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人であらざる人の道~はじまりの代行人形~  作者: 幹谷セイ
3章 エニルダ邸潜入
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9.欺き潜入

 翌朝。


 ガラガラと重そうに、大きなトランクを押しながら、スノー医師はレンガの道を行く。


 辿り着いた場所は、町の東の外れにある、大きな屋敷。


 家の大きさもさながら、高い塀に囲まれた中庭、その敷地の広さにも驚かされる。


 その屋敷が、人形師エニルダの住まいだ。


 庭への入り口には黒い鉄格子の大きな門扉があり、その前に、一人の男が立っている。


 その男の前まで、スノー医師はトランクを転がしていった。


「ようこそいらっしゃいました、スノー先生」


「おはよう、クラウンマーチ。お邪魔するよ」


 来客を待ち構えていた、憎らしい代行人形(エージェント・ドール)――クラウンマーチは、スノー医師を歓迎して門を開いた。


 スノー医師がこの家を訪問するときは、いつもクラウンマーチが門前に立っていて、その間は、物音に敏感な見張りの人形は機能していないのだという。


 見張り用の人形には、客と不審者の区別がつかないからだそうだ。大事な客を不快にさせる行為を、この人形は許さない。


 接客の仕方もされ方も、お互い慣れたもので、スノー医師は何事もなく、堂々と中へ入ろうと歩きだした。


 だが、突如としてクラウンマーチに呼び止められる。


「……先生、お待ちください。先日と、お荷物の大きさが違うようですが」


 ギクッとして、スノー医師は立ち止まる。


「ああ、えっとね。いつも使っている鞄が壊れちゃって。手元にこの旅行用のトランクしかなかったもんだから」


「重いでしょう。中までお持ちしましょうか」


「いや、底に車輪がついてるんだ。転がしていくから平気だよ。ここまでだって、一人で持ってきたんだしね」


 はははと笑い、何とか受け流そうとする。


 しかし、クラウンマーチはトランクが気になるらしく、なかなか引き下がらない。


「それにしても、大きいですね。……人間が一人くらい、簡単に入ってしまえそうなほど」


「ええっ! ……そっ、そうかな!? いやいや、そんなものは決して入ってないよー? いつもの鞄の中身を入れ替えてきただけだから。医療道具が少し、入ってるだけなんだからね!?  もうスカスカだよ、スカスカ!」


「先生。顔が汗だくですが、どうかなさいましたか」


「もう夏だからね! いやー! 今朝は特に暑いなー! 君はいいねー、汗掻かなくって!」


「先生。何か私に、隠し事でもなさっているのではありませんか?」


「何を言うんだい、君と僕との間に隠し事なんてあるわけないだろう。あは、あはははは……はは」


 止めの嘘くさい笑い。


 これによって、クラウンマーチの疑心は最高潮に達してしまった。


「……この荷物、中をあらためさせていただいて、よろしいですか」


「えっ! そ、そんなことしなくたって。怪しいものなんて、何も入ってないよ!? 本当だってば!」


 必死でトランクを庇うスノー医師。


 だから、否定の方法が、既に怪しいんだってば。


「ならば、見ても構わないでしょう。主の身の安全をお守りすることが、私の使命なのです。もし、この中に不埒な輩でも入っていたならば、主が危険に晒されるかもしれません。少しでも不安な要素は、取り除かなくては」


「……やむを得ないな。いいよ、それなら、気が済むまで見るといい」


 スノー医師は諦めた様子で、投げやりにトランクを差し出した。


 俺の緊張は最高潮に達し、激しく心臓が高鳴る。


「では、失礼いたします――」


 淡々とした動作で、クラウンマーチはトランクを開く。


 中は聴診器や注射器など、簡単な医療道具が入っているだけで、ほとんど空に近かった。


「どうだい、これで満足かな?」


「……確かに、いつものお荷物しか入っていませんね」


 さらりと返す、クラウンマーチ。


 相変わらず無表情だったが、当てが外れて、少し困惑しているようにも思えた。


「ほらね、言ったとおりだろう? 僕はあまり、自分の荷物を人前に晒すのは好きじゃないんだ。今度からは、そんなに疑わないでおくれよ」


「はい、申し訳ありませんでした。それでは、中へお入りください」


 トランクを閉め直し、スノー医師に返すと、クラウンマーチは恭しく彼を門の向こうへ招き入れた。


 ● 〇 ●


 引き続き、トランクをゴロゴロ転がしながら、スノー医師はエニルダ邸の玄関に向かって、美しい花の咲き乱れる庭園の中をゆく。


 医師の顔は、げっそり頬がこけて、汗だくだった。


 これからが診察はじめだというのに、まるで一日が終わったのかと思うほど、疲れきった顔。


 しかし、その顔からは汗だけでなく、難解な試練を乗り切った達成感も浮かび上がっていた。


 道中。立ち止まったスノー医師はハンカチを取り出し、顔を流れる汗を拭く。


 一息ついた後、ゆっくり歩きながら俺のほうに目配せし、一瞬、片目を閉じて見せた。


「幸運を祈る」と言う、スノー医師の親切な合図だ。


 俺は庭に敷き詰められた草花の茂みに身を潜めつつ、小さく頷いて合図を返した。



 ショーンの提案した作戦はこうだ。


 スノー医師にわざと、人の入っていそうなトランクを持って行かせる。


 クラウンマーチが怪しみ、トランクに釘付けになっている間に、俺はクラウンマーチの背後からこっそり、エニルダ邸の敷地へ入り込む。


 見張りの人形はわずかな気配にも反応してしまうそうだが、クラウンマーチはそこまで感度の高い人形じゃないらしい。


 だからこっそり忍び込んでも、気付かれない可能性が高かった。


 奴の裏をかき、隙を狙って中に入るには、奴だけが門前に立っている、その時が最大のチャンスだったのだ。


 トランクは奴の注意を引かせるための、ただのダミーだ。


 もちろんそれだけではなく、俺が屋敷から脱出する際、中に入ってスノー医師にお持ち帰りいただくためにも必要になる。


 一度、中身を確認したトランクならば、帰りは何が入っていようと怪しまれることはない、というのが、ショーンの読みだった。


 作戦通り、あのバカ人形は、俺たちの策略にはまり、わずかな医療道具しか入っていないスカスカのトランクに注意を奪われ、あっさりと俺の進入を許した。


 気持ちいいほど、見事に奴を出し抜いてやったぜ。


 ざまあみろ。バーカバーカ。


 スノー医師が庭を通過し、家の中へ入っていく姿を見届けたクラウンマーチは門を閉める。見張りの人形を門前に設置すると、スノー医師の後を追って家の中へと入っていった。


 俺の存在には、相変わらず気付いていない。


 奴の姿が視界から消えた後、俺は気配をなるべく消し、身を屈めて茂った草に隠れながら、建物のほうへ壁伝いに進んだ。


 エニルダ邸の裏手に回る。


 向かって一番右端にある部屋が、スノー医師がいつも荷物を置かせてもらっている場所なのだそうだ。


 医師がその部屋の窓を開けておいてくれたので、難なく入り込めた。


 人様の家に窓からお邪魔するような人間に成り下がってしまうとは。


 今更ながら、個人的にかなり良心の呵責を感じてしまう。


 だが、俺は自分の罪悪感を一気に振り払った。


 俺は悪事を働くわけではない。


 ほんのちょっと、レインが無事でいるか、確認するだけ。


 本当に、それだけなのだから。


 普通の手順では家の中に入れてもらえないんだから、仕方がない。悪いのは、あの人形野郎だ。


 と、自分自身に言い聞かせながら、室内に降り立ち、辺りを見渡す。


 そこは小さな物置部屋だった。


 白い壁、真四角の空間。作りかけの人形の部品が、山積みにされている。


 スノー医師のトランクは、その一角に置いてあった。


 足音もさせずに、静かに歩みを進めながら、俺はそっと部屋を出る。


 物置部屋の外は、長い廊下だった。


 赤い絨毯が一直線に敷かれた、薄暗いが高貴さの漂う廊下。


 両方の壁際に、一定の間隔を開けてずらりと並んで立っている人影に、一瞬驚く。


 それは非常に精巧に作られた、蝋人形だった。


 かつてあったという、大陸全土を巻き込んだ戦争。その時代の、兵士を模したものらしい。


 古めかしい装飾の衣服を身にまとい、鎖帷子(くさりかたびら)や防具を身につけている。


 腕や足には白銀の籠手に脛当て。頭には兜。手には槍や剣を握って、番人に相応しい風貌で、生真面目に直立している。


 古風でお洒落な趣味なのだろうけれど、そいつらが等間隔に並んだ姿は、俺の目にはかなり不気味な光景に映った。


 スノー医師からの情報によると、この部屋を出て左に向かった先が、この家の主人エニルダの寝室だそうだ。


 それ以外、他に部屋はないのだと言う。


 なので、レインの部屋があるとしたら、ここより右の通路の先だろう。


 俺はその方角へと歩きだした。


 しかし、ほんの数歩、進んだだけのその場所で、思わず飛び上がりそうな恐怖体験をすることになる。


 突然、背後から、何かが俺の足にぶつかり、しがみついてきたのだ。


「――!!」


 辛うじて悲鳴をあげることだけは根性で押し止めたが、心臓はものすごい勢いで高鳴っている。


 恐る恐る、俺は体をよじって背後の足元を見た。


 そして、足に張り付いているものを見て、脱力した。


「おにいちゃん!」


「り、リノオール……!」


 そこにいたのは、赤い髪の小さな女の子。


 レインの作った代行人形、リノオールだった。


「びっくりさせるなよ。心臓が止まるかと思ったぞ」


 俺から離れたリノオールは、じっと、向き合った俺の顔を見上げていた。


 突然、室内に現れた俺を訝しんでいるのかと思いきや、そうでもなさそうだ。


 しばらくすると、泣きそうな顔をして、聞いてくる。


「おにいちゃん、あたま大丈夫?」


 俺の額に巻かれた包帯が、痛々しかったようだ。


 頭に手を当て、笑って見せる。


「ああ、見た目ほど酷くないんだ。大丈夫だよ」


 それでも、リノオールはまだ、心配そうだ。


「あのね。あたまを強く打つとね、バカになるってレインが言ってたよ。おにいちゃんのあたま、平気?」


「そんなの平気平気。これ以上バカになりようがないから」


 自分で言って、少し惨めになった。頭が悪いのは事実だが。


 つーか心配するところが違う気が。まあいいけどさ。


「おにいちゃん、レインに会いに来たの?」


「うん。あんな別れ方したから、心配でさ」


 レインは無事なのだろうか。あれからちゃんと目を覚ましたのか。


 殴られた箇所に後遺症はないか、とか、リノオールから色々と聞き出したかったのだが。そんな暇はなかった。


「じゃあ、行こ!」


 急に俺の手を掴み、リノオールは走り出す。


「えっ、ちょっと、どこへ!?」


「レインのお部屋!」


 彼女は俺をレインのいる部屋に連れていってくれるらしい。


 現在のありのままのレインを、俺自身の目で見て、確かめろということなのか。


 俺は手を引かれるがまま、リノオールの向かう先へついて行った。

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