5.武器を失くして
なぜだ。なぜ、こんなことになったんだ。
「オラオラ、さっきまでの威勢の良さは、どこに行ったんだ、小僧!」
めちゃくちゃ楽しそうに追いかけてくる、外道な人形師狩りから逃れるために、俺は今、レンガが織りなすロノステラの町中を、がむしゃらに駆け抜けていた。
「さっきの決め台詞は、俺様の聞き間違いだったかねえ!? 誰が一、二を争う剣術の使い手だって? 一、二を争う逃げ足の早さ、の間違いじゃねーのか?」
あの野郎、調子に乗って、人を小馬鹿にしやがって。
相手は熟練された剣の使い手というわけでは、決してなかった。
俺の腕ならば、充分に勝てる相手だったはずなのだ。
それなのに、今の俺は武器を失い、抵抗する術もなく、ひたすら奴から逃げ続けている。
なぜ、こんなことになったのか。
……思い出すだけでも情けない。
● 〇 ●
戦いの始まった時。
踊りかかってきた人形師狩りが振り降ろした短刀は、俺の持っていた杖を、スパッと真っ二つにした。
俺は何度も瞬きを繰り返す。困惑、動揺。
いったい、どうなっているんだ?
これが俺の普段から愛用している仕込み杖――中に細い刃の仕込まれた長剣――だったならば、こんなに簡単に折れるはずがないのに。
慌てて杖の切り口を凝視する。
中はただの木であり、刃物が嵌っている痕跡なんて、これっぽっちもなかった。
「おいショーン、どうなってんだ!? 俺の杖じゃねーぞ、これ!」
俺は確かに、ショーンの座っていた場所の側に杖を置いて、買い物に出た。
そして間違いなく、その置いておいた杖を掴んで、人形師狩りに奇襲を仕掛けたはずなのに。
なぜ、その杖が偽物にすり替わっているんだ。
「んんっ!? あれー? それは俺が人形に持たせるために作った、ただの杖!? 何でこんなところに……はあっ! ま、まさか……」
そう言った後、顔中から汗を拭き出させ、ショーンはしばらく考える――フリをしていたに違いない。
俺に対して何と言い訳をすれば良いものかと、それを必死に脳内から捻出している顔だった。
だって、原因なんて、それほど考え込まなくても、はっきり分かっているのだから。
「……人形を飾り付けるときに、間違えたんだだなぁ。お前の武器は、この人形たちの誰かが持っているんだ」
俺はバッと、並べられた人形を見上げる。
黒いスーツを着こなした、紳士な姿の人形が何体も何体も飾られているが、その全てが、似たような杖を握っていた。
人形たちは非常に爽やかに、「さあ、どれが君の杖か当ててごらん? あっはっは」とか言わんばかりの笑顔を浮かべている。
「探せるか、こんなに沢山あるのに! どうしてくれんだよ、この状況!」
「すまん! これは俺の致命的なミスだあっ!」
ろくな言い訳も思いつかなかったらしく、素直に許しを乞うてきたが、吃驚するほど許す気になれなかった。
だが、ここで言い合っていても、事態が好転しそうにはない。
もう既に、取り返しのつかないところまで、事態は悪化しているのだから。
俺は体中から汗を流しながら、前を見る。不気味な笑顔を浮かべた人形師狩りが、短刀の腹で自分の掌を叩きながら、こっちを見ていた。
「どうした、何かトラブルか?」
俺たちの動揺に気付いて、気を遣って待ってくれていた。
こいつ、ひょっとしていい奴?
「あの、ちょっとタイムいいかな? 用事を思い出して。すぐに済むから」
「嫌だね。何だか知らんが、戦う気がねーなら、さっさと死ね」
俺は、相手が待ってくれている隙に自分の杖を探そうと思ったのだが、人形師狩りはそう吐き捨てて、切りかかってきた。
俺は紙一重で攻撃を躱す。
やっぱり、前言撤回。
こいつ、全っ然、いい奴じゃなかった!
「ちょっと、待てって! 相手は丸腰の人間なんだぞ、そんな無防備な相手に襲いかかるなんて、卑怯だろうが!」
俺が抗議すると、人形師狩りは堂々と言い放った。
「お前は俺様を、誰だと思っているんだ? 間抜けな丸腰の人形師どもを、卑怯な手を使いまくって殺してきた殺人鬼だぜ?」
「そうでした!」
誇りもプライドも持っていないような奴に、良心を期待する台詞で訴えかけても、無駄だった。
人形師狩りは、再び俺に剣を向けてくる。
「武器を持たねえ奴をいびるのは大好きだし、俺様の十八番だ。小僧、お前はひと思いにゃ殺らねえぜ? じっくり、いたぶってやる」
「くっ、悪趣味な奴だな。恥知らず、人でなしめ!」
「そうとも。俺様は人間の道徳倫理には囚われない。だって人形なんだから!」
俺は舌を打つ。
こいつはもう、誰のペースに乗るつもりもないようだ。
かといって、丸腰では戦っても勝てる見込みがない。
「ショーン、この場は任せたぞ!」
俺はショーンにそう指示を送り、駆け出した。
「ノイエ! どうする気だ!?」
「逃げながら考える!」
言い捨てると返事も待たずに、俺は路地の向こうに走った。
ここには、ショーンや役に立たない医者や警官、加えて無関係な女の子までいる。
下手に暴れては、周囲に被害が及ぶかもしれない。今はこの場の安全確保が優先だ。
幸か不幸か、今のこいつの狙いは、完全に俺一人みたいだし。俺がこの場を離れれば、奴は俺について来るだろう。
そうすれば、少なくとも俺がやられても、一時的にこの場所を守ることができる。時間を稼いでいる間に、ショーンは非難するなり、新しい打開策を考えるなり、できるだろう。
元凶はショーンとは言え、俺が人形師狩りを仕止められなかったのは自業自得なのだから。その失態のせいで周りに迷惑はかけられない。
落とし前は、自分自身でつけないと。
俺はひとまず、逃げる動作に集中することにした。
「鬼ごっこか! 久しぶりに血が滾るぜえ!」
滾る血なんて、流れていないだろうに。
なんてツッコむ暇もなく、人形師狩りは、俺を追って走ってくる。
俺は全速力で、町の中心部へと駆けていった。
● 〇 ●
そんな経緯で、今もこうして町中を逃げ回っているわけだ。
過去の失敗を悔いている暇はない。
とにかく今は、あの人形師狩りを何とかする方法を探さなくては。
と思うものの、正直、何も浮かんでこない。
ただ、追いつかれないように奴を撒きながら、複雑な路地を駆け回るだけで精一杯だ。
しかし、相手は人形。おそらく、疲労なんてものとは全く縁のない存在と思われる。
このまま走り続けても、先にバテるのは俺だろう。
実際、もう既に息が上がってきている。
俺は虚弱体質を改善するために体力はつけてきたが、持久力のほうは、いまいち自信がない。
「オラ小僧! どこに行きやがった! 逃げても無駄だぜ、すぐ捕まえてやるからなぁ!」
どこかから聞こえてくる、人形師狩りの声。
そう遠くはない。
このままでは追いつかれる。
もつれそうな足を何とか前に押し進め、狭い暗い路地を行く。
すると、突然。眼前に立ちはだかる人間の姿が見えた。
俺は驚いて立ち止まる。
相手も驚いた顔で立ち止まった。
灰色がかった少し長めの黒い髪を、後ろで一つに束ねている。黒いズボン。同色のベストの下は、腕まくりした白いシャツ。
濃い灰色の瞳をこちらに向けている、長身の男。
つーか、俺じゃねえか。
「何だ、鏡かよ。脅かしやがって」
大きく息を吐いた。
目の前には、俺の身長よりも大きな鏡が、少し斜めを向いた角度で立てかけられていた。
鏡の真正面、ぶつかる寸前の場所に来るまで、その存在に気付かないとは。
さらに、鏡に映った自分自身の姿に驚くほど、余裕がなくなっているとは。
非常に情けない有様だ。
俺は少し、後退った。
鏡の角度の加減だろう。俺の姿は鏡の中から消えた。
この路地は、直角に曲がっている。
両方向から人が歩いてきたときに、ぶつかってしまう事故がよく発生するため、防止策として大きな鏡が、角のところへ斜めに張り付けてあるのだった。
この鏡があれば、自分の進行方向から誰かが近付いてくると、相手の姿がはっきり見えるし、向こうからも近付く俺の姿が見える。
もしも、向こう側から人形師狩りがやって来れば、こちらはすぐに気付いて逃げられる。
でも、向こうからも俺の姿は丸見えだ。逆に背後から来られでもしたら、全く分からないだろう。
鏡なんてあっても、今のこの状況、はっきり言って、何の役にも立たない。
兎にも角にも、奴に見つかる前に逃げないと。
重い体を何とか動かそうとした時。
突如、俺の背後から、頭を挟み込むように、二本の白い手が、にゅうっと伸びてきた。
そして、一本の手が、がしっと俺の肩を掴み、もう一本の手が、口を塞いだ。
「なっ!?」
俺はものすごい勢いで、後ろに引っ張られる。
体力が尽きかけていたせいで、まったく抵抗できなかった。
「見つけたぞぉ、小僧ー」
それとほぼ同時に、すぐ側で聞こえる、人形師狩りの嬉しそうな、不気味な声。
見つかった。いや、捕まった!?
「手間取らせやがってぇ。覚悟しやがれぇ!!」
逃げきれなかった。
何も抵抗できずに。俺は人形師狩りに殺されるのか。
成すがままに後ろへ引きずられながら、俺は恐怖のあまり、堅く目を閉じた。