第45話「『ミアズマ』」
第45話「『ミアズマ』」
普通、瘴気とは目には見えない形で俺たち人間に襲ってくる。あそこまで瘴気が実体化しているのは稀だ。それにものすごい濃縮な瘴気が集まっていることが伺える。
「あんなの見たことないぞ!」
瘴気が目に見えるぐらいまで集まっているなんて、聞いたことがないし見たこともない。
「まさか、『ミアズマ』が現れたと言うことか」
「やっぱり、そうなのかグレン!」
「分からない。だけど、あれを放置していたら大変なことになることは間違いない!」
そう言うとグレンは走り出してしまう。
「グレン! 死ぬぞ!」
「大丈夫だ。ちゃんと考えがある!」
「待てよグレン!」
俺は慌ててグレンのことを追いかけようとするが、村長のファルザに手を掴まれて動けなくなってしまう。
「ダメです! あなたまで行ったらあなたも死んでしまう!」
「だけど!」
グレンは何を考えてあんなことを? あんな瘴気の塊――いや爆弾に突っ込んだら一瞬で『瘴気障害』に陥って死に至る。それは聡明なグレンなら分かるはずだ。なのになぜ?
「グレン!」
俺はグレンの名を叫ぶことしか出来なかった。
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グレンは全力で駆けていた。どうにかあの瘴気を抑えないと、今度こそ村人は死んでしまう。
それにあの瘴気をどうにか出来るのは僕だけだしね。
グレンは自嘲気味に笑ってしまう。
まさか、今になってこの剣を使うことになるとはね。どんな皮肉なんだろうか。けど、みんなの命には代えられないよね。
グレンは気持ちを改めると、瘴気の爆弾めがけてさらに走るスピードを上げた。
リアムがグレンに渡した護符の効果で、グレンの体は多少は瘴気から守られていた。しかし、リアムもここまでの瘴気の塊があることは想定していなかった。なので、リアムが作った護符ではここまでの瘴気を完全に抑えることは出来なかったのだ。その結果、グレンの体は徐々に瘴気に侵食され始めていた。
やっぱり、そうだよね。
そして、グレンも自身の体の変化には気が付いていた。さらにはこのまま行くと自分は死んでしまうことも。
それでも、僕はやらなきゃいけないんだ。それにこの剣を持った時からいつでもその時が来てもいい様には覚悟を決めてきたつもりだった。
やがて、村があった場所に着くとグレンは剣を構えた。村の中央には一匹の狼型の魔獣が佇んでいた。
やはり、グレンの予想通り瘴気はその魔獣の体を中心にして渦巻いていた。
「あいつを倒せば」
グレンは腰を低くすると地面を蹴った。一気に距離を詰めると竜巻をその剣で斬り裂いた。
グレンの姿を見た狼型の魔獣は、一度大きく啼いた。
この剣なら瘴気を断ち斬れる!
グレンは確証を得て、一気にミアズマに攻撃を加えようとするが、ミアズマはその攻撃を避けると、グレンに噛みつこうとしてくる。
グレンは咄嗟にその攻撃に反応すると、ミアズマの下顎にめがけて蹴りをいれようとしたのだが、グレンの足はするりと通り過ぎてしまう。まるで、実態がなくなったかのように足が通り抜けた。
「厄介だな」
グレンは舌打ちを一つすると、もう一度距離を詰めた。こうしている間にも、グレンの体は瘴気に侵されて行っている。
長期戦はこっちが不利。なら、短期決戦で決めるべし!
「行くぞッ!」
グレンは短く息を吐き出すと、ミアズマに斬りかかるがミアズマは攻撃される度に実態を失くしては、その攻撃を凌いでいる。まるで、そのミアズマの体が瘴気で出来てるかのように剣、拳や蹴りが通らない。
果敢にグレンは攻撃を続けていくが、一撃もミアズマには攻撃が入らない。
「はぁ……はぁ……」
ついにはグレンは片膝を付いてしまう。すでにグレンの左腕は紫色に変色してしまっていて感覚もなく、動かすことも出来なかった。
グレンの目の前に立つミアズマは、もう一度大きく啼くと、グレンを飲み込もうと瘴気の竜巻をグレンに向けた。しかし、その竜巻は最初の時に比べるとかなり小さい竜巻となっていた。
グレンが横薙ぎに剣を払うと、その竜巻は簡単に消滅した。
剣を杖代わりにして立ち上がると、グレンは駆け出す。
後もう少しだ。
この何回かの攻防で、かなりの瘴気を払うことに成功していた。
このグレンが持つ剣は、瘴気を吸収する代わりにその持ち主が瘴気の塊となってしまう。まさに呪いの剣と呼べる代物だった。
「ガルァァァァァァァッ!」
ミアズマは吠えると、グレンに襲いかかっていく。グレンもグレンで立ち上がると、ミアズマを迎撃するために剣を振りかぶった。
そこから数回、数十回の交錯を経て、ミアズマの瘴気は取り払われそこには一匹の仔犬が倒れていた。
元々『ミアズマ』は、一匹の仔犬だった。その仔犬が何とか治そうとしたのだが、逆に規格外の瘴気を体内にため込むことになってしまった。それが膨張と暴走を繰り返して、その仔犬の体内細胞を破壊、再構築しあの悪魔へと変貌を遂げてしまったのだ。
その仔犬は紫色に変色してしまって死に絶えていることが一目でわかった。そして、死闘を制したグレンであったが、地面に倒れそのグレンの体を包むように黒い瘴気が渦巻いているのだった。
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グレン、あいつは大丈夫なのか?
先ほどまで見えていた瘴気の塊は、今は見えなくなった。
「やったのか?」
誰かがポツリと呟いたのが聞こえた。
グレンの奴、やったのか?
俺が村の方に視線を向けていると、ギギギギと鉄門が開く音がした。
「入れ」
どういう事だ? さっきはあんなに拒んでいたのにいきなり入っていいとか訳が分からない。
「どうしていきなり?」
「上からの命令だ」
衛兵はそれだけ答えると、直立不動になってしまい黙ってしまう。
とにかく、村人を避難させることの方が先か。
俺は深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、村人を避難させることに集中する。
最後の一人を避難させ終えると、俺は駆け出した。
グレンが心配だったからだ。
衛兵や村人に止められるが、俺は駆けて行く。
やがて、村があった場所に辿りつくと、俺は目を見張ることになった。
そこには人が立っていた。よく見知った人がそこには立っていた。
「……グレン……」
「ク……ル……ナ……」
おおよそ人の声とは思えない声が、俺の頭に響いてくる。でも、確かに「来るな」と言われたことは分かった。
「おい、グレン!」
俺は必死にグレンを呼びかけるが、返ってくる言葉はなかった。そして、いつの間にかグレンの周りには実体化している瘴気が渦巻いていた。とてもグレンに近付くことなんて出来なかった。
グレンは一度、こちらに視線を向けるとそのまま何も言わず立ち去ってしまう。
「グレン!」
俺は叫ぶが、その叫びはグレンに届かなかった。
一体、何がどうなってるんだよ? それに『ミアズマ』はどうなったんだ?
俺の頭の中には疑問しか残ってはいなかった。
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薬屋【ヒール】
ここはニーチェ夫妻が切り盛りしている薬屋だが、ここ最近は別の意味で繁盛していた。その理由は看板娘が一人増えたところによるものだった。
リアムが北区画【ゲンブン】へと赴いている間、リアムの妻であるルナはここでお世話になることになっているのだ。そして、その間、何もしないでお世話になるのはルナ的にも納得出来なかったので、リアムが帰ってくるまでこのお店のお手伝いを申し出たのだ。主にルナは接客をやっている。そして、このお店を手伝って早二週間ほど経とうとしているが、ルナがこの【ヒール】で看板娘をしていると言う話はすぐに広がり、一目見ようと客が殺到しているのだ。
「男どもは単純すぎるでしょうが!」
とはルルネの弁だった。それを聞いたルナは曖昧に笑うことしか出来なかった。
今日も今日とてルナを見ようと男性客が【ヒール】に押しかけていた。ルナの丁寧な接客と、誰をも魅了する笑顔が次から次へと男性客の心に突き刺さっているのだった。
「ルナちゃん……恐るべし」
これもルルネの弁である。一応、魔法薬師としての試験に合格し、さらにはあの天才魔法薬師少女のラール・レーメルにお墨付きまでもらっているルルネではあったが、隣で一緒にやっているルナに何だか負けたような気分に陥っていた。
「ルルネさん、どうかしたんですか?」
「ううん、何でもないよ」
天然なのが逆に怖いところよね。はぁ~。
ルルネはそう感じながら大量に来ている男性客を捌くために手を動かすのだった。
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「お疲れさま二人とも。おやつを用意してあるから座って少し休憩しなさいな」
ルルネの母親であるエリーは、そう言って二人分の紅茶を淹れると二人の前にそれを置いた。今日のおやつはパウンドケーキだった。
「美味しいですぅ~」
ルナは早速それを食べると、幸せそうに頬を緩ませている。そんな姿を見て、ルルネも自身のパウンドケーキを口に運んでいた。
「ああ、そうそう。ルルネとルナちゃん宛てに手紙が届いていたわよ」
ルルネはそう言われて一枚の手紙を受け取った。そこにはルナ・ラザール、ルルネ・ニーチェと記されていた。そして、差出人はリアム・ラザールとなっている。
「リアム!」
「えっ? 夫からの手紙なんですか⁉」
ルルネの言葉にルナも翠色の瞳を大きく見開いて驚きを露わにしている。
「ええ、そうみたいね。ちょっと読んでみるわね」
ルルネは紅茶で喉を潤すと、その手紙を音読し始める。
「ルナとルルネへ
すまない。少しへまをしたから、少しだけそっちに帰るのが遅くなりそうなんだ。だから、ルルネ、ルナのことをよろしくな。そして、ルナ。帰りが予定よりも遅くなってごめんな。けど、ちゃんと帰るから安心して待っててくれ
リアムより」
手紙にはそれだけが記されていた。
「帰りが遅くなるって……、それにへまって何をしたの?」
「何だ、ルルネ聞いてなかったのか?」
「あっ、パパ」
そう声をかけたのはルルネの父であるマルクスは不思議そうな顔で、ルルネのことを見ていた。
「それってどういうことなの?」
「何でも今【ゲンブン】では『瘴気障害』が発生していて大変なことになってるみたいだな。一部は立ち入り禁止区域になってるほどだ」
「『瘴気障害』? それじゃあ、あいつはその件で【ゲンブン】に行ったってこと?」
「分からない。けど、さらに厄介なことに『ミアズマ』も出ているらしい」
「ミアズマ⁉」
そんなの錬金術師じゃなくて、魔法薬師の領分じゃない! それにそれが出たってことは……
ルルネが隣を見ると、さっきまで笑顔だったルナの表情は暗いものに変わっている。それを見てルルネは決意する。
「パパ、ママ。あたし【ゲンブン】へ行くわ!」
ルルネのその言葉には、その場にいた全員が息を飲んだ。
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