2.広場に佇む女の子
レンガ造りの小さな町、ロノステラ。
通称「人形の町」と呼ばれるその町には、色々な音が満ち溢れていた。
広場を歩いていると、必ず耳に入ってくる。
木を削る音。
皮をなめす音。
象牙を磨く音。
ミシンの針が動く音。
それは町中に点在する、人形を作る工房の中から聞こえてくる。
人形師たちがあらゆる道具、材料、技法を用いて、人形を作っている音だ。
その音を聞く度に、今日も休むことなく人形が生み出されているのだなと、実感できる。
心地よい音に身を委ねながら辺りを見渡せば、たくさんの人形たちに囲まれていることに気付かされる。
作られた人形たちは、町の大通りに構えられている多くの店舗に、商品として並べられる。
そのほとんどが、露店だ。
誰にでも見える場所に綺麗に陳列された人形たちの、鮮やかに彩られた優美な姿は、道をゆく人々の目にとまり、長く安らぎと感動を与え続けている。
この町で作られる人形たちには、人を惹きつける不思議な力があるのかもしれない。
一つ一つ、丹精込めて作られた珠玉の人形たちが出迎えてくれる町の中は、いつも大勢の人々で溢れていた。
町に住む人。人形を求めてやってくる。近隣、遠方の人々。
いろんな人たちが集まって、祭りのように賑やかな毎日。
「人形たちに囲まれていると、まるで夢の中にいるようだ」と、誰かが言っていた。
本当に、その通りだったのかもしれない。
そう思えるほどに、現在のこの町は、楽しい夢から醒めたあとの、退屈な現実みたいだった。
● 〇 ●
初夏の空気を漂わせる、ロノステラの町。
それは、とある昼下がりの出来事。
「あう……。お人形さん、いないよ?」
大輪の花を上から見下ろしたような模様で彩られる、レンガ作りの丸い広場。
そのど真ん中で、途方に暮れた様子で立ち尽くしていたのは、蜜を求めて迷い込んできた蝶。
ではなく、小さな女の子だった。
赤みを帯びた長い髪は、縦巻きに整えられている。
そよ風に軽やかになびく、フリルのたくさんついた深紅のワンピースを着た、可愛らしい女の子だ。
女の子は広場を囲んで設置された露店の前を、オロオロしながら歩き回っていた。
時折、「すみません」とか。「お人形さん、いませんか」とか。
泣きそうな声で、必死に呼びかけている。
だが、返事をするものは、誰もいない。
それも当然。この広場には人っ子一人、人形一体、いやしないのだから。
露店には灰色の幕が掛けられ、完全に閉店の様相を呈している。
女の子はしょんぼりと頭を項垂れ、広場のど真ん中でたった一人、立ち尽くしていた。
昼飯の調達から戻ってきて、たまたまその側を通りかかった俺は、その少女の姿を、じっと見ていた。
愛らしい顔に悲痛な表情を浮かべる子供を見かけて、そのままシカトを決め込めるほど、俺は良心の荒んだ人間ではなかった。
「人形を買いに来たのかい?」
声をかけると、女の子はこちらへ向き直り、俺を見上げて、コクリと頷いた。
「残念だけど、今はどこの店も閉まってるよ」
俺は辺りを見回し、息を吐いた。
数日前から、町の中にある人形を売る店という店が、一斉に看板を下ろしていた。
いつまでこの状態が続くかは、分からない。無期限の閉店だ。
その情報は町の外にも手早く広がり、今現在、人形を求めて町を訪れる人は皆無となっていた。
そのため、本来ならば埋め尽くすほどの客が集まっていたであろうこの広場も、今は閑古鳥の独壇場と化してしまっている。
この女の子はきっと、その話を知らなかったのだろう。
町では見かけない子だ。きっと、人形であふれる美しい町の広場を一目見ようと、遠くの土地からはるばるやってきたに違いない。
タイミングが悪かった、残念だったと言うだけなら容易いが。
可哀想な現実だった。
「どうして、ないの? お人形さんのお店、たくさん」
やりきれない様子で、俺に問いかけてくる女の子。
俺は少し、その理由を教えるべきか躊躇った。
〝あんなこと〟を、いたいけな小さな女の子に、正直に語ってもいいものだろうか。
暗く重い。大人の事情。
それを口で説明して、ちゃんとこの子に納得してもらえるのだろうか。
そう考え、悩んでいる最中。
都合よく、〝それ〟が通りかかった。
俺たちの立ち尽くす広場を横切り、白い布で包まれた担架が、事務的に運ばれていく。
運んでいる連中は、蒼い制服を身にまとった、二人の警察官だった。
……また、犠牲者が出たのか。
俺は重苦しい感情に押し潰されそうになった。
しかし、この情景は。俺が詳しく語らずとも、雰囲気で理解を得てもらうには、格好のものだと判断した。
俺はその担架を目で追いながら、女の子に説明した。
「ここ最近、人形を作っている人たちが、次々とああなってしまってるんだ。だから、人形を作れなくなって、店も開けられなくなってしまったんだよ」
女の子は、去っていく担架を不思議そうに見つめている。
「お人形を作るひと、おねんねしてるの?」
うーん。やっぱり、あれを見ただけで事態を察することは、子供には無理だったか。
「そう、眠ってるんだ。ずっと起きない眠りだ。あの人は、死んでしまったんだよ。だからもう二度と、人形を作れないんだ」
俺はそう補足してみたが、女の子には、よく分からなかったみたいだ。
きっと、死というものがなんなのか、イメージできないのかもしれない。
だから、その言葉を耳にしたところで、恐怖も哀しみも感じないのだろう。
小さい頃から常に、大切な人を死へ追いやるものの脅威に晒されてきた俺とは、育ち自体が違うのだ。
もちろん、それが普通だろうし、普通であってもらいたいものだが。
「人形、見たいんだよな?」
心に重くのしかかる、嫌な気持ちを振り払い、俺は女の子に尋ねた。
そりゃ、あんなに熱心に探していたのだから、その答は聞くまでもないだろうが。
「うん、見たい!」
即答する女の子に、俺は笑いかけた。
「じゃあ、うちに来ないか? すぐそこだし、俺の兄貴が人形師をやっているから、家にはたくさん人形があるんだ」
女の子は宝石みたいな赤い目を輝かせて、大きく頷いた。
決まりだ。俺は女の子と一緒に、自宅に戻ることにした。
俺の隣でスキップしながら、楽しそうについてくる女の子。
そう言えば、まだお互いに名前も知らないなと思い立ち、歩きながら自己紹介をした。
「俺はノイエ・アルペイトっていうんだ。君は?」
「あのね、あたしはね。リノオールっていうの!」
リノオール。
はて。どこかで聞いたような。
懐かしい響きの名前。
しかし、過去のうっすらとした記憶と、隣を歩く女の子の容姿をうまく重ねることができず、俺はそれ以上、深く考えるのをやめてしまった。
だが。その名前が生じさせる既視感が気のせいではなく、聞き覚えのあるものであった事実を、少し後に驚くべき形で認識することになるだなんて。
この時は思いもよらなかった。




