4.人形師狩り
静寂が訪れた、町の裏通り。
侘しい風に吹かれて、一人で玄関先に腰を据える人形師――ショーン・アルペイト。
彼の他には、人の気配などまったく感じられない。
なのに、その場所には、ショーン以外に動くものの存在があった。
カタリと、そいつの動く音は風の音に掻き消されてしまうほど、微かなものだった。
だからショーンも、気づいた素振りはなく、ボーッと通りを眺めている。
その姿を視界に捉え、動き出した?そいつ?は、黒いフード付きのマントで全身を隠し、魔法使いみたいな出で立ちで、さも当然と言わんばかりに、人形たちの中に紛れこんで、じっとしていた。
怪しい人物は、人形を飾っていた台から、そろりと身を降ろす。
その顔には、無表情な人形の顔をした仮面。マントから突き出した、手袋を嵌めた手には、太く鋭い短剣が握られていた。
謎の人物は気配もなく、静かにショーンの背後に歩み寄る。
ショーンは相変わらず、通りを見ている。
謎の人物はそんな鈍そうな人形師の背中に、短剣の狙いを定めた。
切っ先を突き降ろそうとした、直前。
「残念だが、俺は殺せないぜ。殺人鬼」
突如。ショーンが横目に背後を見上げて、ニヤリと笑った。
驚いて怯む、マントの人物。
その一瞬の隙が、命取りとなった。
俺は背後から横凪ぎに、握りしめた杖を、その人物の横腹に叩きつけた。
横へと吹き飛ぶ殺人鬼。
地面に倒れたその身体にもう一撃食らわせようと、俺は杖を振りかざす。それを姿やかな動きで躱し、怪人は宙を舞う。
マントを翻しながら、ふわりと軽やかに、音もなく地面に着地する。
それと同時に聞こえてきた、複数の足音。
異質な珍入者を取り囲むようにその場へ集ったのは、さっき怒って帰って行ったはずのナオミ警官とスノー医師、そしてリノオールだった。
「こ、こいつが人形師狩り!?」
その姿を凝視するや否や、ナオミ警官は表情を恐怖に歪める。
「人形に化けて、紛れ込んでいたのか」
スノー医師も冷静を装っているが、こめかみからは汗が流れている。
「まあ、そういうわけだ。考えてもみろ。今までの被害者がなぜ、ことごとく無防備に、何の抵抗もせず、あっさりと殺されていたかを」
ショーンは楽しそうに笑い、人形師狩りを凝視する。
「殺される直前まで、全く気付かなかったからだよ。殺人鬼が自分のすぐ近くに、それも自分が作った人形たちの中に紛れ込んでいた、なんてな!」
人形師の家には、たいてい自分で作った人形を飾って保管しておく部屋が存在する。
その場所は、人形をこよなく愛する人形師にとっては、この世で最も安心できる空間なのだと、ショーンに聞いた記憶がある。
「人形師にとって一番心を許せる存在は、両親や恋人よりも、自分の作った悪意なき人形たちなんだよ。人形師狩りに命を狙われる身に陥ったとき、人形師たちは人形に囲まれることで、唯一の安らぎを得ていたに違いない。その心理を逆手にとって、お前はその安息の場所を地獄に変えたんだ。残酷な真似をしやがって」
相変わらず薄ら笑いを浮かべるショーンだったが、目は笑っていなかった。
人形師狩りに向けられる怒りや憤りが、灰色の瞳の中で刃物の如く、輝いて見えた。
「お前のやり口に気付いたから。俺は自分の作った人形たちを外に並べて、偽物をすぐ見つけられるようにして待ってたんだよ。この殺し方に絶対の自信を持っているはずのお前が、必ず人形に紛れて俺の命を狙ってくると確信してな!」
つまり。ショーンは犯行のからくりをいち早く見抜いて、逆に人形師狩りを罠にかけた、というわけだ。
「見知らぬ人形が一体増えていたのも確認済みだったし、俺はお前に気付かないふりをして、お前が動き出す時を待っていたってわけだ」
「だが」とショーンは続ける。
「お前も俺の周りに誰かがいたら、警戒して出てこないだろう? だからひと芝居打って、周囲を無人にしてやったんだよ。動きやすくなっただろう? うまく引っ掛かってくれて、助かったぜ」
さっき見せびらかしていたショーンの日記には、この一連の作戦内容と、それに協力を求める文面が記されていたのだった。
ナオミ警官とスノー医師は、その内容を見て、ショーンの台本通りに行動したにすぎない。
仲違いして帰ったフリをし、すこし遠くの路地に隠れて一部始終を見ていたわけだ。
もちろん、俺とリノオールも。
そのことに人形師狩りは気付かず、ショーンが一人きりになったと思って正体を現した、という寸法だ。
「へえぇ、こいつは驚いた」
表情のない、人形の顔をした真っ白な仮面。
その奥から発せられる、くぐもった不気味な声。
人形師狩りは肩を上下に揺らし、嘲るように笑っていた。
「人形師なんて、いい歳してお人形遊びに夢中になっている馬鹿共ばかりかと思っていたが、お前みたいに頭の切れる馬鹿も、いるんだなぁ」
誉めているのか貶しているのか分からない賛辞を述べる人形師狩り。きっと後者だろうが。
「正体がばれちまったのは、計算外だな。まだまだ殺さなきゃいけねえ人形師はたくさんいるってのに。これから殺り辛くなっちまうぜ!」
仮面からその表情は読みとれないが、口調からして相当、ご立腹のご様子だ。
そんな犯罪者の感情を知ってか知らずか。たぶん知らなかったんだろうが。
勇気を振り絞って一歩、奴に近寄った者がいる。
ナオミ警官だった。
「やい、人形師狩り! お前の目的は何なんすか! こんなに次々と、人形師ばかりを狙って殺して、いったい、どうするつもりっすか!」
「ああ? 目的なんて、説明するまでもねえ。ただ人形師どもが邪魔だから殺す。それだけだ」
殺気を込めて、人形師狩りはナオミ警官に向き直る。
ナオミ警官は一瞬怯んだが、恐怖に負けじと踏みとどまり、歯を食いしばっていた。
「人形師は人形を作る。作って作って作り続けて、やがては人形の魂をも作りあげる。そして魂を育てて、いずれ代行人形を完成させてしまう。だから、その前に殺すのさ」
「代行人形……?」
その名を初めて聞いた様子のナオミ警官は、頭に疑問符を浮かべている。
「何すか、それは?」
「人形の町に住んでいるくせに、そんなことも知らねえのか。なら教えてやるよ。代行人形ってのが、どういうものか」
人形師狩りは、自分の顔を覆う仮面に手を掛ける。
そして、勢いよく剥ぎ取った。
「ひいっ! な、ななな……」
上擦った悲鳴を上げるナオミ警官。
彼女でなくても、そいつの顔は、驚愕し、恐怖するしかない代物だった。
仮面の下に隠れていた顔は、茹でた卵みたいにツルツルの表面に、簡単な目と口を描いただけという、単純で質素な表情をしていた。
大きく見開かれた目。裂けそうなほど開いた、笑った口。
あからさまに手書きだと分かる描き方が、余計に不気味さを醸し出している。
人形の仮面の下の素顔もまた、人形のそれだった。
この顔を見て、こいつを人間だと認識できる奴は、きっといないだろう。
「よーく目に焼き付けときな! 俺様こそが、噂に名高い進化した人形、代行人形だ!」
「へえぇ。人形師狩りの正体は、命を持った人形だったってわけか」
その姿に、俺たちが驚愕している中。ショーンだけは楽しげに口笛を吹く。
「こりゃすげえ。どうりで、警察がどんなに頑張って探し回っても、手懸り一つ見つけられないわけだ」
確かに。根っから犯人を変質的な?人間?と決め込んでいた警察の捜査方法では、こいつの正体に辿り着くなんて、不可能に近かっただろう。
そもそも人形が自分の意志で勝手に動くということ自体、一般人には想定外の出来事だ。
実際、ナオミ警官は突きつけられた真実が、理解の範疇を越えてしまったらしく、言葉を失って固まっている。
「だが。お前が人によって作られた代物だとすると、疑問点が出てくるなぁ」
ショーンは人形師狩りを目利きするように観察し、ちょっと首を傾けて見せた。
「お前は、自分の意志で人形師狩りになったのか? それとも、お前の作り主が、そうさせているのか?」
人形師狩りの体が、ピクリと動いた。
表情が全く変化しないから分かり辛いが、その不気味な笑顔では表せない、不機嫌な感情を抱いている気がした。
「……そんなこと、知ったって意味ないだろう」
人形師狩りは暑苦しい黒マントの中から、すっと手を出した。
白い手袋を嵌めたその手に握られている獲物は、鋭利な短刀。
こいつの得意とする武器なのだろう。
今までに、多くの人形師の血を吸ってきた刃。
そう考えると、背筋がゾクリとした。
「お前は今から、俺様に殺されるんだからな!」
短刀を構え、切っ先をショーンに向ける。
周りに他の人間がいても、もうお構いなしだ。
何といっても、この場に集まっている連中は、みんな足が竦んでしまって、ろくに動くことさえ、ままならないのだから。
自分の脅威となる存在は、この場にいないと踏んだのだろう。そんな余裕の人形師狩りに対して、ショーンは顔色一つ変えない。
「余裕な態度じゃねえか、兄ちゃん。随分とお体が弱いみたいだが、そんなヨロヨロで、俺様から逃げきれるとでも思ってんのかい?」
挑発して、バカにした態度を見せる人形師狩りだったが、ショーンは怒るでもなく、奴を嘲笑ってみせる。
「おいおい、俺を見くびるんじゃねえよ。逃げる必要がどこにある? 俺がなぜ、今日という日を選んでお前を罠に嵌めたと思っているんだ?」
自信に満ち溢れたショーンの発言に、人形師狩りは少し怯んだ。
「どういう意味だ。今日なら、俺様を倒せる秘策がある。とでもいうのか?」
「その通りだ。普段の俺ならば、到底お前なんかには敵わなかっただろう。だが今日からは、ひと味違う!」
ショーンはバッと駆け出し、素早く俺の背後に逃げ隠れた。
「学校が長期休暇に入ったからな。俺の代わりに戦ってくれる弟が、ずっと家にいるんだもんね! さあ行け、ノイエ! 俺の剣となり、人形師狩りを倒せ!」
人形師狩りは、しばし呆然と立ち尽くしていたが、無性に腹が立ったらしく、怒鳴り散らした。
「他力本願かよ! 情けない奴だな、お前!」
呆れも度を超すと、怒りに変わるらしい。
「へへん、何とでも言え! 自力だろうが他力だろうが、お前を倒せりゃ何でもいいんだよ!」
俺の後ろという安全地帯に逃げ込んだ安心感からか、ショーンは言いたい放題の情けない本音暴露大会を始めた。
「ノイエを倒さなきゃ、俺を殺すなんて、夢のまた夢だぜ。だが、こいつは強えーぞ、通ってる学校でも一、二を争う剣術使いだ。ナメてかかったら、痛い目みるぞ」
「……おもしれえじゃねえか。その自慢の弟もろとも、血祭りに上げてやらあ!」
人形師狩りの持つ短刀が、俺に向けられた。
ショーンの挑発は、うまく人形師狩りの狙いの的を切り替えさせた。
俺はすっと、杖を両手で構えた。
「ほう、やる気満々かい。兄貴思いの、いい弟だなあ。そいつを守るために、自ら殺人鬼の餌食になるってのか。人間のくせに、まるで見えない糸で、そいつに操られる人形みたいな奴だな」
嫌味のふんだんにこもった、人形師狩りの挑発。
それに乗ることもなく、俺は軽く受け流した。
「別に、こいつの言いなりになって、お前を倒そうとしてるわけじゃないさ。お互いに利害の一致があったから、ショーンの考えた作戦に協力した。それだけだ」
「利害だと?」
「ショーンは自由に創作活動をするために、お前を始末しなきゃならない」
「まあ、それは理屈の通った動機だな。だが、人形師でも何でもないお前が、なぜ俺様を倒したがる?」
「俺はずっと、?ある人?がこの町に戻ってくる時を待っている。その人はきっと、人形師になっているはずだ。だが、お前みたいな物騒な奴にこの町を彷徨かれちゃ、いつまでたっても怖くて戻ってこれないだろう?」
今でも脳裏をよぎる、あの女の子の姿、言葉。
――いつかまた、会いましょう。
その〝いつか〟を確実に作り出すため。
もう一度、あの優しい笑顔に再会するために。
「あの娘が安心して歩ける町を取り戻す。そのためにも、お前は邪魔なんだよ」
「ふぅん。それがお前の戦う理由か。いいぜ。その夢、俺様がぶっ潰してやる。お前の心臓と一緒にな!」
音もなく地面から飛び上がり、踊りかかってくる人形師狩り。
俺は自分の腕と自分の武器を信じ、攻撃を待ち受ける!
――勝負は、一瞬でついた。