第十四章 その5 おっさん、陰謀を知る
反王政派一味のアジトを脱出したハインたちが駆け込んだのはゼファーソンの屋敷だった。軍の詰所をはじめ国の所有する機関はほとんどが群集に囲まれており、とても近づけるものではなかったのだ。
「ご主人様、よく……よくお戻りになられました!」
「キーマ、心配をかけてすまなかった」
この広い屋敷をたった一人で守ってきたメイドのキーマは、久々に主の姿を見るなり涙をぼろぼろと零した。それに応えるようにゼファーソン氏はそっとメイドの頭を後ろから抱きよせると、愛娘のごとく抱擁していた。
だがキーマは主の背後にハインらの姿を見るとはっと驚いて涙を拭い去り、何事も無かったかのように振る舞うのだった。
「ハイン様、よくぞおいでくださいました。と……そちらの方は?」
メイドがじっと目を細める。ハインの背中には金髪碧眼の美しい女性が、ぐったりと覆いかぶさるように背負われていたのだ。
それだけではない、マリーナたちに混じり、後ろ手に縄で拘束されたレフ・ヴィゴット。その両脇を元軍人のヘルバールと気を取り戻した鍛冶屋のアルフレドががっしと掴んで完全に動きを封じ込めている。アルフレドとキーマに面識はなかったものの、彼女は直感的にヴィゴットが主であるゼファーソンに何かしら悪さをしていたのであろうことは理解していた。
「この方は北方帝国の皇女ベル・ワトキン様、王妃様の妹君だ」
ゼファーソン氏が即答する。一瞬、理解が追いつかなかったのかキーマはぽかんと口を開けたまま固まり、そして数秒の後「ええ!?」と声に出したのだった。
「すまないが、ベッドをひとつ空けてくれないか?」
「は、はい!」
主の指示に急いで客室を準備し、はあはあと息を切らすベルをベッドに寝かせる。その間にゼファーソンはハインたちを応接間に集めてお茶を淹れる。
ヴィゴットの腕には魔封じの手枷を改めてはめ込まれ床に座らされたので、ヘルバールとアルフレドもようやくその腕を離してお茶を飲むことができたのだった。
「まさかこんな場所で皇女様とお目見えするなんてな」
ヘルバールは笑っているのやら怯えているのやら、複雑な顔でカップに口を付けた。
別の部屋に監禁されていたアルフレドとともにハインが連れ出したのは見るからに病床の麗しき女性。驚くなと言う方が到底不可能な事態に、マリーナは目をひっくり返して驚き、ナディアは「どえ!?」と妙な声を出してにやつき、ハーマニーは興味深げにしげしげと頷いた。
すぐさまゼファーソン氏がベルの素性を明かしてさらに仰天した一行だが、ベルは「あら、先ほどのお優しい方」とほほ笑んで迎えてくれたのだった。
すぐさまハインが「ここは危険です。ヴィゴット様もここを出ますので、我々とともに逃げましょう」と跪くと、皇女は「そう、ではご案内を頼みますわ」と言ってそっと身体を委ねたのだった。
「ハインさん、どうして皇女様を連れ出したのです?」
ハーマニーが蜂蜜をたっぷり加えたお茶をすすりながら尋ねる。操られている間何も口にしていなかったハインは久しぶりの飲み物をゆっくりと喉に流し込みながら、息を吐くと同時に返した。
「それはヴィゴットに話してもらうのが一番早い……そうだろう?」
一同の目が床にうずくまるヴィゴットに注がれる。その視線を跳ね返すように、ヴィゴットはぎろりと全員を睨み返し唸るように言い放った。
「ベルに……手を出せば死んでも許しませんよ」
「まずは自分の心配をしたらどうだ?」
近くに立っていたヘルバールがヴィゴットの頭をその手の平でつかみ、強く握りしめる。痛みに顔を歪めるも、ヴィゴットは一切声をあげなかった。
「ヘルバール、よせ!」
ハインの声にようやくヘルバールが力を抜くと、ヴィゴットは俯きながらも不敵に笑うのだった。
「ふふふ、こんな自ら歩みを止めた世界になど未練はありません。私のことは煮るなり焼くなり好きにしてください。ですが! ベルに傷のひとつでも付けようものなら、私は化けて出ます。そしてここにいる全員に不幸な死を振り撒くでしょう」
「そこまであの女性のことを……」
マリーナは口を押さえて漏らした。ヴィゴットの見せた狂気にも似た一途さに、彼女は恐れを通り越して一種の憧れさえ抱いていた。
観念しているのか単なる強がりなのか、一切の弱みを見せないヴィゴットの前にハインは立つ。屈んだヴィゴットに対してハインの巨体の威圧感は相当なものであったが、なおもヴィゴットの顔は変わらない。
「ヴィゴット、君がやったことは決して許されることではない。けど、どういうわけか僕は君がただこの国を混乱させるためだけに動いていたとは思えないんだ。あのベルという人は、君にとって大切な人であることはわかっている。なぜ、彼女はあそこにいたんだ? そして、君の目的は何だったんだ?」
「ベルは私のすべてであり生きる希望だ。彼女のいない世界に意味など無い」
「それなら教えてください」
ずっと黙っていたイヴが立ち上がった。普段は見せない、強い物言いだ。
「多くの人間の命が係わる大切な事態です。こんな混乱を引き起こして、あなたは一体何を企んでいたのですか?」
決して責めるような口調ではない。ただじっと、まっすぐに顔を見つめる。
さすがのヴィゴットもイヴの熱い視線には折れた。彼は小さく息を吐くと部屋をぐるりと見回し、高らかに話し始めたのだった。
「もう洗いざらいお話ししましょう。私の狙いはただひとつ、王国と共和国を潰し合わせることですよ」
「そんな、嘘!?」
部屋が一様にざわついた。王国の内部崩壊だけでなく、まさか隣国である共和国にまでヴィゴットの手が回っていたなど考えつきもしなかった。
だがゼファーソン氏は腕を組んだまま、冷静に「北方帝国だな」と言い放つ。術を仕組まれた香で操られていたものの、王妃とヴィゴットの密通を目の当たりにした身として、一連の騒乱で最も得する者を瞬時に言い当てたのだった。
ある程度この脚本を予想していたのか、他の面々よりも驚くようすのなかったベルも加勢する。
「王妃様が関わっていることはあなたの会話からわかっていました。王妃様は北方帝国のご出身で、政略結婚のため王国に嫁がれたとお聞きしています」
聞くなりヴィゴットはけらけらと笑い、この上ないほど明るく答えた。
「ご名答、両国が疲弊したところで北方帝国がすべてをかっさらう、すべては王妃様の発案です。そのために私は王国と共和国の各地の勢力とつながり、それぞれに有益な情報を流して思い通りに動かしてきました。これだけ多くの役をこなすのは、さすがにちょっと疲れましたよ」
全員の背中にぞぞっと寒気が走る。狂っている、この男には良心というものが無いのか?
誰もが同様に思う中、パーカース先生が前に出る。
「近年の反王政派の機運の高まりや、テロリストに共和国の兵器を流したのも?」
「はい、私の思い通りです。決めたのも実行したのも、各陣営の皆様ですがね。王国の混乱は既に共和国に伝わっています。今頃共和国は軍隊を向かわせて、山脈を越えているでしょうね。まあ、これを凌いでもすぐに海を越えてさらなる大軍勢が押し寄せてくるでしょうが」
共和国の国境から王都まで、大勢を引き連れてとなれば3日はかかるだろう。
国内で争っている場合ではない、このままでは王国も共和国も共倒れの結末を迎えることは誰もが理解していたが、同時に今の状況ではどうすることもできないこともまた実感していた。
「なぜそんなことを? ヴィゴット家は王国の貴族でしょ?」
ナディアが涙混じりに強く訊いた。ヴィゴットの著書を愛読していた彼女には、著者の内なる狂気を知って感じた失望は他よりも大きかった。
「ベル様を人質に取られたのですね?」
すかさずハインが口をはさむ。途端、ヴィゴットは笑うのをやめ、引きつった顔のまま硬直した。
「操られていた時、ベル様は話してくださった。あの方は生まれつき不治の病を抱え、ろくに外に出ることもできない。他家への嫁にも出されず、ただ遠くない死を待つのみと。でもヴィゴット、君にとっては自分の命や故郷を秤にかけてでも選ぶ価値のある女性なんだろう?」
ヴィゴットはすっと顔を逸らし黙り込む。だがしばらくして小さく頷くと「……その通りです」とぼそっと呟いた。
「ベルと私が恋仲であると知った王妃様は、ある日私を呼び寄せて仰いました。北方帝国復権のために協力してくれれば、妹を連れてどこなりと往くがよい、と。帰る意味を見出だせるほどの家もない私は、王妃様の提案に乗らない理由がありませんでした」
「そこまで……」
マリーナが熱くなった目頭を押さえる。徹底的に非情な選択を取り続けてでもひとりの女性に入れ込むヴィゴットの姿に、不覚にも少しばかり胸を撃たれていた。
絶望と諦観と悲しみと、あらゆる負の感情に包まれた部屋は誰もが重く口を閉ざしていた。
だがその沈黙はすぐに破られる。突如、客室でベルの世話をしていたメイドのキーマが駆け込んできたのだ。
「大変です、ベル様が!」
全員がはっと顔を上げる。拘束されていたヴィゴットもベルの名を聞くや否や、今まで見せたことのないような焦った顔を向けて立ち上がった。




