17.狂乱者たちの素顔
「実はね、僕は警察組織に属している医者なんだよ。この町で起こっている人形師連続殺害事件の真相を掴むために、素性を隠して密かに調査をしていたんだ」
数時間前。警察署で捕まっていた時。
警戒する俺に向かって、スノー医師は淡々と語った。
「そして人形師エニルダが怪しいと睨み、彼の懐に入り込んでいたんだ。ちょっと頭のおかしな、医者のフリをして。驚かせてごめんね?」
「……そんな話を急に聞かされたって、納得できるわけないだろう! そこでぶっ倒れてるショーンは、どう説明するつもりだ! お前が、何かやったんじゃないのか!?」
そんなにコロコロと態度を変えられては、こいつの何を信じていいのか分からない。
俺は自分の目で見たものだけを信じる。
そう決心し、スノー医師に噛みついた。
だが直後、自分の目すら信じられなくなる出来事が起こった。
「あー、やっと薬が効いてきたー!」
勢いよくショーンが起きあがって、気持ちよさそうに伸びをした。
俺は意味が分からず、口を開け放つしかできなかった。
「ショーン! お前、無事なのか?」
「おお、ノイエ。いやー、まいったぜ。体の調子が良くなってきたから、ちょーっと散歩に行こうかと思って家を出た途端に気分が悪くなってな。倒れていたところを、運良くスノーに助けられて、さっき疲労回復の薬を注射してもらったところだったんだ。お陰ですっかり快調さ!」
ショーンのすこぶる元気な声に反応して、俺は無意識に、奴の頭を殴っていた。
「いてーな。いきなり、何すんでい!」
「うるせー! 紛らわしい格好で治療受けてんじゃねーよ!」
騙されて腹が立つし、困惑は残っているが。
「まあ、そう言うことなんだけれど。信じてくれるかな、僕の話」
結果からして、俺は頷くしかなかった。
このイカれた医者の言葉が真実だと、受け入れざるを得なかった。
「……分かったよ、あんたを信じる」
俺がそう言うと同時に、スノー医師は手振りで指示を出す。
ナオミ警官が、俺から銃を放した。
一息つく。
とりあえず、こいつらが俺の敵ではないのだとは、理解した。
だが、呑気に安心している場合でもない。
「あんたが警察の人間だっていうなら、早くエニルダを捕まえてくれ。急がないと、レインの身が危ない」
事態はさっきまでと、何も変わっちゃいない。
スノー医師も俺に同意して、頷く。
「分かっている。でも、あの実験の話は、僕にとっても急だったものだから、とても焦っているんだよ。なんせ、彼を捕らえるために必要な、一番肝心なものが、まだ用意できていないのでね」
腕を組む。スノー医師の表情は深刻そうだった。
「彼――エニルダ氏と人形師狩りとの間に、人形師を殺すための指示や命令といった、やりとりが行われたという証拠が見つけられないんだよ。それどころか、今までに一度も、彼らが接触した形跡がない。そのため、彼を逮捕に踏み切れないんだ」
その話は、レインも問題視していた。
エニルダを法の裁きから守っている、唯一かつ強固な壁。
だが、俺は握っている。その壁をぶち壊す、確実な方法を。
「その証拠、俺が用意するよ」
俺の言葉に、スノー医師は眉を顰める。
「何か、確固たる証拠でもあるのかい?」
俺は強く頷いた。
「なら、君に託したい。今夜、エニルダ氏が魂を移す実験を始めるまでに、彼と人形師狩りとの接点を、見つけ出すんだ。もちろん極秘でね」
スノー医師は、最後の決め手を、俺に託してくれた。
「証拠を掴んだら、エニルダ邸の地下室にある工房に来てくれ。それを合図に、僕たちも行動する」
地下通路の地図を渡された。
それを眺めていると、こめかみから汗が滴り落ちてくる。
「責任重大だな」
自分から言っておいて今更だが、徐々に緊張が走る。すごいプレッシャーだ。
だが、嫌な感じではなかった。退くより進むほうが、はるかに良いに決まっている。
俺の気持ちは、とことん前を向いていた。
「大変な役目を、君一人に任せなければならなず、申し訳ないと思う。――僕にできる力添えは、せいぜいこれくらいだ」
突然、スノー医師はメスを構え、素早く振り回した。
その直後。俺の体中の皮膚が切れ、血が滲みだした。
一見、驚くほど血塗れに見えるが、一つ一つの傷は深いものではない。痛みも軽かった。
「見た目ほど、体にダメージがないように斬った。その傷を僕が負わせたと分かれば、我々の間に協力関係があるなどと、勘繰る者はいないだろう」
俺がスノー医師たちのところから、攻撃を受けながらも逃げ出した、というシナリオを作るための下準備だ。
医者ならでわの、本格的な装飾だと感心した。
「頼んだよ、ノイエ君」
俺は強く頷いて、走り出したのだった。
全てを終わらせられる場所へ、辿り着くために。
● 〇 ●
「さて、ノイエ君。全てを明かしてしまった以上、後戻りはできないよ。……ちゃんと、見つけてきてくれただろうね?」
「ああ、もちろんさ」
俺はスノー医師に笑い返した。すでに、準備は万端だ。
「警察の諸君。善良なる人形師にそんな物騒なものを向けて、いったい何をしようというのかね」
何も知らない間抜けな人形師は、自信満々で哀れな被害者を演じている。
その仮面をはぎ取るべく、スノー医師は口を開く。
「あなたを逮捕させていただきます。魂学の技術を悪用して、人間の魂を弄んだ罪。そして人形師狩りを使って人形師たちの命を奪い、町の平和を脅かした罪で」
「罪とな?」
意味が分からないと言わんばかりに、エニルダは首を傾げる。
「人間の魂を使って代行人形を作るという、違法的所行は……いたしかたない、認めよう。だがそれも、死んだ人間から抜き取ったものだし。彼らとて、決してわしが殺したわけではない」
サクサクと抵抗の言葉を紡ぐ。
こうなったときのために、あらかじめ用意してあった、劇の台本みたいな台詞だ。
「わしが人形師狩りとやらに殺しを命じたという、決定的な証拠があるのかね? わしはそんな恐ろしい殺人鬼、会ったことはおろか、見たこともない。君たちがどれだけ空想ごとを並べてわしを中傷しようと、わしにそれほどの罪があるとは思えんな」
そう、それが奴の強みなのだ。
だが、言い換えれば、奴にはそれだけしか、言い逃れする術がないわけだ。
「まったく、気分が悪い。今日のところは、お引き取り願おう。クラウンマーチ、この人たちを外につまみ出しなさい」
屋敷の主らしく、エニルダは当たり前に従者に命令を下す。
だが、その当然を打ち破ったのは、従者のほうだった。
「そのご命令はきけませんよ。ご主人様」
非情なその言葉に驚愕し、エニルダは目を細める。
「何だと? なぜきけぬのだ、クラウンマーチ」
「なぜならぁ」
クラウンマーチは自分の頭を掴み、首を横に回し始めた。
ゆっくり半周させると、後頭部が前方に姿を現す。
「俺様は、クラウンマーチじゃないからですよぉ、ご主人様ぁ!」
束ねられた長い白い髪を解き、中央から左右にバッと分ける。
その中から出てきたのは、後頭部の地肌に手書きで描かれた、ニヤリと笑う不気味な顔。
人形師狩りの顔だっだ。
「くっ……!」
明らかに、エニルダの表情が歪む。
怒りと焦りを混同させた。複雑な歪み。
人形師狩りはレインとリノオールを連れて、俺の背後に飛びずさった。
「残念だったなぁ。クラウンマーチは、この兄ちゃんが倒しちまったよ。この体は、俺様だけのもんだ!」
機嫌良さそうに、人形師狩りは、へらへらと笑う。
「なるほど、そういう絡繰りでしたか」
その奇妙な人形の姿を見ながら、スノー医師は楽しげに語る。
「クラウンマーチの体には、彼と人形師狩り、二つの魂が入っていたのですね。それが交互に表に出てきて、各々するべき命令を遂行していた。――殺しの指令はクラウンマーチに出しておけば、人形師狩りにも伝わっていた。だからあなたは人形師狩りに会わずして、的確に操ることができていたのですね」
スノー医師は、納得の目線を向けてきた。
俺は自分の役目を無事に果たし、満足して彼に頷き返した。
「この人形は、非常に重要な証拠品ですね、エニルダさん。――あなたの最低な罪を、証明するためのね!」
スノー医師の、極上の笑顔。
今までで一番、幸せそうな顔だ。
「おのれ、どこまでも人をこけにしおって!」
エニルダは、怒りに表情を歪める。
机の上に置かれていた、小さな鐘を激しく振り鳴らした。
地下空間に響き渡る、鐘の音。
それと同時に、周囲に陳列されていた、武装した蝋人形たちが、いっせいに動き出した。
「わしが今までに人間から抜き取ってきた魂は、ほとんどジェイネスとして起動している。統率のとれた蝋人形の兵士たちは強いぞ!? たかが数人の人間ごときが、勝てると思うな!」
それは自惚れでも強がりでも、ハッタリでもなかった。
単体ならば、それほど驚異ではなかっただろうが、室内をぐるっと囲む、数十体ものジェイネスたちが与えてくる威圧感は相当のものだった。
「んなっ! こ、これを全て退治するっすか!?」
ナオミ警官は、真っ先に気圧されている。
「ありあわせの体に魂を入れて。強靱な軍団を結成、か。ずいぶんとお手軽な代行人形の製法だな」
彼女と背中合わせに立ち、警棒を構えるショーンは、表情をひきつらせながらも、悪態を吐く余裕はあるようだ。
「代行人形にとって最も重要なのは、いかに素晴らしい魂に成長できるかということである。器など、それなりに役に立てば何でもいいのだよ。成長する見込みのない魂なら、尚更な」
「なるほど。人形学の提唱者が言うんなら、その通りかもな」
エニルダは俺たちを指さし、腹の底から声を張り上げ、命令した。
「ゆけ、ジェイネス! こいつらを生かして出すな」
それを合図に、剣を振りかざし、襲いかかってくるジェイネスたち。
そこにいた全員が戦闘態勢をとり、蝋人形たちの攻撃に備える。
スノー医師は相変わらず楽しそうに、メスを振ったり投げたりの交戦。
へっぴり腰のナオミ警官とショーンは、とりあえず警棒を振り回しての防戦。
中でも一番、気合いが入っていたのは、人形師狩りだった。
「へっ、おもしれえじゃねえか!」
十八番の短刀を構えて、人形の群れに自ら飛び込んでいく。
あっと言う間に、数体のジェイネスを斬り倒した。
しかし、俺がクラウンマーチを倒した時に斬りつけた傷が深いせいか、満足に体が動かせないらしい。
ぎこちない動きで、次々とジェイネスが振りかざしてくる剣を捌くのも、辛そうだ。
人形師狩りは舌打ちした。
「おい、兄ちゃん。早く加勢しろ! この壊れかけの体じゃあ、俺様は本気出して戦えねえ」
俺はレインたちの猿轡を解き、戦いに参加しようと立ち上がった。
だが、レインに腕を捕まれ、止められる。驚くほど強い力だ。
「行っちゃ駄目よ、ノイエ君。これ以上、あなたを危険な目に遭わせられないわ」
レインは必死で、俺を引き止めようとしている。
泣きそうな顔。いつもの冷静で落ち着いた姿からは想像できないほど、興奮していた。
俺はレインの背中を擦り、落ち着かせる。
「俺は君を助けるためなら、何でもしたいんだ。今の俺がいられるのは、七年前に俺の中から迷いを取り除いてくれた君のお陰なんだから。今度は俺が、レインの力になりたいんだよ」
静かに、俺の素直な気持ちを伝える。
レインは、じっと俺の顔を見ていた。
そして、力を抜いて、ふっと微笑んだ。
「……羨ましいなぁ。あなたに、そこまで想ってもらえる人が」
「何を言ってるんだ? 君のことだよ、レイン」
俺が想い続けている相手は、今も昔も、この少女だけ。
レインだけなのに。
どうしてそれを、他人事みたいに言うのだろう。
「違うわ。あなたの想い人が、あたしであるはずがないわ」
レインは首をゆっくり否定的に振り、衝撃的な言葉を吐き出す。
「だってあたし、あなたのことなんて、全く知らないんだもの」
一瞬、彼女が放った言葉の意味が分からず、俺は固まった。
「どういうことだ? 再会した時、久しぶりって……。昔、会ったことがあるって、言ってくれたじゃないか」
困惑しながらも、何とか言葉を紡ぎ出す。
レインは悲しげな顔を俯かせ、俺の顔を見ようとはしなかった。
「――騙していたの。ごめんなさい。本当は、昨日があなたと初対面。ずっと前に会ったことがあるなんて。真っ赤な嘘、デタラメ。知っているフリを、していただけなの」
「どうして、そんなこと……?」
「リノオールのためよ。あたし、小さい頃はこの町に住んでいたけれど、友達や親しい人なんて一人もいなかったから。あの子を託せる誰かを見つける必要があったの。嘘をついてでも、知り合いを作っておきたかったのよ」
俺を見て、いたずらがばれた、子供みたいな顔をして、レインは笑いを含んだ口調で、語り続ける。
「あたしがそういう演技をするとね、たいていの人は身に覚えがなくても、話を合わせてくれるの。それでうまく相手の記憶を操作して、甘えたり、少し我儘を聞いてもらったり。前から、よくやってきた方法なのよ」
レインほどの美人なら、声を掛けられて喜ぶことはあっても、怪しんだり訝しむ奴は、限りなく少ないのだろう。
この娘とお近付きになりたい。相手から声を掛けてくるなら、相手の提示する設定に乗ってやってもいい。と考える下心のある連中を騙すための、画期的な手法。
詐欺まがいな方法だが、別に被害者は何かを騙し取られるわけではない。大きな被害を被るわけでもない。
苦情を訴える者も、いなかっただろう。
そういったやり方で、リノオールを無事に逃がすために、彼女は偽りの記憶を、相手に押し付けようとしていたのか。
今回、その相手に選ばれた者が、偶然、俺だったのだ。
「でもあなたは、他の人たちと何かが違った。本当に私を知っているみたいで、とても親身になってくれるし、一生懸命、助けてくれた。だから最初は、あたしが逆に騙されているんじゃないかって、警戒したくらいよ」
彼女が自室で、リノオールに話していた内容の真相は。
俺が嘘つきだと言われていた理由は、そのためだったのか。
「でも、だんだん違う気がしてきた。あなたが本気なんだって、とてもよく分かったから。……それで思ったんだけれど、あなたは、きっとあたしと他の誰かを勘違いしているんじゃないかしら? あなたには昔、あたしと同じ名前の恩人さんがいたのだと思うわ。けど、それはあたしじゃないわ。あたしみたいな嘘つきのために、危険を冒しちゃいけない。ちゃんと、本物の恩人さんを見つけて、その人を守ってあげて。ね?」
レインは俺を説得し、言い聞かせようとする。
俺はしばし、脱力していた。
彼女は、俺の待ち続けていたレインじゃないのか?
いいや、そんなはずはない。俺の中の記憶は、確信している。
「――七年前。俺が出会ったレインという子は、人形学についてとても詳しい、賢い女の子だった。人形が相手でも、何の分け隔てもなく、人間にするように接することができる、心の優しい女の子だった。リノオールという人形の魂を生みだし、その日が人格を持った記念日だと言って、喜んでいた」
レインの額に、青筋が浮かんだ。怯えた形相で、俺の顔を見上げている。
「どうして、知っているの? あの日――町を離れることになったあの日のことを。あたし、人にそんな話なんてしなかったわ。一人で静かに、リノオールの記念日を祝ったのよ」
「うん、そうかもしれない。でも、昔の俺は君と出会ったんだよ。分からなくて当然なんだ。こんなにも姿が、変わってしまっているんだから」
彼女はとても頭がいい。
だから、俺の正体にも、すぐに気付いてくれたのだろうと、勝手に思い込んでいた。
でも、それが間違いだった。
彼女は俺を覚えていなかった。その現実は悲しいが、偶然であっても、こうして出会えて、深く関われたことで、思い出してもらえるきっかけができたのだ。
その運命を、嬉しく思う。
俺は腰に結びつけていた袋を取り外し、レインに渡した。
「これ、預かっていてくれないかな?」
受け取ったレインは、ゆっくり袋を開け、中のものを取り出す。
こいつを託したことは、俺にとって、最後の賭けだった。
そして俺は、 賭けに勝った。
「……あたし、この子、知ってるわ。この町を離れる直前に、町の片隅で会った。とても落ち込んでいたの。お兄さんが死んでしまうって。怖いって。だから、励ましてあげた――」
レインはハッと驚愕し、俺を見上げた。
その目には、涙が滲んでいた。
「まさか、あなたは……?」
よかった、思い出してくれたみたいだ。
そして、理解してくれた。
「そいつ、大事に持っててくれるかな」
安心して、俺は微笑む。
「俺の、昔の体なんだよ」
そう告げて、仕込み杖を握りしめ、俺は人形と人間の入り交じる、混戦の場へと駆けていった。