってくるなら尚更だ。まだ、荷物は持ち込んでいないんだな? なら、俺が別の場所を探してやる。だから、引っ越せ」
「あ……それ、余計にやだ」
「……」
こいつの天邪鬼っぷりは、年を追う毎に酷さを増してきてやがる。
しかし、パパラッチというのは、職業分類的にはカメラマンに属するのだろうが、それが、こんな子供の写真を撮るために、大量のカメラや盗聴器を部屋に設置するものなのか。
不自然な違和感が心に広がってゆく。義弟に目を向けると相変わらずの呑気さで、盗聴器に向けてバイオリンの絃を弾いて、音を聞かせたりしている。
「とにかく、荷物まとめて、さっさと、俺に着いてこいっ」
理屈で説得しても、こいつには暖簾に腕押しだ。迅は有無を言わさず、つばさにそう命令した。
* *
8月16日 成田国際空港。第2ターミナル
JL008便 13:45発 ボストン ローガン空港行きの搭乗時間まであと1時間。
チェックインカウンター前で、闇雲 くるみは、「そろそろ行こうかな」と、見送りに来た友人たちに、名残惜しい笑みを浮かべた。
山根 昭、岬 良介、 坂下 由貴
友人というより先輩と呼んだ方が良いような面々だったが、彼らの間には、2年前に起きた苦々しい事件に翻弄され、お互いの事情をすべて外にさらけ出したこともあり、家族のような意識が芽生えていた。
「みんな、今日は忙しいのに、来てくれて有難う」
「おぅ、あのクソ生意気な小僧にもよろしくな。それと、モデルとか気色悪いことはさっさと止めろって言っといてくれ。お前が着飾っても、”馬子にも衣裳”どまりだせって」
良介は舌戦では、つばさの好敵手だ。それを知っている由貴は、
「良介さんは相変わらず、つばさ君には手厳しいのね。色々とチャレンジしてみるのはいいことじゃない。私はつばさ君って、何でも出来て素敵だと思うけどな。くるみちゃんの今日のスタイルも大人っぽくて良いわね。やっぱり、あっちへ行くと随分、垢ぬけるのねぇ」
坂下 由貴の褒め言葉に、くるみは、まんざらでもない顔をした。若者の間で大人気のブランド、アメリカンイーグルの編み込みニットのタンクトップと膝が破れたダメージボトムス。今では、つばさより背が伸びたくるみは、それをさらりと着こなしている。
由貴も今では長かった髪をショートボブに切りそろえて、随分と明るいイメージに成りを変えていた。
「おう、二人ともイケてるぞ。由貴さんはどんな髪型だって美人だし、くるみちゃんは、そのあと少しでヘソが見えそうな微妙な線が、男心をくすぐる! だから、いいつまでも、迅、迅って言ってないで、向こうでゴキゲンなアメリカンボーイでもさっさと捕まえろや」
「うわぁ、”ゴキゲンなアメリカンボーイ”だなんて言葉、良介さんって昭和~」
「仕方ねぇだろっ、俺んちの寿司屋の常連は昭和のオヤジばっかだからな」
弾けるように笑ったくるみだったが、昭は表情を曇らせて遠慮がちに言うのだった。
「う~ん、くるみちゃんって16歳だっけ、まぁ、良いか……でも、機内ではお腹は出さない方がいいと思うよ。冷えるといけないし……」
相変わらずの硬めの意見に、くるみは、ちょっと噴き出してしまったが、やっぱり昭さんは真面目だなぁと思ってしまう。少し融通が利かないところが玉に瑕だが、あの事件で飲まされた毒物の後遺症で、プロのバイオリニストの道は諦めても、自暴自棄になることもなしに、今は後進の指導に頑張っている彼の姿は尊敬に値する。
「そういえば、香織さんはどうしてるのかしら。会いたかったけど、やっぱり、連絡は……取り辛くて」
「そりゃあな……執行猶予はついたけど、みんな、元の通りってわけにはゆかないだろ。お互いにな」
良介は薄い笑みを浮かべた。2年前の毒物混入事件の舞台になったのは、彼が寿司職人をしていた回転寿司屋だったからだ。
その時、銀縁眼鏡をクールに光らせて、昭が、さらりと言ってのけた。
「あ、でも、香織から伝言を聞いてきたんだ。”つばさ君、頑張って世界を征服してね”だって。あと、くるみちゃんにも、”アメリカでいい彼氏を見つけてね”だって」
居合わせた面々は、一瞬、口を閉ざし、ええっと驚きの声をあげた
「あ、昭さんって、香織さんと連絡とってるの!?」
「……うん。裁判の判決が出た後、2度ほど会った。メールも時々」
「何ぃ!」
それって、毒物混入事件の加害者と被害者が、よりを戻したってこと!
「ま、詳しい話はまた後でね」
「そんなこと聞いたら、私、アメリカになんか帰れないっ」
くるみが声をあげた、その時だった。
”JL008便 13:45発 ボストン ローガン空港行きは、搭乗案内を開始しております。出国手続きをお済でないお客様は、お早く、手続きをお済ませになり、搭乗口にお越し下さい”
地上係員のアナウンスが響いてきたのだ。
「ほら、くるみちゃん、早く行かないと飛行機が出てしまうよ。それと、迅をくれぐれも、よく見張っておいておくれよ。それでないと、また、あいつはエベレストに再挑戦するなんて言い出しかねないから」
昭に続いて由貴が言った。
「夏休みは無理だったけど、試験休みに入ったら遊びにゆくからって、つばさ君と迅さんにも伝えておいてね」
最後に良介が、くるみのおでこをコツンと小突いて、手荷物検査のブースを指さした。
「気をつけてな。昭の言うように、機内でヘソは隠しとけ。こっちのことは、俺が根掘り葉掘り昭から聞き出して、由貴さんの手土産にして、アメリカに持ってゆかせるから」
* *
「みんな、元気でね! また、会おうね!」
複雑な闇雲家の内情を理解してくれる仲間たちと別れるのは、何となく心細い。けれども、アメリカには、くるみがしっかりしていないと、糸が切れた凧みたいに、どっちの方向へ行ってしまうか分からない、天才児のつばさと、風来坊の迅がいる。
やっぱり、二人は、私が支えなきゃね!
くるみは満面の笑みで見送ってくれた友人たちに、手を振ると、B787が待つ搭乗口へ向かって歩いていった。
到着時刻は翌日、8月17日の16:30。
ボストン、ローガン空港まで約13時間45のフライトだ。けれども、くるみは、知らなかった。この間につばさと迅が、彼女が帰る引っ越し先を巡り、ケンブリッジ市を右往左往していたことなど。




