11.神を冒涜せし者たち
何事もなく、スノー医師のトランクが置いてある部屋に到着。
とりあえず彼が戻ってくるまで、無造作に積み上げられたガラクタの中に身を潜めることにした。
しばらく待っていると、診察を終えたスノー医師がやってきた。
彼は滑り込むように部屋に入り、挙動不審に辺りを見渡す。
そして小声で、声を掛けてきた。
「……ノイエ君、いるかい?」
俺が返事をしようとした矢先。突然、部屋の中に別の声が響いた。
「スノー先生」
「うわあっ! な、なんだい? クラウンマーチ」
スノー医師は飛び上がって驚く。その背後にいたのは、あの憎らしい代行人形だ。
「お帰りの前に、ご主人様がぜひ、見せたいものがあると」
クラウンマーチは、車椅子を押していた。
腰掛けている人物は、寝間着姿の老人。
枯れ枝みたいに、しわしわで痩せ細っているが、白い髪と髭がとても達者な男だった。
この男が、レインの祖父であり、世界で初めて代行人形を作ったという天才人形師。
エニルダ・セーヴィラか。
いまや人形師が必須とする唯一無二の学問、人形学を世に提示し、人間が人形の魂を作れるという可能性を実証し、現実のものとした。
業界では超有名な、まさに奇跡の人だ。
見た目は老いぼれて見る影もないが、いかにも偉人らしい貫禄を、全身から放っている。
こいつらの登場は、最悪のタイミングだった。
俺とスノー医師は、表情に焦りを浮かべる。
もし、二人がこのまま、医師が家を出るまで見送る、といった流れにでもなってしまったら。
取り残された俺は、自力で屋敷を出なくてはならなくなる。
そんな、難解な展開の予感がした。
「すまないね、手を止めさせてしまって」
そんな俺の苦悩なんて知る由もなく、しわがれた声で、エニルダはスノー医師に語りかける。
スノー医師も、焦りを悟られないように愛想笑いで返す。
「いいえ、エニルダさん。それで、僕に見せたいものとは……?」
エニルダが懐から、すっと取り出したもの。
小さな瓶だった。
中には、ぼんやりと青白い、炎のようなものがゆらめいている。
「これは……」
スノー医師の目つきが変わった。
「昨日。警察の遺体置き場へ赴いて、とってきた」
エニルダの、髭に覆われた口元が緩んだ気がした。
「人形師狩りが殺した、人形師の魂だよ」
俺は眉を顰める。
人形師狩りが殺した人形師。
うちのご近所さん、ラドクリフ氏のことじゃないのか。
その遺体から、魂を抜き取った? 何のために。
というか、できるのか、そんな真似が。仮にできたとしても、そんなの、やってはいけない行為ではないのか。
レインが昔、言っていた。
この世のあらゆるものには魂が宿っているが、自然が作り出した魂を、人間の手でどうにかしようという考えは、禁じられた所行なのだと。
人の魂だって、例外ではない。
「ただ殺して棄て置くだけなんて、もったいないからね。この魂にも、わしの人形作りの材料になってもらおうと思ってな」
その言葉に、耳を疑う。
とてもじゃないが、信じられない。
高名なる人形師の放つものでは、決してあるまじき妄言だ。
「あなたの作る代行人形に込められている魂は、全て人間のものですからね」
そんな人形師に、ニヤリと笑いかける白衣の男。
突然の変貌。
俺は目さえも疑った。
あのスノー医師が、こんなにも邪悪な笑い方をするなんて――。
「君も知っての通り、わしは人形師として腕を振るうと同時に、人形を進化させる研究を続けてきた。そして人形に宿る魂を育て、人間同様に成長させることが可能だとする学問、人形学を世に提唱した」
エニルダは、物静かに語る。
その手が震えているのは、老いのせいだけだろうか。
「だが。それはわしにとっては、ほんの絵空事だったのだよ。世間に注目されたいがために作り出した、空想の物語だったのだ。人形に魂なんて宿るはずがない。まして、それを人間同然に育てるなんて、実際には不可能だった。事実、わしには自らの手で人形に魂を宿らせるなんて、一度たりともできなかったのだから」
「でも実際、人形に魂は存在したみたいですね。そして、その魂を元に、最近の人形師たちは、本格的に本物の代行人形を作り始めている」
スノー医師が口を挟むと、エニルダは苛立った声を上げた。
「人形学を、学会で発表など、しなければよかった。どいつもこいつも、しつこく人形の進化を追い求め、わしにできなかったことを、わしの広めた知識で成し遂げようとする。実に、けしからん話だ」
エニルダの手が、さらに震える。
これは、もはや老いからくるものではない。
怒りが、この老人の手を震わせるのだろう。
「わしが導き出した人形学の理論を利用するだけの、二番煎じ以下の連中に先を越されるなど、あってはならぬ。人形の魂を生み出すもの、育てようとするものを、わしは決して許しはしない」
「それであなたは、人形師狩りを作って、町中の人形師を殺して回るように命じたのでしたね」
「見せしめだよ。これ以上、わしを越えようなどと、考えさせないためのね」
俺は幻滅し、脱力した。
人形師狩りを使って、町の人形師を殺して回っていた真犯人は、レインの爺さんだったのか。
正直に言うと、驚愕はそれほどなかった。
やっぱりそうなのか。
という感想が、多くを占めていたせいもある。
● 〇 ●
実は、エニルダ邸に来る前。
その可能性を示唆して、俺に助言をしてくれた人間がいた。
ショーンだ。
「あの人形師狩りが、自分の意志で行動しているとは思えない。間違いなく、何者かの指示によって動かされているんだ。そいつこそが間違いなく、この事件の黒幕であり、人形師狩りを作った人間だ。俺は、人形師エニルダが怪しいと睨んでいる」
人形師狩りが時報の鐘の音とともに身を引いた点からも、裏で誰かが奴の行動を制限し、操っている事実は否定できなかった。
その「誰か」とは、エニルダではないかと、ショーンは疑っていた。
クラウンマーチみたいな暴力的な人形を作る人形師ならば、人形師狩りみたいなおぞましい殺人鬼だって、生み出してしまえるのではないか。
「だから、エニルダには気をつけろよ。下手に首を突っ込むと、お前も命を落としかねないぞ」
言われた通りの現実に直面してしまった。
人形師の勘とは、侮れないものだ。
● 〇 ●
「人形師狩りを作り出せたことは、本当に運のいい偶然だった。奴のおかげで、自分の手を汚さずとも、邪魔な人形師達を消していけた」
エニルダは、さも楽しそうに笑う。
こいつが殺人鬼の黒幕だと言う事実だけならば、俺も納得して素直に受け入れられただろうが……。
「わしがいつまでも、奴という蓑の中で安全に隠れていられるのは。君のおかげだよ、スノー君。君が奴の犯行の痕跡を、検屍の度に抹消してくれるお陰で、限りなく完全犯罪に近い形で、事件を起こすことができている」
「お役に立てて光栄ですよ、エニルダさん。ですが、僕が隠蔽する必要など、ほとんどありませんでした。人形師狩りの犯行は、いつも完璧でしたから」
「そうとも、完璧だ。人形師狩りとわしとの接点が全くない以上、この町の警察ごときに、わしの計画の全貌は、絶対に見破れまい」
なんだ、この会話は。
まさか、スノー医師まで、エニルダとグルだっていうのか!?
そこまでは、ショーンでさえ予測がつかなかった事実だ。
「ですが最近、人形師狩りの正体に気付き、罠を仕掛けてきた輩がいましてね。いちおう目を付けてはいますが、放っておくのは危険かと」
「ほう。そのような優秀な人間が、この町にいるのかね」
「その彼――ショーン・アルペイト君もまた、人形師なのですよ。人形師狩りは彼の策略にはまり、彼の殺害に失敗してしまいました。そのせいで警察にも、人形師狩りが人形であるという事実や、殺しの目的が知られてしまったのです」
スノー医師は、昨日の出来事を密告する。
この男、善良な医者のフリをして、味方だと見せかけて、その実、俺たちを逆に監視していたのか。
すべては、エニルダのために。
「ふむ、なるほど。どのような完全犯罪も、ちょっとしたところから綻びが生じるものだな。――そのことで、信頼の置ける君に相談があるんだが」
エニルダが、少し考えるようにして切り出す。
「何でしょうか?」
「人形師狩りが人形師を殺す理由。それが知られた以上、わしが生きていると怪しまれるな」
「それは、確かに。代行人形を作ろうとする人形師が殺されているというのに、それを既に作り出しているあなたが未だに狙われないというのは、あまりに不自然ですね」
「うん。だから、わしはとりあえず、人形師狩りに殺されようと思う」
突然、おかしな発言をするエニルダに、スノー医師は流石に困惑を隠せていなかった。
「それはいったい、どういう……?」
「さっき紹介しただろう? わしの孫娘、レインを」
「ええ。昨日も偶然、お会いしました。素敵なお嬢さんでしたね」
「あの娘、わしより先に本物の代行人形を作り出しよった。恐ろしい才能だ」
年老いた、濁った瞳が鋭く光った。
殺意を感じるほどに。
「……彼女も、殺すおつもりで?」
「最初は、そのつもりで呼び戻したのだ。だが、考え直した。あの娘はわしの孫だ。わしの血を引いているのだから、代行人形を作れて当然である。これから先、研究を完成させたとしても、それはわしの才能を受け継いだ当然の結果として、歴史に名を残す偉業となる。わしの名誉が汚される事態にはならない」
そして、目尻に大量のしわを寄せ、おぞましく笑う。
「それに、あの娘の才能をもってすれば、わしにも本物の代行人形が作れるのではないだろうか」
こいつが何を言いたいのか。未だに分からない。
だが、よからぬことを考えているなという予感は、ひしひしと伝わってきた。
スノー医師も、少し動揺した様子で、こめかみから汗を流している。
「スノー君」
「は、はい」
「わし、あの娘の体を貰おうと思う」
「は……!?」
「つまりだね。わしは自分の体から自分の魂を抜きだし、レインの体に入る。わしの体は死んだも同然。その抜け殻は人形師狩りに殺されたということにしておけばいい。そしてわしはまた、若い新しい体で代行人形の研究を続けるのだ。あと何十年もな」
「では、レインさんの魂は」
「他の人形に移し替えるか、それともそのまま――。可哀想だが、それもまた運命だと、思ってもらうしかない」
――何を考えてやがる、この変態ジジイ。
レインの体を乗っ取るだと? ふざけたことを。
彼女は、この爺さんの陰謀を知っていたんだ。
自分の身に迫っている危険を。
だから、時間がないと焦っていた。
だが、そんなことが許されるわけがない。
「……なるほど、素晴らしい!」
非人道的で、愚かな行為にもかかわらず、スノー医者は笑いながら拍手を送った。
気が狂っているとしか思えない。
「自らの魂を用いての、奇跡の大実験と言うわけですね! なんという奇抜さと豪快さ! やはり天才は考えることが違う」
「君ならば、きっと賛同してくれると思ったよ。今夜にでもそれを実行に移そうと思うのだが、ぜひ君にも協力してもらいたい。さすがに、自分で自分の魂を抜き取ることはできないからね。どうかな? スノー君」
「喜んで、手伝わせていただきますよ! ですが僕一人では、いささか不安ですね。……そうだ、僕の思想に共感してくれている同志がいるのです。その者たちも助手として、あなたのお力になりたいと言っています。ぜひ招待しても?」
「ああ、君の同志ならば歓迎しよう。呼びたまえ」
「ありがとうございます。僕の望みは、あなたの思想や欲望を理解し、その結論がどこへ向かうのかを見届けること。それをこんなにもすぐ近くで実現できる幸福に、感謝いたします」
深々と頭を下げる。こんなに嬉しそうなスノー医師を、初めて見る。
これが、人の無惨な死に様を嘆き、悪を許せないと言っていた人間の本性なのか。
頼りになると思っていた味方が、急に敵に回ってしまった。
ショックが大きい。損失もでかい。
医師の裏切りに戦慄を覚えていた矢先、クラウンマーチが周辺を警戒し始めた。
「どうしたね、クラウンマーチ」
「お話し中、すみません。妙な気配が近くから。邸内に、不埒な輩が入り込んでいるようです」
まずい、見つかったか。
思いもよらない密談に聞き入っているうちに、警戒心が散漫になってしまっていた。
俺の乱れた気配を、察知されたのだろう。
だが、場所まではまだ特定されていない。
逃げ仰せるチャンスはあるはずだ。
「始末できるかね、クラウンマーチ」
「お任せください。逃げ場という逃げ場を塞ぎ、どこまででも追いつめて見せましょう」
「ジェイネスたちを使うといい。あれで逃走路を潰していくのだ」
「承知しました」
クラウンマーチは懐から小さな呼び鈴を取り出し、チリンと鳴らした。
その甲高い音が、こだまする。
すると廊下で、ガシャン、ガシャンと金属が擦れ合う音が聞こえ、この部屋の入り口付近で止まった。
俺は物陰からそっと、視線を向ける。
そこには信じられない光景が。
廊下に飾ってあった兵士姿の蝋人形たちが、そこに整列して立っているじゃないか。
「――ジェイネス?」
スノー医師は蝋人形たちに警戒しつつ、興味深そうに見ていた。
「この屋敷を守護する、代行人形たちだよ。家中にある飾りものの蝋人形に、人間の魂を入れてあるだけの簡易なものだがね。言葉も感情も持たず、ただひたすら進入者を追いつめていくためだけに存在する。質より量に重きを置いた連中さ」
エニルダの声が止むと共に、クラウンマーチが腕を振り上げ、声を張り上げる。
「さあ、行くのです欠陥品ども! 進入者を家の中に閉じこめるくらい、あなたたちにもできるでしょう!」
その声に反応して、蝋人形の兵士たちはゆっくりと、廊下の向こうへ歩いていった。
家中の出口という出口を塞ぐつもりか。
先手を打たれ、完全に逃げ道を断たれた。
だが、それは逆に、立ち向かう決心を固めるためには、丁度よかったかもしれない。
ここまで多くの真実を目の当たりにしながら、何もせず、おめおめと逃げると言うのも、少し気が引けていたのだ。
クラウンマーチを打ち負かし、エニルダとスノー医師を捕らえて、警察に突き出す。
それくらいはやらないと、気が済まない。
意気込んで、奴らの前に飛び出そうとした時。
後ろ手に腕を捕まれた。
振り返ると、驚いたことに、ガラクタの隙間にリノオールがしゃがみ込んでいた。
いつのまに、この部屋に紛れ込んできたのか。
その理由は、背後の壁にあった。
人間がひとり通れるくらいの、四角い真っ黒な穴が、ぽかんと開いている。
抜け穴か!
リノオールは俺を引っ張り、穴へ誘導する。
俺を逃がしてくれるって言うのか。
せっかくの親切、その手を振り解くのも酷だし、迷っている暇もない。
リノオールに手を引かれ、俺は気持ちを切り替え、穴の中へと入り込んだ。