助長的序章
更新不定期です。ご了承を。
午前7時起床。朧げな意識をタコ殴りにする目覚まし時計の音を叩き消すところから僕の日常は始まる。ニュースを毎日覗き見れど、相も変わらない悪報ばかりが流されているが僕の日常に支障はきたされず、車輪のように同じ道をぐるぐると回り続ける。
マグカップに注いだくどいコーヒーから立ち上る湯気を目で追うたびに気分は反対に暗い水底へ沈んでいく。
僕は慣れた足取りで靴をスリッパのように履くと何も言わずに家から出た。眠たい眼に朗らかな紫外線を浴びさせる太陽は一体何を考えているのやら。春の物憂い日差しに麗らかな風、甘い香りがすべてを物語っている。世の中は平和であると。
ポケットに入れた手はスマホを弄び所在無さげにしている。そんなスマホが痺れを切らしたようにバイブレーションを鳴らす。僕はちょうど学校に付いたし何事かと徐ろに取り出して通知を見てみた。どうやら知り合いからのメッセージらしい。返信するのも今は面倒くさいので無視する。
スマホを開いた流れで何となくニュースを開いてみと、トップに「またも異世界へ」と出ていた。僕はうんざりして電源を落とした。
〇
突如、この浮世には異世界転生という変わった現象が起こり始めていた。始まりはそれは静かなものであった。とある少年がトラックにひかれて死亡したのち転生した、というのが皮きりであったというのが今の時代の通説であると言われているが、果たして本当なのやら。
一昔前に流行った大衆文化に「ネット小説」やら「ライトノベル」なるものがあったらしく、そこではうんざりするほどこの出来事をモチーフにした物語が書かれ賛否両論を生んでいた、というのを聞いた記憶がある。
人々の多いなる意思がこの事象を生んだのか、神の大いなる意思によりこの事象が生まれたのかは知らない。どっちにしろこのご時世に神なんぞを信じる人口は世界中の半分を切った。
それこそ異世界転生が大衆文化に話題を呼んでいた時代には世界に神を信じる者はそれはもうたくさんいたらしいのだが。
「おはよっす。お前にLINEしたんだけど気づかなかったか?」
机の上に伏せていた僕の頭を肘で小突いて喋りかけてくる者が一名。彼こそが先ほど僕に連絡をしてきた張本人である。名前は谷川俊介。背が高く、四角い黒縁の眼鏡。前髪だけぴょんと上に跳ねている独特の髪型。病的な白さの顔の口元にポツンと離れ小島のように浮かぶほくろが特徴的だ。
「ああ、気が付かんかった」
もちろん方便である。僕はクワッっとわざとらしく欠伸をして机に肘をついた。それを合図にしたように、なあ、と俺に面白そうだと言わんばかりの含み笑いで谷川は彼のスマホの画面を俺のほうに滑らせる。
「また異世界転生した奴が出たらしいな」
「ああ、みたいだな」
俺は生返事で返した。しかし谷川はそんな俺にお構いなしに話しかけ続ける。
「お前が異世界転生したらどうするよ?」
「あ?俺?無理無理」
眼鏡が嫌らしくキラめき谷川は顔をズイっと寄せてくる。僕はそれを面倒くさそうに押しのけるが、しつこく聞いてくる。そんなに僕が異世界転生した時の生活ぶりが知りたいだなんて何を考えているのやら。
そんな僕に急かすように
「仮にだよ」
「はぁ?・・・そうねぇ」
そういって適当に思考を飛ばす。話には聞いたことはある。なんでも中世ヨーロッパの街並みに加え異形のものが闊歩してるとかなんとか。ドラゴンに獣人、魔物からモンスターまで様々。なんでもその世界は魔王からの悪の手が迫っているというので魔法を駆使して撃退する云々。これまた一昔前のよくあるゲームの設定のような世界らしい。
「僕が行っても魔王討伐の足手まといになるだけだろうし街で働き口でも頑張って探すかな・・ってそもそも言葉が通じるとは限らねえか。たぶん野垂れ死んで終わりじゃね?」
「えらい現実的なこと言うのなお前って・・このリアリストが」
僕が至極まっとうなことを言うと谷川はそう毒づいてジトっと睨む。それと僕はリアリストではない。リスクマネジメントを第一に考えているだけだ。SFだって好きだし、異世界転生だって面白そうだ。リスクマネジメントとリアリストを混同しないでほしい。
僕がそういうと谷川は辟易した顔で立ち上がり、教師のいない教室を後にした。
〇
今のご時世、教師は存在せずすべては人工知能を搭載したヒューマノイドに勉強を教えてもらう。これらの機能が搭載される前は倫理がどうのと大人たちは騒いでおり、いまだに僕ら世代の子供は可哀そうと憐れんでくる。当の本人らと云えばどうとも思ってはいないらしい。生まれながらこういうものであったし今更人工知能がどうとか、教師がどうとかはぶっちゃけどうでもいいと思っている者が大半のようだ。
まあ、僕はといえば――――
そこまで追走して、突如爆音とともに校内のいたるところで悲鳴が炸裂した。慌てて近くにあった窓から外を見るとオカシナモノが僕らの校舎を破壊して飛び回っていた。
全身真っ黒で、簡単に言えば球体。しかし、その体からは翼や重火器、触手、人間の腕、その他どこか既視感のあるようなものがいたるところから生えていた。
ソイツはよくよく見ていると僕のことに気が付いたのかこちら側にじりじりとにじり寄ってきた。僕はあまりの出来事に腰を抜かして、教室の壁際まで追い詰められた。
窓の淵やガラスとぶち壊しながら接近してくるソイツの大きさは段々と縮んでいき、僕の目の前にまで来た時にはバスケットボール程度にまでになっていた。
丸い体から不自然に生えた人間の腕を僕の方まで伸ばすと、僕の顎をまるで瀬戸物でも扱うかのように慎重につかんで引き寄せた。ひんやりとして微かに湿ったその腕に顎を撫でられるたびに悪寒と鳥肌が瞬く間に僕の全身を駆け巡る。
球体の中心に大きな亀裂が入り、ぱっくりとそれが開くとその亀裂程度の巨大な眼球が僕の顔を凝視した。瞳に映る僕の顔は酷く歪んでいてとてもではないが見れたものじゃない。
そしてコイツは口もないのに僕に語り掛けてきた。
「イセカイに行く気はないか?」と。
突拍子なく出てきた「異世界」という言葉を理解するのに僕の脳は数十秒を有した。その間ですら待てないのかコイツは僕の顎をつかむ手に力を籠める。ミシっと嫌な音がしてとっさに僕の口から言葉が出た。
「い・・・行かない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・何故」
ソイツの眼力がさらに上がった気がした。強い圧迫により思わず「行く」と答えてしまいそうになるがそこをこらえる。
「この世界で生きていこうと思えないやつが異世界で生きれるわけ無いじゃないか・・・」
口をついて出たこの言葉は、自分で言うのもなんであるがとてもぶっきらぼうで、子供がいじけた時の言い訳のようだった。
「どうしても行きたくないのか」
そいつは理解に苦しむような苦悶の目を向けてくる。さらに顎を握る力が強まり、恐怖感と絶望感で僕の涙腺が崩壊する。僕は涙でぐしゃぐしゃになった顔と声で「行かねえって言ってんだろ」と強がる。
するとソイツは僕の顎から手を引いた。一瞬悲しそうな目をこちらに向けるとすぐに瞳を閉じて教室からゆらゆらと出て行った。それきり校内から悲鳴も爆音もしなくなった。
その代わりに、痛みに悶絶する声や唸り声、啜り声などが学校中を木霊し、いつまでも僕の心から奴の最後に見せた瞳が消えることはなかった。
うぇい