第十三章 その5 おっさん、変な奴らの言いなりになる
どうして城内に?
通常、兵士でも貴族でもない平民が王城に立ち入るのは祭日でも無い限り禁じられている。それなのに兵士に率いられて歩くハインを見かけた兄妹は、奇妙に思ってこっそりと尾行する。
「ここから先は倉庫しかないぞ。しかも滅多に使わない祭具や代々の国王の調度品のような、置き場所に困る物しかないはず」
「しっ、見て!」
先を行くアルフレドの服の裾をつかみ、妹ヴィーネが兄を止める。ハインたちは建ち並ぶレンガ造りの倉庫のひとつの前に立ち止まると、その重厚な木製の扉のひとつをそっと押し開け、すっと建物の中に滑り込んだのだった。
「怪しいな……」
正義感よりも好奇心の方が旺盛な兄妹だ。何をしているのだろうと、胸を高鳴らせて素早く倉庫に駆け寄った。そして音を立てぬよう、ゆっくりとドアを開ける。
薄暗く埃っぽい倉庫の中には、クモの巣の張った木箱や朽ちかけた馬車など、長年誰も触っていないのが一目でわかる物が押し込まれていた。
だが奥からは姿は見えないもののひそひそと話し合う男の声が聞こえる。
「ハイン・ぺスタロットを連れて参りました」
やはり見間違いではなかったか。よく知った名の登場に、兄妹はさらに耳を傾ける。帰ってきたのは初老の男の声だった。
「よくやった。私がこの場所を提供した甲斐があったよ」
この倉庫を管理しているのは王城仕えの下級貴族だ。そういう連中が何かしら悪巧みしているのだろうか?
「よいかハイン。お前はこれから新たなる王となる。そして私の命令に絶対服従するのだ。私以外の者の言うことは絶対に聞くな」
「はい、あなた様の仰せの通りに」
ハインの声だ。何ら抵抗さえ無い返事に、兄妹は思わず顔を見合わせた。
「おいおい、何てこと言ってんだ?」
「ふざけてるだけじゃないの?」
しかしさらに驚いたのは続いて聞こえてきた声だった。
「はっはっは、かわいらしい女性に同じことを言われればもっと嬉しかったでしょうが、まあ屈強な大男です。置物にする以外にも、力仕事で役に立つと思いますよ」
聞こえてきたのはひょうきんな言い回しに、一度聴いたら忘れるはずがない特徴的な声。当然ながら兄妹にも聞き覚えがある。
レフ・ヴィゴットだ。王国を発って北方帝国に向かったとまでは聞いていたものの、既に帰ってきていたことは露とも知らなかった。
「なんでヴィゴット様が!?」
「ちょっと見てくる」
口を押さえて息を忍ばせるヴィーネをその場に残し、アルフレドはそろりそろりと足音を忍ばせて物陰を移動する。
「少々早いが、今の国王には退いてもらおう。時代は新たなる王を求めているのだから」
「そう、一人の王が国を治める時代は終わった。これからは議会を通し、我々が民を導くのだ」
大きな木箱の陰から聞き耳を立てていたアルフレドの頬を、たらりと汗が伝う。間違いない、これは反乱の兆しだ。
「これはまずい」
すぐに引き返そうと、アルフレドは今しがた来た方向へ向き直る。だが直後、彼は突如弓矢で貫かれたかのように足を止めてしまった。
「おやおや、盗み聞きとはお行儀が悪い」
いつの間にか、背後には一人の男が立っていた。仮面をかぶり、全身をマントで覆っているため顔や体型は分からない。唯一、声から判断して年齢はそこまで高くないことだけが察せられる。
アルフレドは懐から工具を取り出した。だが、仮面の男が魔術を繰り出す方が早かった。
男の突き出した指先から、塊となった空気が弾丸のように飛び出す。直後、腹部に鉄球がぶつけられたような衝撃が走り、アルフレドの身体は倉庫の床に倒されたのだった。
「ぐは!」
「これはこれは、アルフレド様ではございませんか。おとなしく蒸気機関の開発に専念していればよかったのに。要らぬことに首を突っ込む好奇心も考え物ですね」
気付いて駆けつけたレフ・ヴィゴットがアルフレドの痛みに歪む顔を覗き込む。
「一体なぜ、こんなことを」
ぜえぜえと息を荒げるアルフレド。その視界に映ったのはにやにやと笑うヴィゴットと数人の兵士、初老の白髪の貴族、そして光を失った瞳を向けたハイン・ぺスタロットだった。
「なぜ? 当然でしょう、この国をより良き方へと導くためですよ。会話はお聞きになっていたはず、我々の意図はおわかりでしょう」
ヴィゴットの隣で貴族の男がガハハと笑う。どうやらこの貴族がこの場所を管理しており、同時に首謀者のようだ。
「せっかくだ、こいつの馬鹿力を試してみよう。おい、この男を黙らせろ」
男の声にむっくと動いたのはハインの巨体だった。心をどこかに置き忘れてしまったようなその顔には、喜怒哀楽の一切が失われていた。
「ハインさん、どうしてこんな……」
ハインのゴツゴツとした手がアルフレドの襟をつかみ、そのまま持ち上げる。
「ちょっとお待ちください」
だがその時だった。ヴィゴットが手を伸ばし、ハインを制したのだった。
「アルフレドさん、あなた『クラーケンの涙』と『天馬のたてがみ』というのが何を意味するのか、聞いたことはありませんか?」
突如の質問と痛みに、アルフレドはさらに顔を歪める。
「クラーケン? それに天馬? それは神話の生き物だろ、知るわけがない」
「そうですか……もしかしたらと思ったのですが。すみません、もういいですよ」
「よし、やれ」
直後、ハインの岩石のような拳がアルフレドの鳩尾に打ち込まれた。
「うぐ!」
大男の剛力は、アルフレドの意識を吹き飛ばすには十分すぎた。白目を剥いたアルフレドはだらんと頭を垂れ、そのまま全身の力を抜いて気を失ったのだった。
「一撃か、さすがだな」
豪快に声をあげたいところを、声を抑えながら笑う男たち。
その一部始終を物陰で聞いていた妹のヴィーネは、口を押さえただてひたすらに震えていた。相手がひとりくらいならば何とかなったかもしれない。だがこんなに大勢を前にしては、いくら彼女が優れた魔術師といえど敵うはずもなかった。
「伝えなきゃ……誰かに」
でも、誰に?
普段なら兵士に助けを求めるところだが、場内にも反乱分子のいるこのようすでは内通者がいるかもしれない。下手に出ては自分の身さえも危ない。
誰か信用できる人……思考を巡らせていたその時、ヴィーネの脳裏にひとりの男の顔が浮かぶ。
「そうだ、ベーギンラート大佐なら」
「ハイン・ぺスタロットさんか……まさかこの人がいなくなってしまうなんてね」
詰所の受付のカウンターに座っていた若い兵士は、訪ねてきた4人の少女たち受け取った似顔絵を眺めながらため息を吐く。
「ご存知なのですか?」
マリーナが訊くと、兵士は頷き返した。
「ああ、兵士の間じゃもう英雄も英雄だからね。民間人なのに並の軍人よりも強いってんで、俺たちも頭上らないよ。ところでお嬢さん、俺もうすぐ交替でさ、いい店知ってんだけど案内しようか?」
若い兵士がぐいっと身を乗り出す。イヴは無表情のまま耳元まで顔を真っ赤にするが、誰かのおかげでこういう文句を聞きなれているナディアとマリーナは互いに顔を合わせ、やれやれと呆れるのだった。
「私でよければお相手しますが?」
ハーマニーがふっと笑って会釈するも、兵士は顔をしかめるばかりだった。
「ええ、お嬢ちゃんと俺じゃ釣り合わないよ」
そう返してはぐらかす若い兵士。
だが彼は気付いていなかった。詰所にいた他の兵士たちが全員、一様に立ち上がり敬礼を取っていたことを。
「職務中にナンパとは、随分と肝が据わっているな」
「そうでしょう、公と私を分けろと人は言うけれど、そんなささいな括りに縛られるほど……」
突如背後からかけられる声に無意識の内に得意気で返す。だがふと我に返った兵士はカッコつけた笑顔のままずんと青ざめると、恐る恐る振り返ったのだった。
「た、大佐?」
兵士の背後に立っていたのは、直属の上司であるベーギンラート大佐だった。王都の警備を任され、先日のダン・トゥーンの反乱においても指揮を務めた歴戦の軍人。
その大佐のわざとらしいまでの微笑みに威圧され、兵士はたちまち敬礼のポーズを取る。
そんな彼の肩をポンと叩いた大佐は、改めて少女たちに向いて同じ顔を見せたのだった。
「ナディアさんにマリーナさんか、久しぶりだな。うちの若いのがご迷惑をかけて申し訳ない」
「いえいえ」
「息子さんのおかげで慣れてますから」
「まったく、あのバカは。今度も途中で学校に行く気が無くなったとか抜かしたら、ただじゃ済まさんぞと。ところで、今日はどういった用件で?」
「はい、実は――」
兵士に渡したハインの似顔絵を取り上げ、事の次第をナディアが説明する。
じっと聞いていたベーギンラート大佐はふむと顎に手を当てると、ついクセでタバコを取り出す。だがここは重要な書類を取り扱う禁煙のエリアであることを思い出すと、再びポケットにタバコを引っ込めたのだった。
「まさかハイン殿が。最近王都も物騒になってきたから見回りを強化しているというのに……わかった、急遽捜索のための部隊を結成しよう」
「ありがとうございます」
大佐の言葉に少女たちは頭を下げる。彼女たちの知り合いで、実質的な権力を最も持つのは大佐だ。大佐が動けばひとまずは安心だろう。
だがその時だった。にわかに詰所の外が騒がしくなり、一同は顔を上げる。
「すみません、すみません!」
女性の声だ。すぐに兵士が「あ、おい!」と呼び止める声も聞こえる。
「すみません、大佐は、ベーギンラート大佐はおられますか!?」
勢いよく、扉が開け放たれる。それと同時に飛び込んできた女性を見るなり、イヴを除く少女たちは「あ!」と声を上げた。
「ヴィーネさん!?」
まさかの場所での予想だにしない再会。息を切らすヴィーネ自身も、「え!?」と目を大きく開いていた。




