15.更なる裏切り
「ショーン、いるか!?」
勢いよく、自宅のドアを開く。
家の中は、もぬけの殻だった。
今朝のショーンは熱も下がって、部屋の中を歩きまわれるくらい回復していた。
だがまさか、外に出掛けているなんて、思いもしなかった。
元気であっても、ほとんど外出なんてしない奴が、この非常時に限って、どういう風の吹き回しだ。
「ったく。この大変な時に、どこに行きやがった!」
ショーンを探しに行かないといけない。
その前に。俺は寄り道して、自分の部屋へと向かった。
これからの大事に備えて、願掛けをしようと思いついた。
机とベッドだけで、ほとんどの面積を占めている、狭い俺の部屋。
その机の隅に、ちょこんと座っている、男の子の姿をした小さな布人形を手に取った。
こいつは、ショーン・アルペイトという人間が生まれてはじめて作った人形であり、ノイエ・アルペイトと言う人間が、生まれた頃からずっと大事に持ち続けてきた、人生を共にしてきた人形なのだ。
お守り代わりに側に置いているだけで、とても勇気が湧いてくる。
剣術の試合や試験など、ここぞというときには、いつも側に置いて、勇気を分けてもらっていた。
すると不思議と、いつもピンチを切り抜けられたのだ。
これから俺がしなくちゃならないことは、とても勇気と度胸のいることだから。
今回も、こいつの力を借りようと思ったわけだ。
俺は人形を小さな袋に入れて、大事に腰へ結びつけた。
そして気合いを入れ直し、ショーンを捜すため、家を飛び出した。
● 〇 ●
町の路地という路地を、くまなく探して回る。
しかし、いっこうにショーンらしき姿は、影も形も見あたらない。
どこかで行き倒れているかも、と思い、足下も入念に見て回ったが、屍のごとく転がっている気配もない。
あまりの発見率の悪さに、焦りを覚えてきた頃。
「やあ、弟君。そんなに急いでどこへ?」
そこへ通りかかったのは、のんきにパトロール中のナオミ警官だった。
「ナオミさん、ショーンを見なかったか?」
「自分は見ていないっすよ。どうしたんすか、血相を変えて」
俺の様子から、只事ではない状況を察知したのか。
「まさか、アルペイト兄の身に、何か?」
怪訝そうに尋ねてくる。人形師狩りに襲われたと、想像したのかもしれない。
彼女を見て、俺はふと、考える。
最悪、ショーンが見つからなくても、日々、人形師狩りを捕らえようと尽力している警察なら、事情を話せば、協力してくれるんじゃないだろうか。
レインはエニルダと人形師狩りの間に接点がないから、警察には動いてもらえないと言っていたが。
説明してみるだけの価値はあると思う。
「……ナオミさん。相談があるんだけど」
事情を話そうとしたが、直前で思い留まった。
「いや、でも、あんただと、ちょっと心配だな」
俺は腕を組んで、目の前の女警官に難色を示す。
「何が心配なんすか。一人で勝手に話を進めないでほしいっす」
俺の態度が気に入らなかったのか、ナオミ警官は不服そうだ。
「あんた、スノー先生のこと好きだろ」
ズバリと尋ねると、ナオミ警官は顔を真っ赤にして、首やら手やら、ブンブン振りだした。
「ななな、何を言い出すっすか! たたた確かに、スノー先生は立派な方ですから、自分は非常にそそ尊敬しているっすけども! すす好きだなんて、そんな畏れ多い」
図星かい。
日頃のこいつの態度から、もしやとは思っていたが、確実に惚れている。
だとすると。
スノー医師の正体をこいつに話すのは、危険かもしれないな。
警察だろうが何だろうが、所詮は人間。
自分が好意を持っている人間なら、たとえ悪人であっても目を瞑って見逃してしまう。
なんて可能性も考えられる。
「……じゃあもし、その尊敬している先生が、悪いことをしていたとしたら、あんたは捕まえる覚悟があるか?」
不安だったので、尋ねてみる。
するとナオミ警官は我に返り。
腰に手を当て、でかい胸を張る。
「自分、公私混同はしない主義っす。いくら尊敬する憧れの御人であっても。犯罪に手を染めるとあらば、絶対に許しはしないっすよ!」
おお、頼もしいお言葉。
ナオミ警官の中では、出世欲のほうが、色恋沙汰よりも優先されているらしい。
そんな彼女を、俺は信じることにした。
「分かった。じゃあ、俺の話を聞いてくれ。……人形師狩りに殺しをさせている犯人が分かった」
ナオミ警官の目が血走り。くわっと大きく見開かれた。
「犯人は人形師エニルダと、奴と手を組むスノー先生なんだよ」
「んなっ……!」
突然、意外な真実を暴露され、ナオミ警官は混乱しているらしく、しばらく目が泳いでいた。
しかし、人形師狩りの正体を知ったときのパニックぶりに比べると、かなり落ち着いたもので。
「弟君。ここでその話はちょっと……」
冷静に周囲を警戒しながら、声を潜める。
「署に来てほしいっす。詳しい話は、そこで」
その真剣な態度を見て、俺は安堵した。
この途方もない話を信じてくれる人がいたことが、非常に嬉しかったのだ。
思えば、初めてかもしれない。
この女警官が頼りになる。と心から感じたのは。
俺は自分の見てきた、聞いてきた全てを伝えるために。
ナオミ警官について警察署へと向かった。
● 〇 ●
まったく。これだから、女なんて奴は信用がならない。
公私混同はしないだとか、ぬけぬけとほざいでおいて。
仕事が命と見せかけ、結局、男を取る。
狡猾で卑怯な生き物だ。
レイン以外だけど。
と言うか、この女警官だけだけど。
「やあ、ノイエ君。あの屋敷から抜け出せたなんて、すごいね。君」
ロノステラの警察署に連れられて来て、重苦しい雰囲気の漂う建物の中に入ってみれば。
寛いだ姿のスノー医師が、にこにこ笑って手を振っていた。
俺は反射的に腰の仕込み杖に手をかけようとしたが、すぐに身動きがとれなくなる。
「動かない方が身のためっす。大人しくしなさい」
ここへ俺を連れてきたナオミ警官に、背中に猟銃の銃口を突きつけられる。
真面目くさった顔して、この女警官……。
俺を騙したわけか。
「あんた、何考えてんだよ!」
俺は彼女に向けて、大声を張り上げていた。
「彼女は僕の志に賛同してくれる、数少ない同志なんだ」
ナオミ警官の代わりに、スノー医師が口を開いた。
俺は横目にナオミ警官を睨みつけ、怒鳴りつけた。
「最低だな、あんた。さっきと言ってることが違うじゃねーか!」
だが、それを制止するように、スノー医師は口の前で指を立てる。
「これ以上は、騒がないで。大人しくしてくれるかい? 君のお兄さんの命を助けたかったらね」
医師のすぐ足元。
床に倒れ込んでいる男――ショーンに気付き、表情を歪める。
「しょ、ショーン! どうしたんだ、お前!」
ショーンは真っ青な顔をして、ぐったりと横たわっていた。
呼吸も弱々しく、かすかに痙攣を起こしている。
スノー医師はそんなショーンを見下ろしながら、にこにこと笑っていた。
その手には、謎の液体が入った注射器が。
何か、やばい薬でも打たれたのだろうか。
こいつは行動で示してきたのだ。
これ以上の抵抗は、ショーンの命を危険に晒すことになると。
歯を食いしばり、やむなく、俺はその脅しに従うしかなかった。
「ちょっと、予定が狂っちゃったね。まさか君に全て知られてしまうとは。一般人はあまり巻き込みたくなかったんだけど」
スノー医師は肩を竦めて、微笑んだ。
「でもバレたからには、君を野放しにしてはおけない。邪魔をされると困るからね」
「だけど」と、スノー医師は品定めでもするように俺を見て、言った。
「君のすばしっこさや秀でた剣術は、とても使えると評価しているんだ。敵に回すと厄介だけど、こちらの戦力になるのであれば申し分ない。だから選ばせてあげるよ。ここでじっと終わりを待つか。それとも、僕らの仲間になってその手腕を揮うか。話し合おうよ」
ふざけた二択を強いてくる。
そんなこと、選ばせてもらわなくたって、俺の答は決まっている。
「どっちも嫌だね。俺は絶対に、お前らの企みを止めてやる!」
「うん。そう言うだろうと思ったよ。でも、話くらい聞いてくれたっていいだろう? まあ。それでも嫌だって言われたら、もう身の保証はできなくなっちゃうけど――ね」
スノー医師は、不気味に笑った。
白衣の懐から、何かを取り出す。
その手には、手術で使うメスが。
鋭い刃先が、俺の頬に触れる。
俺はじっと息を殺し、なすがままにされながらも、逃げ出す機会を窺っていた。