表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
81/96

第十四章 その3 おっさん、皇女と出会う

 ハインを助けに行くという少女たちは蜂起に集まった群集、そして騒乱を予感して慌てて逃げ惑う人々の間を縫いながら、王都を走り抜ける。


 そんな教え子たちを追いかけながら、ヘルバール先生とパーカース先生は声を荒げていた。


「やめておけ、あそこはここ以上に危険だ! 対応は軍に任せて家に帰れ!」


 反乱が同時に王都各地で起こっているせいで、軍でも手が回り切らないのは分かっている。だがマリーナたちを危険な場に近付けるのは教員として何としても避けたかった。


「ダメです、この様子では軍も拠点を守るだけで精一杯です。とてもハインさんを探している場合じゃありません」


「家に帰っても安全とは言えませんよ。聖堂も町の集会所も、他人の集まれるところは反体制派が集まっていましたから」


 そう前のみを見ながら返すマリーナとナディアを止めるだけの言葉を、ヘルバールは持ち合わせていなかった。


 この王都に既に安全な場所は無い。反体制派が決起したとなれば現体制派も容赦なく殲滅行動に移るだろう。無関係な民衆が巻き込まれてもおかしくないこの状況に、これと決めたら梃子でも動かない回復術師科の生徒たちだ。


「わかった、俺も行こう。だが安全第一、危なくなったらすぐに逃げる、それでいいな?」


 ヘルバールの投げかけた声に、少女たちは「ハイ!」と声をそろえた。




「もう王都は大混乱だ、あとは王城に愚民どもが詰めかけるのを待つだけ。門番は既にこちらが抱え込んでいるから、機を見計らって数の力で王城を制圧するぞ」


 採光用の窓さえ見当たらない密室の中、通信用の水晶を手にしながらパルカ男爵がにたにたと笑う。あちこちから入ってきた決起集会の連絡を受け、自らの計略が順調に運ばれていることに悦に浸っていた。


「ふふふ、便利なものですな」


 なおも仮面で顔を隠した貴族の若者がその口元だけをにやつかせ、陶器の香炉を撫でるように見つめている。その脇にはしゃんと背筋を伸ばしたハインの巨大な影が、護衛するように控えていた。


「この香を嗅いだ者は術者の言いなりになる。本当、このような秘術どこで身につけられたのです?」


 仮面の貴族が壁際で立つ男に尋ねると、その男は視線を一切動かすことなく答えた。


「私のような身分ですと、あまり他人には言えない関係も築くものですよ」


 壁際に立っていたのはゼファーソン氏だ。長年国王陛下の側近を務めてきた老齢の貴族だが、その眼は不自然なまでに焦点を失い、まるで心をどこかに置き忘れたようだった。


 しかし同時多発的な反乱の成功に浮かれる反体制派の面々は、そんなことまったく気にする様子も無かった。


「国を治めるとなると綺麗事だけでは片付きませんからな」


 そんな一同をにこにことわざとらしいまでにほほ笑みながら見回すのは放浪の貴族レフ・ヴィゴットだった。作戦の成功にはっはっはと笑い飛ばす男爵らには、その声はまるで届いていないようだった。


「では、私は新国王を個室にお送りいたしますね」


 ヴィゴットがハインをちょいちょいと手招きする。すぐさま目の光を失ったハインはゆっくりとその身体を動かし、ヴィゴットの後に続いた。


 一同の「おう、頼んだ」という声を聞いて扉を閉める。次に現れた真っ暗な空間を、ヴィゴットは魔術で指先を淡く発光させるとその光を頼りに長い長い石造りの廊下を進んだ。


「皆さん本当に愚かなものです。周辺諸国が虎視眈々と王国侵攻の機会を狙っている中、内部から崩壊を促すなんて。国自体が無くなってしまえば元も子もありませんのに」


 そう呟くヴィゴットは不敵な笑みを浮かべていた。そのすぐ後ろからついてきているハインは、ぎゅっと口を閉ざしたまままばたきさえしない。


「術にかかっている最中も意識は残っているのでしたね、そういえば」


 歩いていたヴィゴットが思い出したように振り返る。そして相変わらず石像のようなハインの顔を覗き込むと、途端悲しみに暮れたような顔を浮かべたのだった。


「ハイン殿、無関係なあなたを巻き込んでしまうのは心苦しいです。お許しになられないことも重々承知しております。ですが腐敗と愛憎の絡まり合うこの理不尽な世の中、一度徹底的に浄化しなくては後生の幸福はあり得ません」


 そして小さく俯く。だが次の瞬間には肩を震わせながら、笑いを堪えられない様子で「くっくっく」と漏らしたのだった。


「なんて、言うと思いましたか?」


 そしてかっと目を見開きハインの顔のすぐ側までぐっと顔を近づけると、そのまままくし立てたのだった。


「私がそんな大逸れた目的で行動するわけ無いでしょう? 他人が聞けばどれほど身勝手で浅はかなんだと言われるでしょう。ですがそれでいいのです、私にとってこんな世界、何の価値もございませんので」


 決壊したように高らかに笑う。石造りの廊下に悪魔のような笑い声が反響し、まるで何百もの人々が絶望の叫びを上げているように思えた。


「ヴィゴット様、そこにおられるのですか?」


 突然、背後から話しかけられたヴィゴットは、飛び上がって振り返る。そこにいたのは廊下の壁に手を添えながら歩いてきた、若く美しい金髪碧眼の女性だった。


「ベル、寝てないとだめじゃないか!」


「ごめんなさい、でもあなたの声が聞こえましたので、つい……きゃ!」


 手が石壁から滑り、ベルの細い身体がふらりと前に倒れ込む。その時、彼女の腕を一本の太く逞しい腕がつかみ、間一髪で床に倒れ込むのを防いだのだった。


「あ、ありがとうございます」


 ベルが微笑み返したのは、無表情のまま彼女を支えるハインだった。その背後から一部始終を見ていたヴィゴットは、茫然として立ち尽くしていた。


「まさか……命令しなくても動けるとは」


「どうされましたの?」


「いや、この者は見た目は屈強だが心優しい部下だよ。ちょうどいい、ベルを部屋まで運んでくれ」


 ヴィゴットの命令に、ハインはベルの身体をひょいと抱え上げる。そして今まで彼女の歩いてきたであろう長い廊下を、ずんずんと歩き始めたのだった。


「温かい、なんだかお父様を思い出しますわ」


 ハインの腕に抱かれ、ベルはその厚い胸板にそっと頭をこすりつける。


「すまないな、身体の小柄な私では代わりになれそうにない」


 ヴィゴットはむっと頬を膨らませながらも、冗談で気を紛らわせていた。


 そして廊下の途中に現れた扉を開ける。そこは簡素なベッドと蝋燭の置かれた机のみ設けられた寝室だが、この地下にして埃ひとつも落ちていない掃除の行き届いた清潔な部屋だった。


「しばらくしたらまた来るから、ここで寝ているんだよ」


 そう言ってベッドにベルを寝かせると、ヴィゴットは部屋を出た。ベルは名残惜しそうに、恋人の背中を見送っていた。


 再びハインとふたりきりになったヴィゴットは何ら言葉をかけることも無く、ただ真っ直ぐ廊下を歩き続けた。そして突き当りの木箱や樽の収められた倉庫に連れて行くと、手頃な木箱にハインを座らせじっとしているよう指示を出したのだった。


「しばらくはここにいてください、次にあなたが外に出るのは王城の玉座に座る時ですよ。まあ、すぐに共和国軍が攻め込んできますでしょうし、王座につけるのはごくわずかな時間だけでしょうが」


 そう言い残してヴィゴットは部屋を出る。


 暗闇の倉庫にひとり残されたハインは、規則的な呼吸を続けながらただそこに居続けた。地下で物音ひとつ立たず光の一筋さえ挿し込まない部屋の中、正常な精神の持ち主ならば長く居続ければ発狂してしまうだろう。


 どれほど時間が経っただろう。突如、倉庫のドアノブがゆっくりと回り、わずかな光が倉庫を照らす。部屋に誰かが入ってきたのだ。


「ヴィゴット様は……ここにもいないのですね」


 姿を現したのはベルだった。部屋の机から持ってきたのだろう手には小さな蝋燭を携えている。


 彼女は収められた木箱に混じって座り込む巨大な人影が蝋燭の光に照らされて「きゃっ」と小さな悲鳴を上げたものの、それがハインであることに気付くとほっと安堵の息を吐いたのだった。


「ねえあなた、ヴィゴット様はどこに行かれたか……あ、あら」


 床を踏みしめていた彼女の足が突如ふらつく。だが次の瞬間には木箱から立ち上がったハインが彼女のすぐ傍らに立ち、その細い身体を優しく支えていたのだった。


「あ、ありがとうございます、また助けられてしまいましたわ」


 そう苦笑いするベルを、ハインは無言のまま手近な木箱に座らせる。どうやらベルは長い間立っていることができないらしい。


「申し遅れました。私、ベル・ワトキンと申します。現王妃の妹で、北方帝国の生まれです。恥ずかしながら生まれて一度も故郷を出たことが無かったのですが、ヴィゴット様に連れられてこちらに来ております」


 恭しく頭を下げるベルだが、ハインは微動だにせずただ衛兵のように立ち尽くしている。その様子にベルは首を傾げるも、すぐさま噴き出すように笑みを漏らしたのだった。


「無口な方なのですね……でも心優しい。ヴィゴット様は部下だと仰っていましたが、なんだかそんな風には見えませんわ。私、時々わかりませんの、あの方が何を考えているのか。目を見てもとても輝いているようで、その奥底には深い淀みがあるように思えてなりませんの。それにひきかえ、あなたの眼はすごく澄んでいる。そう、まるで……」


 そう言いかけた時、さっとベルの顔が青白く一変する。


「ご、ごほ!」


 そして両手を口に当て、はげしく咳き込むのだった。


 すぐさまハインはベルを抱き上げる。そして先ほどと同じようにガラス細工を包み込むような手つきで倉庫の外に出ると、まっすぐベルの寝かされていた部屋目指して廊下を歩き始めたのだった。


「あ、ありがとう。災難なものね、どうしてこんな体で生まれてきてしまったのかしら……自分の足で歩こうにも、いつもいつも皆様に迷惑かけてばかりで」


 ようやく発作の収まったベルは白い肌を余計に白くしながら、ぜえぜえと激しく呼吸を繰り返していた。


「私の家系は古くから戦場で活躍してきたと言われています。そのためか多くの人々の恨みを買ってしまったのでしょう、一生治ることのない病を抱えて生まれてくる赤子が、時々生まれてくるのです」


 腕の中のベルはまるで父親に話すように、すべてをさらけ出した。外にも出されず、ずっと疎まれながら幽閉されるように育ててこられた彼女は、人のぬくもりをほとんど知らなかった。


「これはワトキン家の呪いと呼ばれていまして、父の姉も弟も1年も持たず亡くなったそうです。これを治す方法は存在しないと言われていますが、昔は症状を緩和させるため『クラーケンの涙』と『天馬のたてがみ』を使って薬を作っていたそうです。ですが、それが何を意味するのかは既に誰も知らず、薬の作り方も失伝しています。私も4歳を迎えることはできないと言われていましたが、幸いにも20を超えることができました。尤も……この身体では生き永らえても幸福と言えるのだろうか、ヴィゴット様と出会うまではそうとばかり思っていましたが……?」


 ここでベルは言葉を失った。貼り付けた仮面のようなハインの眼から一筋、涙が伝い落ちているのを見てしまったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ