10.秘密のかくれんぼ
薄暗い、不気味な廊下を突き進み、二、三ほど扉の前を通り過ぎた。
その先に姿を見せたドアの前で、リノオールは立ち止まる。
どうやらこの部屋が、レインの私室らしい。
だが、お忍びでこっそり侵入した俺が、いきなり女の子の部屋を訪れるなんて、どう考えてもまずいだろう。
「レイン、部屋にいるのか?」
小声で尋ねると、リノオールは、ふるふると首を横に振る。
「ううん。レインは、おじいさまに呼ばれて、いないの」
そうか、いないのか。
残念なような、安心したような。妙な気持ちだ。
「すぐに戻ってくるよ。中に入ろう」
「そ、そうだな。ちょっと、見るだけなら……いいよな」
別に下心があったわけじゃないんだ。
ただの、好奇心というか冒険心というか。
やっぱり気になるじゃないか。
好きな女の子が、どんなところで生活しているのか。とか。
と言うわけで。
その先はそれほど躊躇もせず、俺はリノオールと共に、レインの部屋への扉を開け放った。
中は結構、広かった。
中央に木製の丸い机と椅子が二脚、置いてある。
部屋の端には、薄い布の天蓋に覆われたベッド。
反対の端には、一つの壁面を覆い尽くすくらい大きなクローゼットが置かれていて、その上部や周辺に小さな子供くらいの大きさの、たくさんの人形が敷き詰めて飾られていた。
「綺麗な人形だなー。全部、レインが作ったのかな」
「ちがうよ。レインが小さかったときに、おじいさまがレインのために作ったんだよ」
なるほど。
彼女がこの町から出ていくよりも前から、ずっとここにある人形なのか。
そう思えないほど、綺麗に掃除や手入れがされている。
この人形たちが作られた頃のレインは、きっと祖父にも可愛がられて、大切にされていたに違いない。
今は、どうなのだろう?
あんな尋常でない連れ帰り方を見せられては、とても現在、この屋敷で厚遇を受けているとは思えなかった。
「おじいさまのご用事、終わったかな。レイン呼んでくる? おにいちゃんのこと教える?」
リノオールはそわそわしていた。
レインが戻ってくる時を、心待ちにしているらしい。
だが、俺は長居をするわけにはいかない。
「いや。それより、お願いがあるんだけど」
俺はしゃがみ込み、彼女と目線を合わせる。
「なあに?」
「俺がここに来たってことは、内緒にしてほしいんだ」
「ないしょ?」
リノオールは首を傾げる。
俺は大きく頷き、人差し指を立てた。
「レインには絶対に、言わないでほしいんだよ。俺と君との秘密だ」
「うん、ひみつ!」
素直に、かつ嬉しそうに、リノオールは頷いてくれた。
直接、姿を見ることはできなかったが、レインは無事みたいだ。
少なくとも寝たきりになっていたり、動けないような状態ではない。
これ以上長居すると、進入がばれてしまうかもしれないし、今は引こう。
こっそりトランクに隠れて、スノー医師が帰るのを待つことにしよう。
そう決めたのも束の間。
こちらへ向かって、誰かが廊下を歩いてくる足跡が。
「あ、レインが戻ってきた」
リノオールの声に反応し、俺は慌てて立ち上がる。
廊下に出れば、レインと鉢合わせる。このままでは、こっそり部屋から抜け出せない。
「やべっ。どっかに、隠れないと……」
とりあえず、レインに見つからないように、しばらく身を隠すしかない。
「かくれんぼ? リノオールもやる!」
隣で一緒になって、リノオールがはしゃいでいる。
それに構う余裕もなく、俺は辺りを見渡す。
隠れられるところと言ったら……。
やっぱり、あそこしかないか。
俺とリノオールは、一目散にクローゼットのほうに駆けだした。
● 〇 ●
ガチャリと、扉の開く音。
少し確保できた細い隙間から、俺は部屋の様子を見る。
ドアの前には、レインが立っていた。
その立ち姿は、昨日とほとんど変わったところもなく、至って元気そうだったので安心した。
レインは小さく息を吐き、中央の机の側にやってくる。
腕に鼻を擦り付け、衣服の臭いを嗅ぎだす。
「……お祖父さまの部屋に行くと、いつも薬臭くなるわね」
そう呟いて。
流暢な動きで、首元に結ばれたリボンを解き出す。
「――!」
俺は全身を硬直させて固まった。
さらにレインは、ブラウスのボタンを上から順に、外し始める。
服を脱ごうとしていた。着替えをするつもりだ。
もちろん、ここは彼女の自室なのだし。服を着替えたって、何もおかしくはない。
おかしいのは、その部屋に忍んで、コソコソとその様子を見ている俺なんだが。
これはまずいんじゃないだろうか。万が一、この状況で見つかりでもしたら、俺は覗きの変態野郎確定だ。
せめて見ないようにしようと努めるものの、どうしても気になって彼女から目が離せない、と言う体たらく。
あっと言う間に、レインはブラウスもスカートも脱ぎ捨て、白く薄い、ワンピース状の下着姿になっていた。
俺は高鳴る心臓の音を押さえるのに必死だった。
色白の鎖骨が、胸元が、太股が眩しすぎる。
さらにその格好のまま、クローゼットの方へ歩いてきた。
それも当然と言えば当然だ。着替えの新しい服は、クローゼットの中にあるわけだし。
だが、こちらへ来られると、俺的に非常にまずい。
うまく隠れられているつもりだが、クローゼットを開けてゴソゴソとその場を漁られると、気配で見つかる可能性が高い。
とにかく見つからないように願いながら、俺はじっと息を殺し、できるだけ体を小さくして強張らせた。
レインが、クローゼットの扉を開く。
「……きゃあ!!」
直後、小さく悲鳴を上げた。
心臓が飛び上がりそうだった。
しかし、見つかったのは俺ではない。
扉を開くと同時に、レインめがけて飛びかかったものがいた。リノオールだ。
「……リノオール!? こんなところで何をやってるの!」
「かくれんぼ! えへへー、見つかっちゃったー!」
「かくれんぼ?」
「おにいちゃんと、やってたのー!」
「お兄ちゃんって、……ノイエ君のこと?」
さっき内緒って約束したのに。早くもバラしおって!
頭のいい彼女のことだから、感付くんじゃないかと冷や冷やしたが。
「……そっか、前に一緒に遊んでもらって、覚えたのね」
どうやら勘違いをしてくれたみたいで、危機一髪、助かった。
開いたクローゼットから新しい衣服を取り出し、素早く着替えたレインは、一息ついて椅子に腰掛ける。
リノオールも、もう一つの椅子に、ぴょこんと座った。
「……リノオールは、ノイエ君やショーンさんのこと、好き?」
おもむろに、そんな話を切り出す。
「うん! おにいちゃんたち、すきー! でも、レインのほうが、もっとすき!」
リノオールの返事を聞き、レインは微笑みながら、遠い目をする。
「良い人たちだったな……。でも優しすぎて、少し怖かった」
ふと、レインは呟く。
その言葉の意味が、俺にはよく分からなかった。
「どうしてノイエ君は、あんなに上手な嘘が吐けるのかしら?」
嘘……?
何だろう、それは。
俺がいつ、レインに嘘を吐いたって言うんだ。
こんな状況でなければ、問い質してみるところだが、今はその真相には近付けそうもない。
しばらくして、ふらりとレインは立ち上がった。部屋の外に出ていこうとしたようだったが、リノオールが笑いながら呼び止める。
「レイン、まだだよ」
「まだって、何が?」
「かくれんぼ。まだおにいちゃん、見つかってないよ」
うわあ、せっかく勘違いしてくれていたのに。
思いっきり具体的な発言をしおって、このちびっ子め。
「それって、どういう? ……まさか、この屋敷にいるの!?」
レインも流石に、感付いてしまった。
かなり驚いている様子だった。
リノオールはレインに対して、人差し指を立てて見せた。
「ないしょ、ひみつ!」
秘密にするのが遅いわ!
レインは少し立ち尽くして、何かを考え込んでいた。
「クラウンマーチに見つかっては、大変だわ」
慌てたように、部屋の外へと駆けていった。リノオールも、ついていく。
部屋は無人となった。俺はとりあえず、安堵の息を吐く。
俺はクローゼットの上部と天井との隙間――たくさん並べられた人形の奥から、顔を覗かせた。
人形の背後に埋もれながら、横たわって隠れていたのだった。
人形に紛れて隠れるなんて、人形師狩りみたいでなんだか抵抗があったが、背に腹は代えられなかった。
しかし、俺の侵入がバレてしまった以上、長居はできない。
早くトランクの中に隠れて、スノー医師に連れ出してもらわなくては。
俺はクローゼットから飛び降り、素早くレインの部屋を後にした。